第2回 人件費が下がって起こった「過去最悪」からの転換

無差別殺傷事件から見えてくるもの
 
東京・秋葉原で6月8日に起こった無差別殺傷事件。7人もの犠牲者を出した事件の衝撃が徐々に薄れてくるにつれ、妙にひっかかり始めたのが、加藤智大容疑者によるものとされる、携帯サイトへの膨大な書き込みだ。

「他人に仕事と認められない底辺の労働」
「来月から残業がなくなるようです 
お金のかかる趣味を始めたとたんにこの仕打ちですか 
やはり、世の中すべてが私の敵です」
「300人規模のリストラだそうです 
やっぱり私は要らない人です」
「勝ち組はみんな死んでしまえ」
「作業場いったらツナギが無かった 
辞めろってか」
「やっぱり会社の奴がいた 
ツナギあったよ、だと 
自分で隠しておいてよく言うよ」
「お前らが首切っておいて、人が足りないから来いだと? 
おかしいだろ」――
 
職場や仕事にからんだものだけでも、これだけの書き込みをしている。ここから感じるのは、職場や「派遣」という働き方への強い不満や怒り、絶望だ。
 
親、不細工、彼女がいない......。加藤容疑者が劣等感を募らせ、犯行へと駆け出すことになった要因はさまざまだが、そのうちの1つに「派遣」という先の見えない働き方への不満があったことは確かだろう。
 
加藤容疑者の犯行は言語道断で、許されるものではない。ただ彼が鬱積させていった不満はとりたてて突飛なものではなく、今も日本のどこかで働いている「だれかの不満」とつながっている。パソコンや携帯電話の匿名掲示板を訪れれば、加藤容疑者と同じような仕事に対する怨嗟の声を見つけるのはたやすい。そこに底知れない不気味さを感じるのだ。


労働分配率は過去20年で最低
 
いつから"ニッポン株式会社"はこんなにもぎすぎすとした職場になったのか。そのことを理解するのに、興味深いデータがある。日本経済新聞が6月5日付の「前期決算から(中)」で試算した、2000年3月期を基準にした設備投資、株主配分、人件費の動きを指数化した数字だ。
 
日本の上場企業は2008年3月期、リストラや新興国需要の取り込みなどで、03年3月期以来6期連続の経常増益を達成した。だが2000年3月期を基準に設備投資、株主配分、人件費の動きを見ると、07年3月期までに株主配分は3.1倍に膨らみ、設備投資も47%伸びたにもかかわらず、人件費は11%の増加にとどまった。
 
経営の三大要素はヒト・モノ・カネ。バブル崩壊後の低迷期を脱し、売上高の拡大傾向が続いたこの期間に、ニッポン株式会社はヒトへの配分を犠牲にすることで、モノへの投資と投資家への配分(カネ)を進め、収益回復を軌道に乗せたともいえる。だから、企業が創出した付加価値のうち人件費の占める割合を指す「労働分配率」は、過去20年で最低水準にまで落ち込んでいる。
 
ヒトへの配分の落ち込みは、ニッポン株式会社に、さまざまな歪みをもたらした。企業は採用抑制を抑える一方で、その穴を契約社員や派遣社員といった非正規社員を増やして埋めてきた。今や働く3人に1人が派遣やパートなど非正規社員だ。
 
一方で数が少なくなった正社員には、過重な責任や労働がのしかかる。長時間労働やサービス残業が当たり前になり、正社員と非正規社員の断絶が進んだ。07年度に過労などで自殺したとして労災認定された人は81人と、2年連続で過去最悪を更新した。
 
日本の戦後の雇用システムの特徴は「終身雇用」「年功賃金制」「企業別組合」――。こうした経営学の常識がいとも短期間に崩れるとは、誰も予想しなかっただろう。


日本企業の転換に水を差す? 減益
 
ただヒトへの配分を抑え続けるには限界がある。今年に入ってからは、社会からの批判に対応し、是正する動きもようやく目立ち始めた。
 
日本マクドナルドホールディングスは5月、店長を管理職と見なして残業代を払ってこなかった姿勢を転換し、8月から残業代を支払う方針に転換した。いわゆる「名ばかり管理職」に対する社会からの風当たりに、抗することが難しくなったからだ。
 
またトヨタ自動車も5月、生産現場の従業員が勤務時間外にグループで取り組む品質改善の活動(カイゼン)について、残業代を全額支払う方針に変えた。「サービス残業」批判へのトヨタ流の回答といってもいい。
 
派遣など非正規雇用についても、製造業を中心に待遇改善を求める声が強まっている。今回の秋葉原無差別殺傷事件で非正規雇用にスポットが当たることで、派遣など非正規雇用のある程度の改善は進むかもしれない。
 
だが問題は、肝心の企業収益が長く続いた拡大期を経て、曲がり角にさしかかっていることだ。
 
右肩上がりの資源高に米国や新興国などの需要減などが重なり、上場企業の09年3月期の経常利益は7年ぶりに減益となる公算が大きい。利益という分母が減る中で、人件費という分子を増やすことに、どこまで企業が本気になれるのか。ニッポン株式会社と働き手のせめぎ合いは、これからも続くだろう。

(08・6・17)


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