【来た!見た!書いた!】「西武鉄道とサーベラスの対立で見えた「人口減少時代の鉄道経営」

西武が秩父に路線を敷いた「思い」

 長年、西武鉄道の沿線に住んできた者として「あれ?」と思ったのは、西武鉄道が3月から女優の吉高由里子さんを起用した「特急レッドアロー号で行く秩父さんぽ旅」と題したテレビCMを流したり、ポスターを貼り始めたりしたことだ。
 CMでは、吉高さんが三峰神社を歩いたり、西武秩父仲見世通りでみそポテトを食べたりしながら「自分で見つけたものは、きっと宝物になる。そう思うんです」とつぶやく。はやりの山ガールや旅好きの女子に訴えそうな内容に「西武も久しぶりに秩父へ力を入れているな」という印象を持った。
 西武鉄道が秩父の武甲山の石灰石を原料とするセメントの輸送と、秩父周辺の観光開発を目的に「西武秩父線」を開業したのは1969年10月のこと。西武池袋線の終点である吾野駅から西武秩父駅までの19キロの路線は、当時としては私鉄最長の正丸トンネル(4811メートル)などトンネル16カ所、橋梁35カ所を含む本格的な山岳路線だ。
 西武はこの路線をわずか2年あまりで完成させた。開通に合わせて、特急専用車両の5000系「レッドアロー」を投入し、池袋と西武秩父の間で全席指定の有料特急の運行を始めた。
 開業日を鉄道記念日(現鉄道の日)の10月14日としたことも含め、当時の西武鉄道がいかに秩父線の開業にかけていたかがわかる。西武は秩父地域一帯を箱根に匹敵する観光地に育てようとしていた。さらに一時は、西武秩父から小鹿野町を通り、西武系のリゾート施設が集中する長野県軽井沢町まで秩父線を延伸する計画もあったという。

ようやく繋がった秩父への路線

 一方、秩父市などにとっても、東京都心に1本の電車で行けるようになる西武秩父線の開通は、大きな出来事だった。
 当時、三峯神社の宮司であった宮沢岩雄は「秩父にとってこれ(西武秩父線開業)は一つの維新ですね。明治維新は黒い船で始まったわけですが、秩父は西武の赤い矢(レッドアロー)で維新が始まったことになります」と1970年発行の西武鉄道の機関誌の中で述べている。
 だがそれからの40数年の西武鉄道の歩みをたどると、西武秩父線を巡る戦略が、当初の思惑通りには進まなかったという印象を受ける。
 長年、秩父観光のネックといわれた西武鉄道と秩父鉄道の接続問題。開業当時は西武秩父駅と秩父鉄道の最寄り駅が離れていて、三峰神社や長瀞などに行くには、乗客が相当な距離を歩かなければならなかった。
 1989年には秩父鉄道との間に連絡線を開設し、池袋から秩父鉄道へ直通する快速急行が運行できるようになった。ただ特急レッドアローの直通運転はいまだに実現していない。

西武秩父線廃止の提案という青天の霹靂

 2004年春の総会屋利益供与事件、秋の有価証券報告書虚偽記載事件を経て、2005~2006年のグループ再編で、西武鉄道はメインバンクであるみずほコーポレート銀行がリードする体制に様変わりした。
 それ以後、秩父の観光について目立った施策はなく、現状維持を続けているように見えた。それだけに3月に始まったテレビCMに、沿線住民として新鮮な驚きを感じたのだ。
 改めて指摘するまでもなく、テレビCMは3月16日に始まった東京急行電鉄東横線と東京メトロ副都心線の相互直通運転がきっかけになっている。直通運転により、両線に加え西武池袋線、東武東上線、みなとみらい線の5線がつながり、横浜方面と埼玉県西部が乗り換えなしで結ばれるようになった。
 横浜方面からは秩父に乗り換えなしで行くことはできないものの、従来よりは格段に便利になった。これを機に、横浜方面からの集客を増やす狙いというわけだ。
 秩父地域にとっても、相互直通運転の開始は、観光を盛り上げるのに久しぶりの好機と映ったはずだ。
 ところが秩父市など西武秩父線の沿線自治体は、相互直通運転開始からわずか1週間後に、今度は「青天の霹靂」に見舞われることになる。西武鉄道を傘下に持つ西武ホールディングス(HD)の筆頭株主である米投資会社のサーベラスが、西武地秩父線などが不採算路線であるとして「廃止」を提案していることが明らかになったからだ。

昔犬猿の仲もいまは手を組む時代

 2011年度の西武秩父線の平均乗降客数は1万229人で10年前の2001年度と比べ18%減っている。赤字なのかどうかはわからないが、秩父線が当初の青写真通りには進まず、むしろ秩父地域の人口減や観光の低迷などから利用者の減少傾向が続いていることが読み取れる。
 西武HD側はこの提案に強く反発。またその後、埼玉県や秩父市など西武鉄道の沿線自治体から路線存続を求める声が強まったこともあり、サーベラス側は、鉄道路線の廃止などは「アイデアのひとつとして示したが提案はしていない。今後もするつもりはない」と主張するようになった。現在、この議論は小康状態になっている。
 ただ明らかなのは、西武鉄道とサーベラスの対立の背景には、人口減少という逃れることのできないトレンドの変化があり、これまでは人口が増え続けてきた首都圏ですら「鉄道の廃線」という問題が現実のものになりつつあることだ。
 思い起こせば、今回の相互直通運転でつながった西武鉄道と東急は、1950年代には伊豆半島での鉄道敷設を巡る「伊豆戦争」を起こすなど、犬猿の仲として知られていた。それが半世紀あまりを経て手を結ぶことになったのは、人口減時代を迎え私鉄同士が争うよりも連携することが得策になったからだ。
 サーベラスも、日本では採算だけで判断すると利用者から手痛い反発を食らうことを、今回の騒動から学んだはずだ。人口減時代の鉄道経営は、鉄道会社間の連携だけでなく、鉄道会社と沿線自治体や利用者との信頼関係の構築が、今まで以上に重要になる。


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