第8回 革命的新薬を発見しても、開発に遅れた日本企業社会の土壌と姿勢

今年もノーベル賞の季節が巡ってきた。6日に発表されたノーベル医学生理学賞で、惜しくも今年の受賞は逃したものの、有力候補の1人に挙げられていたのが、遠藤章・東京農工大名誉教授(バイオファーム研究所所長)だ。

遠藤氏は、米アルバート・アンド・メアリー・ラスカー財団が医学分野で画期的な成果を上げた研究者に贈る「ラスカー賞」に今年9月、選ばれた。1945年に設けられたラスカー賞は、医学分野で「米国のノーベル賞」ともいわれる。同財団によると、これまでに受賞者のうち75人もがノーベル賞を受賞しているという。
 
世界で毎日3000万もの人が使い、「世界で一番売れている薬」ともいわれる高コレステロール血症(高脂血症)治療薬スタチンを発見したのが、遠藤氏である。ラスカー賞では、「心臓血管疾患の予防と治療に革命を起こした」ことが評価された。
 
遠藤氏は1957年に東北大農学部を卒業後、大手製薬会社の三共(当時、現・第一三共)に入社。微生物やカビ約6400株を調べ、73年に青カビの一種から、血液中のコレステロールを劇的に下げる物質「ML-236B」(コンパクチン)を発見した。ヒトの体内のコレステロールの8割弱は、肝臓で何段階もの化学反応を経て合成される。コンパクチンは、この合成に必要な酵素の働きを強力に抑える。

 
だがスタチン系薬剤を世界で初めて商品化したのは、遠藤氏がいた三共ではない。先行したのは、早くから遠藤氏の研究に着目していた米製薬大手のメルクだ。
 
三共は1974年からコンパクチンの前臨床試験を始め、社内の反発などさまざまな障害を乗り越え、ヒトの臨床試験は順調に進んでいた。ところが三共は1980年8月に突如、第2相まで進んでいた臨床試験を中止してしまうのである。イヌを使った長期の毒性試験で「腸管にリンパ腫が認められた」というのが、その理由だ。
 
一方のメルクは三共からコンパクチンのサンプル提供を受けるなどして開発を進め、78年には第2のスタチン系薬剤、ロバスタチンを発見。87年に製品名「メバコール」として発売した。
 
三共もコンパクチンの開発中止後、コンパクチンの化学構造に水酸基を加えたプラバスタチン(商品名「メバロチン」)を発見。メルクの参入から2年遅れた89年には発売にこぎ着けた。
 
不思議なのは、コンパクチンの毒性試験で「リンパ腫が認められた」というのは、どうやら三共の誤判断だったらしいことだ。遠藤氏は著書『新薬スタチンの発見』(岩波書店)の中で、三共が誤判断と気付きながらコンパクチンの開発を再開しなかったのは、リンパ腫の話が世界中に広まり「挽回が無理だと判断したと思われる」と述べている。
 
メバロチンは発売初年度には国内で、144億円を売り上げ、ピーク時の2004年3月期には輸出分も加えた年間売上高が2000億円に達した、当時の日本の製薬会社にとっては珍しい「ピカ新(従来の治療体系を大幅に変えるような独創的医薬品)」だった。
 
ただコンパクチンの開発をやめずに予定通り進めていれば、メルクに先立つ84年に発売し、メバロチン発売までの5年間に5000億円程度を売り上げて、高脂血症治療薬で世界市場のシェアもさらに高めることができた可能性がある。だが実際には、メルクに先を越されてしまったのである。

 
当の遠藤氏はコンパクチンを発見した後の1978年末に「研究活動を続けたい」という理由で三共を退職し、東京農工大の農学部助教授に転身した。その時に手にした退職金は660万円あまりで、それ以外に三共からの報酬は1円も手にしていないという。
 
ちょうどメバロチンの発売前後の時期に製薬業界を担当していた私は、他の製薬会社幹部から「三共は遠藤さんが開発したもののすごさがわかっていなかった。メルクが開発に乗り出した後にそのことに気付き、メバロチンで追いつこうとした」という解説を何度か聞かされた。
 
三共がメバロチンの成功で業績が急拡大しようとしていた時期だっただけに、こうした見方は他社のやっかみから出たものかもしれない。ただ80年代末の日本の製薬業界では、欧米の製薬会社が開発した薬を導入し、日本向けの臨床試験をして日本で販売するという「欧米の技術追随型」の経営モデルが一般的だった。
 
ましてや、さらに10年前の三共が、自社の研究所から生まれた成果を正しく評価できなかったとしても、責められない。三共はメルクという追うべき先頭ランナーが現れたからこそ、メバロチンの開発に力を注ぐことができた。
 
スタチンの開発物語を振り返ると、日本発で新しいものが生まれても国内では評価されず、欧米で評価されると国内での評価も高まる――という日本の産業界で繰り返されたパターンに当てはまることに気づく。
「画期的な技術や開発成果は海外から」という固定観念が強い社会で、新しい成果を商品に結びつけるのは並大抵のことではない。それまでにない革新的な技術を社会に結びつけるためには、技術そのものと同時に、それを受け入れる社会の姿勢が不可欠なのだ。

(2008・10・7)


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