第58回 「絶対安全」を求めることの安心感が新たな危さを生む

市内と海岸側とでは様相が異なる仙台市

3月11日の東日本大震災。首都圏に住む人たちが最初に「津波」の恐ろしさ、すさまじさを知ったのは、NHKテレビが上空から映した仙台平野の映像だったのではないか。

そのとき、高層ビルの7階で会議に出席していた私は地震後、まずは地上階におり、あたりの様子をうかがってみた。だが交通機関は止まり、情報は錯綜し、何が何だかわからない。そのためまずはオフィスに戻り、テレビからの情報を注視することにした。そのときにNHKが流したのが、ヘリコプターから映した、仙台平野をゆったりと、しかし衰えずに進む津波の姿だった。

津波が田んぼを、イチゴのハウスを、飲み込んでいく。画面の端にはその津波を知っているのか知らないのか、車が走っている。そのまま走れば、確実に飲み込まれてしまう。思わず、「危ない、逃げろ」と声を出してしまうが、その声はもちろん届かない。

6月、その仙台平野を仙台市、亘理町、山本町と、宮城県庁の職員に案内してもらいながら歩いた。既に大震災から3カ月がたったその時期、仙台市内の道路の混み方はかなりのものだった。自衛隊や警察関連の車両が目立つが、一方で復興需要に応えるためと思われるトラックや工事関係車両も多い。

ところがもう少し海岸側に近づくと、光景が一変する。きれいに土台だけになった家々、ひしゃげて、折り重なっているイチゴハウスの鉄骨、ペシャンコになった車の数々。いまだに自衛隊の隊員が捜索作業をしている場所もあった。


もっと高い防潮堤をつくらなければならない

ちょうどその日の朝は、海からの冷たい風が内陸に入り込んだせいで、津波をかぶった大地からもやのような湯気が立ち上っていた。もやが太陽の光を反射し、色のない白黒の世界に見える。その光景と、原爆を受けた直後の広島や長崎の町の映像とがかぶって見えた。

海岸沿いの堤防にも足を伸ばした。「田老万里の長城」として有名な岩手県宮古市田老地区の防潮堤ほどではないものの、堅固な防潮堤が無残に破壊されている。引き波に持っていかれたのか、防潮堤の上部だけ残し、中がすっぽりと空洞になってしまった部分がいくつもあった。

東日本大震災後、日本中に「絶対的な安全」を求める声が強まっている。
「命を大事にするために、すべての原子力発電所をすぐに止めるべきだ」
「放射性物質に汚染されていないことが確認できない食品は買わない」――。
防潮堤についても、「明治三陸津波を想定した設計で大きな被害が出たのだから、さらに安全性を高めた、もっと高い防潮堤をつくらなければならない」といった議論が各地で多く出ている。

もちろん原子力発電所の津波対策を強化するために、防潮堤を新たに建設したり、より高くしたりすることは必要だろう。


高さ10メートルの巨大防潮堤は安全だったか

だが東日本大震災を受けて、日本の沿岸部にすべて防潮堤を設け、巨大なコンクリートで囲むようなことが対策の本質なのか。財政難の日本に、どこにそれだけの資金があるのかというコスト面の問題だけでなく、防災面から見ても大きな問題があるのだ。

明治三陸沖地震で住民の4割が亡くなった宮古市田老地区は1982年までに高さ10メートル、延長約2.5キロの防潮堤を完成させた。住民は「日本一の防潮堤」と信頼を寄せていたが、今回の大震災では「防潮堤があるから」と、安心して逃げ遅れた人が多かった。

津波で大きな被害を出した岩手県の大槌湾(大槌町と釜石市鵜住居町にまたがる)。死者・行方不明者の居住地を分析すると、ハザードマップで「想定浸水区域」とされた地区の人たちがほとんど逃げたのに対し、区域外の人たちが逃げ遅れ、多数の人が死亡した。

つまり安全な防災施設を整備したり、防災対策を講じたりすることで、逆に住民は「ここまでは安全」と油断する可能性が高まるのだ。


「ここまでの対策をしたから安全」という思い込みの危険

災害社会工学が専門の片田敏孝・群馬大学大学院工学研究科教授は「今回の大震災はよく『想定が甘かった』といわれるが、むしろ『想定にとらわれすぎた防災』の方が問題だった」と指摘する。

田老地区で逃げ遅れた人や、大槌湾でハザードマップを信じすぎて逃げなかった人たちと正反対の行動をとったのが、片田教授が防災教育を担当していた岩手県釜石市の小中学生約3000人。津波が来たときに学校の管理下にあった児童・生徒は全員無事だった。

片田教授は子どもたちに①想定にとらわれるな②最善を尽くせ③率先避難者たれ――という避難の3原則をたたきこんでいた。
「想定にとらわれるな」とは、ハザードマップが示す浸水想定区域はあくまでも防災施設を建設するなどのための「想定」であり、「それ以上の災害が起こる可能性があると思え」という意味である。
大地震の直後、釜石市の小中学生はあらかじめ決められた避難場所よりもより高い場所を目指し続け、全員が助かった。彼らの姿を見て、一緒に逃げた住民も多かったという。

「ここまでの設備をつくったから、もう大丈夫」。「ここまでの対策をしたから、もう安全」。いつの時代もこうした思い込み、油断こそが、最も危険なのだ。

(2011・7・13)


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