【第25回】老舗経営の真髄を見せながらチャレンジを忘れない超優良フォーマル企業

株式会社カインドウェア

宮内庁御用達の企業が持つ歴史
 
会計上の意味ではなく、日本では「ゴーイングコンサーン」の経営が大昔から尊ばれている。京都などに見られる老舗の経営はそのいい例だ。どの老舗もオーナー家が会社の発展的存続を考え、同時にそれが家を守ることにもなっている。

「家=会社」--考えれば、こうした「形」を守っていくからこそ堅実な経営が生まれたのだろう。実はこの種の経営スタイルは欧米にも多く見られる。本来、会社というものは事業を永続的に行なっていくものだとすれば、この老舗の経営こそが企業経営のお手本となるのではないか。
 
私は30年ほど前に『週刊ダイヤモンド』で「老舗の家訓」という小特集を書いたことがあるが、当時取材した家訓の中にも、現代の経営に必要な要素をいくつも発見した記憶がある。
 
少々理屈っぽくなったが、(株)カインドウェアは、この老舗の経営を堅実に行なっている点で大変優れた会社である。
 
同社はフォーマルウェアの日本のトップメーカーであり、1968年には宮内庁御用達の栄誉を受けた。フォーマルウェアは戦後にスタートした事業だが、同社の設立は明治27年に遡り、したがって114年の歴史を有する企業である。創業当時は渡喜商店という古着洋服商であった。洋装が明治以降伝わったことを考えれば、同社の歴史は日本の洋装の歴史とダブらせて考えることができるだろう。


紋付き袴ではない、礼装をビジネスとして立ち上げた価値
 
現社長の渡邊喜雄は、創業から数えて4代目の当主である。しかし、戦後初めてフォーマルウェアを手掛けたのが先代(父・渡邊国雄)であることを考えれば、カインドウェアとしては2代目と言ってもいいかもしれない。
 
これにはもう一つ意味がある。渡邊の家系は代々学者の家系である。祖父は國學院大学学長、父は戦前内閣企画庁に勤務をしていたが、妻の兄が戦病死したため、夫婦で養子に入っていたこともあり、戦後、妻の家である渡喜商店を継ぐことになるのだ。
 
しかし、父国雄が傑出しているのは、そこでフォーマルウェアを考え出し、事業化していったことである。戦争が終わり、国民の生活水準は徐々に回復してくるだろうと。衣食が足りれば礼節も知るようになる。それならば正式な場所での装いは、紋付き袴ではなく、必ず時代に相応しい礼服が必要になると考えてのことだった。礼服は景気の好不況の波に左右されないという点にも着目した。また、社名を(株)渡喜に改めたのもこの頃である。
 
同社が有名になったのは、昭和40年代に入って、このフォーマルウェアを「ソシアル」というブランドで売り出し、俳優の田中邦衛を使って、大々的にテレビなどのコマーシャルを打った時からである。折しも団塊の世代が卒業していく頃で、結婚式などもこの頃から急激に増えていくことになる。同社が戦略的なのは、当時は別個に扱われていた礼装用のアクセサリーを、同時に扱い同じ売場で総合的に売ったことである。これも業界では初の試みだった。


老舗で生まれた新しいチャレンジ
 
一方、現社長の渡邊喜雄は大学を卒業すると同時に同社に入社した。一般的に言えば、子が親の会社に入る場合、直接ではなく、いったん他の職場を体験することが多い。しかし、渡邊の場合は父の意志もあり、父親の下で帝王学を身につけることになる。そして、現場を経験した後、5年後の75年には技術提携先の米国企業へ出向し、2年間、アメリカでビジネスを学んだ。
 
渡邊が社長に就任したのは、創業90周年の節目に当たる1985年のことだ。
「それから2、3年はよくぶつかった」と渡邊は述懐する。「世代の違いが原因だったのだろう。印鑑を手渡され本当に認めてくれたのは、そういうことを経た後」とも。
 
しかし、その後渡邊は次々に手を打っていく。
 
当時、拡大戦略を取っていた同社は、フォーマルからカジュアルブランドにまで商品展開を拡げていた。売上げは数年で30億円にも拡大していたが、それを止め、フォーマルへの原点回帰路線を敷く。
 
一方、廉価な商品をロードサイド店で売っていたが、「高級品でいくべきだと考え(渡邊)」これも止めた。「安いものの現場は、それなりの市場。売れるのはいいが、あのままやっていたら、下請け企業に成り下がっていたのではないか」と言う。「いい時は何も言わないが、店側だって売れなくなれば納入率を下げろと言われるのが関の山」と考えたのだ。
 
また、バブルの時期には、こんなうまい話が続くわけがないと考え、国内6カ所に展開していた工場を次々と整理し、中国への発注に切り替えていった。
 
今では工場は那須の一カ所だが、面白いのは「そこにはスキルを残した(渡邊)」という点だ。つまり労働集約的であっても、技術の高い部分を集約しておけば、その工場は独自に運営していけると考えたのだ。実際その通りとなり、自社製品は40%に留まり、有名ファッション企業から技術の高さを見込まれ注文が相次いでいる。
 
撤退だけではない。フォーマルの延長線上にあるブライダルに目を付け、マーサ・スチュアートのブライダルブックを出版したり、本人を日本に招聘したのも同社である。
「しかし、ブライダル事業には手を出さなかった(渡邊)」渡邊の家は神道の家系であるがゆえにそれは神への冒涜と映った。筋はいつも通すところに老舗の老舗たる所以がある。


よりよいサービスを求めて
 
大胆な撤退から売り上げが低下した時期とバブル崩壊が重なり苦労した面もあったが、それを乗り切るや、渡邊は95周年に際して次の100年を生き残る体質を作るために新たな事業の模索を開始した。
 
渡邊が選んだ新事業のキーワードは「3つのS」。「セーフティ」、「シックネス」、「セキュリティ」だった。
 
世界に疫病が蔓延しても、それに対抗できないか。凶悪な犯罪が多発するようになっても、それを守る術はないか。あるいは放射能が漏れても汚染されない服はないか。アメリカまで行き、防弾チョッキのスーツを作ることを試みたりもした。あらゆることを試み、そして行き着いたのが介護である。
 
同社は介護を事業化し、その事業が現在15周年を迎えている。デザイン面で優れたステッキ、座っていても着られる便利な服をはじめ、最近では普段着るファッションまで多種多様な商品を世に問うている。しかも首都圏、関西圏を中心に、多くの百貨店で売場展開をして好評を博している。この事業の業績も急成長を見せている。
 
さらに渡邊は「次の発展の時期に来た」と言い切る。まず主事業もフォーマルだけにこだわってはいない。より高級志向のお客のニーズに対応できるよう、パターンメイドと言って、個人の体型に合わせた洋服作り事業を本格化する予定だ。また、海外への進出もすでに上海で大きく進んでいる。
 
老舗が堅実さだけで続いているわけではないことの生きた証明がこの会社にはある。

(2008・6・10)


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