第57回 尾瀬を歩き、電力のこれからを考える

東京電力が所有する尾瀬の自然
 
今年、群馬県や新潟県など4県にまたがる尾瀬の春は遅かった。5月24日の山開き直前まで尾瀬沼の氷が溶けず、各所に雪が多く残っていた。例年だったら5月中旬から始まりを迎えるミズバショウの開花時期もかなり遅め。6月中旬の今でも見ごろの場所がかなり多くある。

尾瀬を歩くとき、お世話になるのが「木道」だ。自然に与える影響を最小限に抑えながら、訪れた人たちが自然と触れあえるよう、尾瀬には山間部を含めほぼ全域に木道が整備されている。入山者がすれ違うときに湿地帯に降りてしまわぬよう、多くの場所は複線だ。
 
木道の材料は、折れにくく水に強い国産カラマツ。それでも尾瀬沼や尾瀬ケ原など湿原の中では10年前後で付け替えなければならない。計画的に更新工事をするため、木道の表面には設置者と、工事した年を表す焼印が押されている。
 
鳩待峠など群馬県側から尾瀬に入った場合、木道の焼き印で目立つのが、東京電力のマークだ。尾瀬の木道は総延長65キロに及ぶが、群馬県内を中心に約20キロの木道を敷設、維持管理するのが東京電力だからだ。
 
東京電力は尾瀬国立公園約3万7千ヘクタールの約4割、公園の中の特別保護地区の約7割を所有する。福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故に伴う補償金を捻出するため、東京電力が保有する尾瀬の土地売却を検討しているとの報道が5月中旬にあった。この報道で初めて、尾瀬の主たる所有者が東京電力であることを知った人も多いだろう。


尾瀬のダム計画は何度も消えては浮上した
 
なぜ東京電力が尾瀬の土地をこれだけ持っているのか。その疑問に答えるためには、尾瀬の歴史を振り返らなければならない。
 
群馬県側の尾瀬の土地はもともと戸倉、土出、越本の3村の共有地だった。税金の重さや山の管理の煩雑さに悩まされていた3つの村は明治30年代の末に地元の有力者に「尾瀬」を売却。さらにその土地を1916年(大正5年)に買い取ったのが当時、水力発電事業を営んでいた利根発電だった。
その後、東京電燈、関東配電を経て、1951年(昭和26年)に電気事業再編政令により東京電力が設立されたときに、東電がこの土地を継承した。
 
電力の需要が急速に高まった明治から大正にかけて、発電の中心を担ったのは水力発電。尾瀬ヶ原に水力発電ダムを建設する計画が初めて持ち上がったのは、1903年(明治36年)のことだ。利根発電が1916年に尾瀬を買い取ったのも、もちろんダム建設を念頭に置いてのものだ。これ以降、ダム計画は形を変えて何度も浮上することになる。
 
最も規模が大きいものは、1948年に発表された計画。尾瀬ヶ原に高さ100メートルのダムを作り只見川をせき止め、広さ13万平方キロメートル(尾瀬沼の8倍)、貯水量7億2千万立方メートル、出力230万キロワットの水力発電ダムを造る計画だった。


尾瀬で水力発電を諦めたのはつい最近!?
 
この「幻の尾瀬発電所」の出力230万キロワットは、東電が群馬県内で現在稼働する41カ所、67基の水力発電所の合計最大出力(243万キロワット)や、大震災で止まった福島第1原発の2号基から4号基まで3基分の合計出力(235万キロワット)にほぼ相当する。単独の水力発電所としてはいかに巨大な計画だったか、わかるだろう。
 
ただ尾瀬をダムとする計画は元から無理があった。計画はいずれも、日本海側に流れる只見川をせき止めて尾瀬ヶ原を大貯水池にして、その水を太平洋側に流れる利根川へ放流する過程で発電を行なおうとするもの。太平洋側の関東にはメリットはあるが、日本海側の新潟県からは強い反発を生む。
 
加えて度重なる戦争や震災で大規模な開発が難しかったこと、また当時から尾瀬の自然は守るべきだという声も強く、計画はいずれも実現しなかった。
 
それでも東京電力は尾瀬を発電に利用する道を完全には閉ざさなかった。東電が自然保護の機運が高まったのを理由に、尾瀬地区のうち尾瀬ケ原の水利権について放棄したのは1996年3月のことだ。それ以降、東電は尾瀬の環境保護に一層、力を入れるようになる。


すべてはトレードオフの関係か
 
東京電力が発足した1951年。東電の発電出力に占める水力発電の比率は80%。だが1995年には水力の比率は15%に下がり、逆に原子力発電が29%を占めるまでになっていた。意地悪な味方をすれば、原子力発電が完全に軌道に乗り、水力発電の重要度が下がったからこそ、東電は尾瀬ケ原の水利権を放棄したと見ることもできる。
 
東京電力は5月下旬、尾瀬売却を懸念する群馬県に対して「尾瀬の土地は大切な事業用資産で、現時点では売却は考えていない」と回答した。ただ「責任を持って、最小限の維持を行なっていく」とも付け加えている。東電は尾瀬の湿原回復や木道の維持管理などのために年2億円を拠出してきたが、今後はこの費用が削られる可能性が高い。
 
原子力発電が順調に発展したからこそ、東京電力は尾瀬の自然を保護する余裕も持ち得た。福島第1原発の事故をきっかけに反原発を唱えるのは簡単だが、原発をやめれば日本の電力料金は大幅に上がり、尾瀬の保護のための資金が枯渇する可能性もある。
そういうトレードオフの関係の中で、どこに着地点を見いだすか。国民1人ひとりに突きつけられた問題だ。


【著者プロフィール】
1965年、埼玉県出身。1988年に大学卒業後、大手新聞社に就職。主に企業関係の取材を担当。
現在は経済関係部署のデスク。

(2011・6・15)


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