第20回 山奥の養蚕農家にも及んだグローバル化の恩恵

明治中期に山奥に建てられた3階建ての豪邸
 
草津温泉の玄関口となるJR吾妻線の長野原草津口駅(群馬県長野原町)。ここから白砂川という川に沿って、草津へと向かう曲がりくねった国道を車で10分ほど上っていくと、急に視界が開け、川向こうの山裾に、六合村(くにむら)の赤岩地区が見えてくる。

約50軒の集落は山のなだらかな南斜面にあり、集落を横切る細い道の両脇に、築50年以上の養蚕農家が立ち並ぶ。その周りを農地が囲み、さらにその外縁には、神社や観音堂などが点在している。
 
中には、幕末から明治にかけて建ったという歴史のある建物も多い。実際に集落を歩いてみると、道が舗装されておらず、車や電柱がなければ、古い山村を再現した映画のセットかと思えるような場所だ。
 
この赤岩地区は2006年、国から「典型的な山村の家並みや景観を保持している」として「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれた。群馬県や国が世界遺産登録を目指している「富岡製糸場と絹産業遺産群」の1つでもある。
 
赤岩の中でも最も古い部類に入る養蚕農家に案内してもらった。母屋は間口10間(約18メートル)、奥行き4間半(約8メートル)の総3階建て。江戸末期に2階建てとして建てられ、明治の中頃に3階建てに改築されたものという。
 
養蚕のための場所をより広く取るために、2階と3階が、生活のための場所である1階より張り出している造りが特徴だ。
 
2階や3階の内部は間仕切りがなく約100畳の広さがある。その広さと、木造ながらがっしりとした頑丈な造りが印象的だ。「おかいこの現金収入があったからこそ、これだけの建物が建てられたのだろう」と、この家の持ち主は話す。
 
赤岩地区など六合村で養蚕が始まったのは、日本のほかの地域と同様、「幕末のころ」(六合村教育委員会)。そして赤岩をはじめ、日本での蚕糸業が飛躍的に成長するきっかけとなったのが、1859年の横浜港開港だ。


日本が世界一の生糸輸出国となった理由
 
江戸幕府や明治政府は外貨を獲得するために、生糸の生産・輸出を奨励した。六合村のような群馬県や長野県の各地から生糸が前橋に集まり、さらに横浜港を通して海外に輸出されていった。
 
富岡製糸場(群馬県富岡市)の建設、養蚕や製糸技術の進歩などもあり、明治時代末期の生糸輸出量は明治の初期に比べ、数量ベースで8倍弱、価格ベースでは約12倍にも増えた。そして明治の末期には、日本は中国を追い抜き、世界一の生糸輸出国になる。
 
明治から昭和の初期にかけて、蚕糸類・絹織物の輸出は、日本の全輸出品の中で、常に3~6割を占めている(価格ベース)。生糸や絹織物が生み出した外貨により、日本は「富国強兵」を進めていった。
 
横浜港開港直後から日本の生糸輸出が急増したのには、当時のグローバルな情勢も背景にある。
 
欧州では、1840年から蚕の微粒子病が流行し、フランスやイタリアを中心とした欧州の蚕種(さんしゅ、カイコの卵のこと)製造は大打撃を受け、ほぼ全滅してしまった。一方当時、生糸の最大の輸出国だった中国(清)は内乱で混乱していた。
 
こうしてフランスやイタリアは日本の蚕種に注目。欧州からの要請で日本はまず、蚕種の輸出を増やした。
 
その後フランスではパスツールが微粒子病を発見しその防除法が普及し、ヨーロッパの蚕種業は復活する。そのため日本の蚕種の輸出は下火になったものの、今度は価格競争力を武器に、生糸の輸出を増やしていったのである。


日本は明治以降グローバル化の恩恵を受けてきた
 
「グローバル化」「グローバリゼーション」とは最近起こり始めたことのように考える人も多いだろう。だがインターネットなどの通信技術こそ劣ってはいたものの、貿易や資本・人の移動の面では、19世紀から第1次世界大戦の時代は今と同じようにグローバル化が進んでいた。
 
こうしたグローバル化に対応して、外貨獲得の柱として蚕糸業を育てていったのが当時の日本だ。群馬の山深い六合村・赤岩地区にも現金をもたらし、当時の人たちが今でも残る立派な3階建ての家屋を建てることができたのは、その時代の日本がグローバル化に積極的に対応したからだろう。
 
日本では今、人々が「グローバル化」というときは、それによる価格競争や企業・産業の海外移転から逃れたい、異質なものと触れ合いたくないという感情に根ざしていることが多い。
 
だが日本は明治以降、グローバル化の恵みを十分に受けてきた。果実をおなかいっぱい食べた後で、グローバル化を呪うのであれば、他国から「いいとこどり」「自分勝手の都合の良い考え方」と思われても仕方ない。
 
明治の先人達はグローバリゼーションに敢然と立ち向かった。その気概に学ばなければならないのは、今の私たちだ。

(2009・4・7)


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