【来た!見た!書いた!】 「古い自民党」は本当に変わったのか

群馬県川原湯温泉での祭の風景

 大寒を迎えた1月20日の早朝、群馬県長野原町の川原湯温泉で、400年以上続く「湯かけ祭り」が行なわれた。
 マイナス3度の寒さの中、共同浴場の「玉湯(おうゆ)」の前に、白と赤に分かれたふんどし姿の60人の男たちが集まり、「お祝いだ、お祝いだ」と叫びつつ、源泉からくんだ湯を掛け合う。
 1193年(建久4年)に源頼朝が浅間狩りの折りに見つけたといわれる川原湯温泉。湯かけ祭りは江戸時代に止まってしまった温泉が再び湧いて住民が喜び合ったという故事にちなみ、1年の無病息災と平穏無事を祈願するものだ。
 温泉は、群馬県の西部を流れる吾妻川の谷間上部の道沿いにある。少し下流に建設が決まっている八ツ場ダムのために、いずれ温泉街ごとダムの底に沈む場所だ。
 ダムの建設問題が持ち上がって60年あまり。祭りはこの場所での開催が今年で最後になる可能性があるため、いつにも増してマスコミの注目が集まった。今夏には、高台にある代替地で新しい玉湯の工事が始まり、2014年の今ごろには完成する予定だからだ。

 「コンクリートから人へ」を掲げて政権を奪取した民主党が、「コンクリートの象徴」として八ツ場ダムの建設中止を表明したのは2009年夏のこと。ダム湖に沈む地区の住民のために、代替地の造成やダム湖をまたぐ3本の橋の建設が進み、もう少しでダム本体の工事が始まる――という段階での出来事だった。

結局民主党も工事を認めた八ツ場ダム

 当時の民主党政権は「住民が反対するダム事業は反対すべき」と勘違いをしていたようだが、八ツ場ダムは住民が反対する中で行政が建設を強行したという、典型的なダム事業とは異なる。
 長野原町の住民も、初期には建設賛成派と反対派に分かれ町を二分する闘いを繰り広げた。しかし月日がたつ中で、闘争への疲弊から町外に移転したり、反対派から賛成派に転じたりして、住民のほとんどは賛成派になった。地元の群馬県だけでなく、埼玉県や東京都など治水・利水の両面で恩恵を受ける流域1都5県も早期の建設を望んでいる。
 民主党政権もそうした実態を踏まえ、2012年12月には、当時の前田武志国交相がダム本体の工事再開を表明した。ただ党内の反対派に配慮した藤村修官房長官が「ダム本体の工事着工には『利根川・江戸川河川整備計画』の策定が必要」というどっちつかずの裁定を下した。そのため、道路や橋など住民の生活再建のための工事は進めることができても、本体の工事には着手できない――という中ぶらりんな状況が続いていた。
 民主党政権時代の3年余りは、こうした足踏みが続いたために、川原湯温泉など長野原町の住民は、12年末の民主党から自民党への政権交代を心待ちにしていたはずだ。「自民党政権に戻れば、ただちにダム本体の工事に着工してくれるはず」という期待が高まっていた。

公共事業を増やし「人からコンクリート」への転換を進める

 だが政府は1月29日に閣議決定した2013年度政府予算案で、八ツ場ダムについては本体関連事業費として12年度と同額の18億円(事業費ベース)を計上するにとどめ、本体工事の費用は全く盛り込まなかった。
 予算の付き方から見る限り、新政権の八ツ場ダムに対する姿勢は、民主党政権とほとんど変化がないのだ。
 予算全体でみれば、高度成長期に建設したインフラの老朽化対策など「防災・減災」を理由に、公共事業関係費が4年ぶりに増加に転じ、12年度当初予算より15.6%も多い5兆2853億円に膨らんだ。それなのに自民党政権は八ツ場ダムについては距離を置いているように見えるのはなぜだろうか。
 読み解くヒントは「古い自民党」と「人からコンクリート」という言葉にある。
 安倍晋三政権の経済政策(アベノミクス)の「3本の矢(3つの柱)」は「大胆な金融緩和」「財政出動」「成長戦略」。このうち財政出動は「防災・減災」という新しい装いを身につけているとはいえ、「コンクリート」を重視する「古い自民党」が得意としてきた手法だ。
 29日決定の政府予算案について、30日付の朝日新聞は1面で早速、「社会保障で生活保護の水準を切り下げる一方、12年度補正予算に続いて公共事業を増やし、『人からコンクリート』への転換を進める」と皮肉った。

八ツ場ダムや普天間基地移転は目立たせずに進める自民党

 八ツ場ダムは民主党政権下で最も注目を集めた公共事業だ。自民党政権に戻ったとたんに、本体工事に予算をつければ、今以上に「古い自民党に戻った」とか「人からコンクリート」との批判を受けることになる。
 そのため自民党政権は少なくとも夏の参院選までは、「八ツ場ダム事業を目立たせない」戦略をとる見通しだ。これこそが、本体工事費を予算計上しなかった真意だろう。
 少なくと見た目においては「人からコンクリート」の政策を目立たせないようにする。こうした戦略は、八ツ場ダムや普天間基地問題などで、大上段に政策変更を打ち出しては後に挫折する「民主党政権の失敗」から学んだ結果だといえる。
 だがだからといって安倍首相がいうように本当に「古い自民党に戻るとの批判があるがそうではない」と言えるのかどうか。
 アベノミクスの3本の矢のうち「大胆な金融緩和」と「財政出動」は、日銀の物価目標の導入や、緊急経済対策や12年度補正予算・13年度予算でほぼ出そろった。3本目の「成長戦略」で、既得権者などの反対が強い規制改革や環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を本当に進められるのか。「古い自民党」が変わったかの判断は、これからが本番になる。


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