【第39回】平均年齢68歳、高齢ケータリング会社社長もう一つの肩書

マダム石島株式会社

料理は70年やらないと身につかない
 
高齢化社会に突入した日本の、モデルになるような会社がある。12人からいる社員の平均年齢は68歳。いずれも10年以上働いているベテランぞろい。全員女性。社長はなんと74歳。
 
こう聞くと、だれもがいったいどんな会社かと目を向けるに違いない。いたって普通の会社である。職種はケータリング。つまり、パーティーや会合などに料理やお弁当を届けるサービスをしている会社だ。

普通と書いたが、実は普通ではない。このような時期に注文が増えているというのだ。実際よく同社のケータリングを利用する企業に、なぜここを使うのかと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「いろいろと細かい対応をしてくれる。パーティーの客層、年齢なども聞いた上でメニューを決めてくれる。しかも味がいい」
 
社長の石島まり子にその話をふると、「あそこはそれでも注文が大雑把な方。もっと細かく対応しているところもある」。
 
なるほど、世のほとんどのパーティー会社が料理の内容など細かく吟味させずにパッケージで売るのに対して、同社はきめの細かさを売り物にしているのだ。それもいわゆるレシピを基に 調理法を定めているわけではない。塩加減がどれくらいか、火はいつ止めるか勘で分かる。分量もタイミングも体が覚えているというのだ。
「料理は70年やらないと身につかない(石島)」
 
石島の料理の歴史は50年余。つまりこれからが、出番だというわけである。


偶然から生まれた中食ビジネス
 
石島がこの事業を始めたのは50歳少し手前の頃だった。しかし、そこにいたる石島の経歴を聞くとなるほどと思わず納得させられる歴史がある。
 
学校を卒業してからNHKの事業部に入ったが、間もなくして社内結婚をする。結婚すると家庭に入る時代だった。しかし、テレビ放送が始まり、長寿番組『今日の料理』がスタートする。そのとき番組への出演依頼が舞い込み、それから14年間『今日の料理』のインタビュアーを務めることになる。
 
その後新たな道を模索し、主婦の友社に入社、料理担当の記者を務めることになった。テレビで料理の先生を相手にしていたネットワークを、今度は出版の世界で活かしたわけだ。
 
ところがある事件をきっかけに、今度は出版社を辞めた。
「腹に据えかねることがあり、抗議して辞めた(石島)」そうだ。それが50歳直前の頃だった。しかし、そんな年齢で当時は職などない。ただ偶然にも香川県にある冷凍食品会社の社長と知り合い、入社し、その商品を東京で売ることになった。給料は半分になったが、生きがいを見つけた思いだった。
 
商品はシュウマイと餃子。ところが、まったく売れない。今までは顔見知りだった料理の世界。ホテルにレストランは全部だめ。料理の先生にも冷たくされて「人間の裏側を見た(石島)」思いがした。
 
その頃あるスーパーに、一度持ってくるようにといわれ、シューマイや餃子に手作りのサラダなども持って行き、その場で作って担当者に試食させた。
 
それが受けた。今度うちでパーティーがあるから作ってくれと頼まれ、それが現在のケータリングビジネス第一号となった。それが噂となり、口コミで評判が広がった。
 
すると社長に呼ばれた。これはクビに間違いないと覚悟したら、
「これはニュービジネスだ。女だけの会社を作って、この仕事をやれ」と社長いわれた。
 
惣菜や弁当――いわゆる中食ビジネスの会社である。資本金もその社長が250万円、石島が250万円出してつくった。1986年8月のことである。
 

大手企業も注目し、事業提携も
 
しかし、石島にはそれほど自信があったわけではない。
「当時、人が作った料理にカネを出すことはなかった。だから主婦たちに喜ばれるとは思ってはいなかった」と石島は述懐する。しかし時代が石島についてきた。その頃から主婦が勤めに出始めたのである。これに注目した大手企業から、続々と提携の申し込みや注文が出始めた。デパートからも注文がきた。世はバブル景気に沸き、続々と注文がきた。
 
こうして石島のビジネスは瞬く間に成長した。だが、失敗がなかったわけではない。苦い思い出もずいぶんした。
 
本社のすぐ近くの店が空いたので、惣菜店を開こうと思い、大手都銀に借りに行った。高々300万円の話だったが、銀行の支店長に「女一人に何ができる」といわれた。すぐさま口座を解約した。
 
大手外食企業から持ちかけられた事業は、スタートこそ好調だったものの、先方の社長が辞任。石島一人でがんばったが、結局借金が残った。
「以前は惣菜店も何店か出していたが、今はこのケータリングと弁当に絞って事業を行なっている」と石島はいう。


陸連科学委員の肩書きの意味
 
ところで、石島にはもう一つ別の肩書きがある。それは日本陸上競技連盟科学委員というものだ。失礼ながら、一介のケータリングビジネスの社長が、なぜかくもいかめしい肩書きをお持ちなのか。
 
石島がその種明かしをしてくれた。ソウルオリンピックの頃からというから、委員歴は20年以上にも及ぶが、当時、陸連の合宿などの食事の状況は悲惨の一途を極めていたという。アメリカでは全員食中毒にかかった。なぜなら、気温38度のところでマカロニサラダを出したから。日本のマカロニサラダは腐らないと栄養士がいったとか。また、ひじきの煮たものをどんぶり一杯出し、30分以内に食べると鉄分が増えると宣った栄養士もいた。
 
そんなミスマッチが陸連合宿の現場であり、当時の桜井陸連会長が石島に依頼したのだとか。
 
石島は違った。あるとき鮭のムニエルを食事に出そうとしたが、練習でへとへとの体はバターなど受けつけない。とっさに石島は照焼きに変えた。付け合せの粉吹き芋は肉じゃがに変えた。こうして陸上競技の合宿地として名高いアメリカのボルダーにも中国の昆明にも石島はついていくのだという。
 
考えれば、人生にはいろいろな転機がある。その転機を、うまく活かすかどうか、それはひとえにその個人の意志の強さと関係する問題だ。
 
その意味で、石島は転機をプラスに変えた実践者といえようか。

(2009・2・10)


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