第7回 何でもやってみなければわからない。「もう駄目か」と諦めかけたときが夜明け前。

株式会社 喜代村 代表取締役社長木村 清 氏株式会社 喜代村 代表取締役社長
木村 清 氏

聞き手 松室哲生(おもろい会社研究所主幹)

――『すしざんまい』第1号店をオープンして7年。店舗数は26店と多くはないのですが、売上高120億円、経常利益10億円(連結、08年9月期)と目を見張るような急成長ぶりです。それを可能にした大きな理由の一つが「年中無休、24時間営業の寿司店」というかつてなかったコンセプトです。そもそもなぜこのような店をつくろうと考えたのですか。

【木村】20代で最初に入った会社が大洋漁業(現マルハ)の子会社で冷凍食品を扱っていました。会社には3年弱ほどしかいませんでしたが、いろいろ魚の勉強をし、築地との付き合いもそのときから始まりました。

2000年の頃、築地場外の、ある店舗オーナーから「築地が陳腐化してきた。場外の店がこのままでは廃れていくので何とか活性化できないか」と相談をもちかけられ、「お前ならできるだろう」と一等地にあった35坪ほどの店(現本店)を無条件で貸してくれました。

――なぜそれほどまでの信頼を得ていたのでしょうか。

【木村】前向きにものを考え、思いついたことは何でもやって、諦めなかったからですかね。

私は生鮮食品や水産業以外に、思い出せるだけでもいままで90の仕事をしてきました。


やりたいことをやっていったら、いつの間にか90種類の仕事をしていた。

――90種類ですか!? それは凄い。

【木村】農家の出ですが、子どもの頃から自分で工夫して愛玩動物などを飼育していました。15歳のとき、F104に乗りたくて航空自衛隊に入り、大検にも合格して念願のパイロットになるはずでしたが、事故で肝心の眼を負傷してしまい、お先真っ暗になりました。けれど、こんなときこそ一心に打ち込めるものをと考え、一番挑戦しがいのあると思った司法試験合格をめざして勉強を始めました。2年で択一式試験に受かりましたが、今度は学費が続かなくなり、アルバイトに精を出さなくてはならなくなりました。

――ほう、どんなアルバイトですか。

【木村】印象に残っているのが百科事典の訪問販売のアルバイトですね。実は、この販売は始めて1ヶ月半どうやってもまったく売れなかったのです。出来高制でしたから昼食を食べるお金もなくなって公園で途方に暮れていました。売れない事典を一人で見ていると、遊んでいた子どもたちが覗きに来る。子どもの質問にあれこれ答えていると、今度は子どもたちの母親がやって来た。すると、面白くてためになるものならと、買ってくれる親が現れた。それからだんだんと口コミで評判となって、今度は1ヶ月半で500巻以上も売れ、新記録を達成しました。
 
何でも物事というのは諦めたら終わりです。もうヘトヘトになって、心から「もう駄目だ、もう諦めよう...」と思ったときが、夜明け前なんですよ。

――いい言葉ですね。それから水産関係の仕事を始めたわけですね。

【木村】冷凍食品会社も最初はアルバイトですから3ヵ月で辞めるつもりでした。ところが、配達兼営業でいろいろと魚を売ってくるものだから重宝がられて延び延びになり、結局司法試験のほうを止めて、会社に入ることになりました。

――現在とは状況が違い、冷食はなかなか売れなかったでしょう。

【木村】そこで直接末端に売ったらと考え、おかず用に調理し、弁当にして販売しました。冬には冷凍枝豆は売れないというので、テントを張ってストーブをガンガン焚いた居酒屋を作って売るようにしたり、土日限定のスーパーを開いて販売したりしました。
 
どうしたら売れるか、どうしたら人が喜ぶか、こんなものがあったら喜んでもらえるんじゃないか。そんなことばかり考えていました。


どうしたら喜んでもらえるかを考え続けることがシステム開発につながった。

――考えただけではなく、すぐに実行に移していったのですね。

【木村】どんなことでも実際にやってみなければわからないでしょう?
 
