第15回 こんな時代だからこそ必要な「大企業発ベンチャー」

スピンアウトではなくカーブアウト
 
ビジネスの世界にいる人でも、「カーブアウト」という言葉を聞いてピンと来る人は少ないかもしれない。大企業(主に製造業)が社内に眠る有望技術や事業のシーズ(種)を社外に切り出し、投資ファンドなどの支援を受けて事業化する経営手法のことだ。

カーブアウトという言葉が今ひとつ世の中に浸透しないのは、同じような言葉がほかにもあることが1つの要因だ。「スピンオフ」「スピンアウト」という言葉も、大企業から人材が飛び出し、独立して起業することを指す。
 
例えば半導体最大手のインテルは、米国の半導体産業の草分けであるフェアチャイルドセミコンダクターから「スピンオフ」した技術者がつくった会社だ。シリコンバレーの歴史は、成功したベンチャーから出た人材が新たな会社を興すという「スピンオフ」の連鎖といってもいい。
 
スピンオフやスピンアウトと、カーブアウトのニュアンスが異なるのは、前者は人材が自発的に飛び出し、元いた会社と対立していたり、関係が薄かったりするのに対し、カーブアウトは親となる大企業から出資などの一定の支援を受けつつ、連携しながら成長を目指す点だ。
 
任天堂に対抗してゲーム機「プレイステーション」を開発し、事業化に成功したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は、日本のカーブアウトの典型例だ。
 
ただ日本ではカーブアウトにせよ、スピンオフ・スピンアウトにせよ、大企業発ベンチャーの成功例が、米国などと比べると少ない。そのことが、関連する言葉の浸透具合にも表れている。


それでも成長率は台湾の20分の1
 
工場を持たずに、ディスプレー向けのLSI(大規模集積回路)を開発・販売するザインエレクトロニクスは、東芝の半導体技術研究所LSI開発部部長を務めた飯塚哲哉氏が1991年に設立した、日本では代表的な大企業発ベンチャーだ。だが飯塚氏は「(日本では)大企業から出た会社の数も足りないし、我々の成長速度も遅い。当社と同じ時期にスタートした台湾の半導体メーカー、メディアテックは当社の20倍規模の会社になってしまった」と、不満げに話す。
 
もともと大企業の力が強い日本で、「これからは大企業発ベンチャーが活躍する」と盛んに言われたのは、1990年代後半から2000年代前半にかけてのころだ。
 
90年代後半、産業界では雇用(人件費)、設備、債務の、いわゆるヒト・モノ・カネの「3つの過剰」を解決することが、最大の課題とされていた。雇用(ヒト)の過剰解消をめざす過程で、大企業が抱えていた優秀な人材は、外に出ざるを得なくなる。その人材をベンチャーに振り向けよう――というのが、関係者が描いたシナリオだったはずだ。
 
2000年以降、それ以前と比べれば、大企業を経験した起業家が増えたことは確かだ。
 
テックゲートインベストメント(東京都品川区)のようなカーブアウト専門のファンド運営会社がいくつかできるなど、金融面からもそれを支える担い手が育ち始めた。それでも、大企業発ベンチャーが、日本の産業界を変える大きな動きになるまでには到らなかった。


まだまだ人材の開放が足りない
 
大きな理由の1つは、2005年頃には「3つの過剰」の重しが解消されたとの認識が、産業界に広がったことだ。
 
日本の上場企業は2003年3月期から2008年3月期まで6期連続の経常増益を達成した。この原動力となったのが輸出型の製造業。製造業が"復活"するにつれ、製造業の雇用・人件費の過剰を問題視する声は薄れていった。
 
しかし08年の世界金融危機後に明らかになったのは、日本の製造業復活は2000年以降の円安に支えられたものだったということだ。
 
日本と貿易相手国の物価動向も加味した実質実効為替レートで見ると、2007年の半ばには、1985年のプラザ合意以前の水準にまで、円安が進行していた。08年秋の円高でも、2000年以降に進んだ円安幅の4割程度を戻したに過ぎない。円安のせいで「雇用の過剰」が見えにくくなっていた可能性が高い。
 
また人件費や労働分配率は2000年以降、下落傾向にあるが、これは企業が正社員の自然減を給与の低い非正規社員で補ってきたからだ。正社員のリストラは、言われているほどには進んでいない。飯塚氏は「日本の大手半導体メーカーはまだまだ人材の"解放"が足りない」と指摘する。
 
この厳しい時代、「是が非でも会社にしがみつこう」というのが、多くの会社員の偽らざる心境だろう。だが飯塚氏のいうように、大企業を辞めるとは、大企業からの解放でもある。未曾有の危機だからこそ、新しい会社や事業の萌芽が隠れていることを信じよう。

(2009・1・20)


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