築地に出入りし、寿司屋にも魚を卸すようになったあるとき、寿司店のオーナーから、店舗によって原価が違うのをどうにかできないかと相談をもちかけられました。そこで、寿司ネタを切り身にして売ることを思いつきました。マグロは切ると鮮度が落ちるのでブロックにして、オーナーが一切れ何グラムと決めれば、歩留まりがわかるようにしました。
 
寿司店経営のノウハウには、人材管理、衛生管理などいろいろですが、金銭トラブル、いわゆる誤魔化しがないことが重要で、そうした原価管理ができるシステムを開発したせいで、商品は飛ぶように売れました。

――その後、独立してからもさらにいろいろな業種業態を経験されてますね。

【木村】廃車になったバスを改良したカラオケボックス、レンタルビデオ店とその運営のためのソフト開発。TSUTAYAさんが開業するずっと以前の話です(笑)。いまでは普通にある温かい弁当屋もその頃始めました。最初、保健所は「温かい弁当は駄目だ」といってたんですね。そこで、発砲スチロールの二重容器を開発することによって販売許可を得ました。

――その頃からマグロの取り扱いもされていますね。

【木村】日本人はマグロの大トロが大好きですが外国人は食べない。そこで大トロだけ輸入したことがありましたね。で、寿司店に卸すと「握ってもなかなか食べない客がいて、すると色が変わってしまう」と悩みごとをいわれました。で、考えついたのが「炙りトロ」。穴子を焼くような網では溶けてしまうので、火力の強いバーナーで一気に炙り、レモンを搾って出すことを提案しました。ほかにも、穴子や車海老の美味しい食べ方など、いろいろと考え、形にしていったことはいくらでもあります。
 
何でも新しいことをやると問題が出てくるものです。そこで諦めたらお仕舞い。必死に考え、努力してやり通せば、できるものなのです。


大きな仕事に対しては、一つひとつ問題解決していくことで実現させていく。

――なるほど。そうした経験や実績、行動力を築地場外の店舗オーナーが認めたというわけですね。なぜ24時間年中無休の寿司店にしたのですか。

【木村】築地といえばやはり寿司屋だろうと。30年のキャリア、人脈もありましたからね。そして寿司屋の利便性や問題点は何かと考えました。
 
お客は365日食べたいと思っていても週に一度必ず休業日がある。たとえ営業時間内でも、ネタが切れれば店を閉めてしまう。これをお客が望むように何とかしたいと思ったのです。

――なるほど。それで24時間年中無休と。でも実現するのは大変だったでしょう。

【木村】職人や従業員は8時間3交代制にし、週休二日制にしました。食材については、生モノなので4時間位の内に調理しなければなりません。寿司店では平均72品目、150アイテムくらい扱っているので、仕入れルートを朝は築地、昼は全国の産地から飛行機で取り寄せるなど、4つの体制を整えました。これも全国の浜や漁師さんとの30年来の付き合いがあったからできたことです。
 
衛生管理、とくに清掃時間については、24時間営業では店内を一度に全部掃除することができませんから、箇所を細かく区分し、手分けしてするようにしました。そうやって一つひとつ問題を解決していったわけです。

――それが1日でお客が23.5回転するという驚異的なお店になったわけですね。世界的に品薄状態のマグロについてはどうでしょう。

【木村】マグロに限らず、魚介類にはシーズンがあります。シーズン中に大量に獲って、オフシーズンには漁獲量が減るので価格を上げて売るというのが一般的なやり方です。
 
うちでは一年中そのとき一番美味しいマグロを出せるようバンクーバー沖、メキシコ沖、金華山沖、地中海など、マグロが回遊する世界の海にネットワークを巡らし、一本釣り、定置網、延縄などの漁法を地元の漁師さんに指導したり、マグロを新鮮な状態で備蓄できるよう生け簀を造るなどして、いつでも最高のマグロを食べてもらえる体制をしいています。マグロに限らず、生鮮食料品は安定供給が第一ですから、イワシ、ガリ、シャリなどすべての品目、安定供給をめざして努力しています。

――ありがとうございました。


2009年4月 月刊『エマージング・カンパニー』誌の取材にて


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