【第24回】メディアと密接な関係を保つ、老舗PR会社の「メール、ファックス禁止」

共同PR株式会社

PRの歴史を作った会社のユニークなアイデア
 
PR(=広報)という言葉は分かったようで分かりにくい。
そもそも、PRとは1930年代、アメリカの大恐慌の時にできた言葉で、大衆が社会不安を引き起こさないように、国の政策を広く知らしめるための活動から生まれたという。日本でも昭和30年代から、しきりに企業活動に取り入れられた。

日本のPRの歴史なら、共同PR社長の大橋栄に聞け。こういうと、少々大げさなようだが、大橋と共同PR(株)の歴史は日本のPRの歴史そのものと言っても過言ではない。
 
大橋は大学卒業後、広告代理店に就職したが、とある業界の大物から「これからはPRの時代だ」と引っ張られるようにして国際PRに入社した。
 
それから2年後の昭和39年、神戸製鋼所が尼崎製鉄と合併するのを機に独立してそのPRを手掛けた。3人で立ち上げたが、なかなかアイデア豊富なPR会社だった。
「神戸製鋼が高速道路のガードレールに使うワイヤーケーブルをやっていた。そこで、ガードレールの写真を撮ろうと東名高速道路を走った。工事関係者以外で東名を走ったのはわれわれが最初」 「帝人がテトロンのカラーシャツを初めて売り出した。そこで、これをPRしようと、銀行員に初めて着せた」 「カラーシャツ結婚式なんていうのを企画してね。カラーのウェディングドレスと一緒に丸の内を歩かせた」
 
大橋の口からは当時の思い出がほとばしり出てくる。今なら差詰め先行者利得と言えるのだろう。PR業界の草創期で経済成長の真っ只中。競合が少ない時期に立ち上げた事業だから売上と利益が付いてきた。
 
ところが、落とし穴があった。「バンビーノ」というおもちゃのPRと宣伝広告を手掛けたところ、なんと、3億8000万円もの不渡りを受けてしまったのだ。昭和50年のこと、売上規模が1億円に満たない頃の話である。
 
PRと広告宣伝ではかかる費用の額が違う。そのおもちゃ会社から頼まれて広告まで引き受けたのが大きな間違いだった。広告宣伝費は月間1億円。もちろん自社ではできないので東急エージェンシーに依頼した。同社経由で東急グループのPRを一手に引き受けていた関係からだ。
 
8月にスタートしたその広告は3ヶ月続いた。9月に集金した3ヶ月手形が12月に不渡りとなる。ボーナスが出せなくなった。大橋の自宅も人手に渡った。それでも借金が残った。針のむしろのような債権者会議に大橋が出ると、メインバンクの第一勧業銀行八重洲口支店の近藤支店長(当時:後の頭取)が出てきてくれた。
「一生懸命、『大丈夫だ』と言ってくれた。本当に有り難かった(大橋)」。借金は2年半かけて返した。


とにかく会え。メールもファックスも禁止
 
同社の売上は2007年12月期で45億1000万円(連結)、同経常利益は1億9800万円。着実に業績を上げている。特に2005年のジャスダック上場後は、毎年10社程度だったレギュラー顧客の増加が一気に30社ペースに跳ね上がった。大橋は「上場はPR会社の存在感を世間に訴えかけたかったから」と言うが、どうして上場効果は大いにある。
 
ただし、手放しでは喜べないような課題があることも事実だ。例えば労働集約的な企業組織でどう効率を上げていくか。市場が成熟している中でどうシェアを取っていくか。IRが全盛の昨今、その違いをどう訴えていくのか、等々。
 
これについて大橋は事も無げに解説する。
「うちの特徴はMR(メディアリレーション)にある。どんなにIRが良くても、それが取り上げられなければ効果はないでしょ。うちの強みはメディアと太いつながりがあることです」
 
だから、とにかく(メディアの)人と会えと言う。毎週の朝礼でもそういう話をする。メディアとはメールとFAXは禁止だそうだ。
「とにかく人間関係が大切。そのためには日頃嘘をついちゃいけない。間違ったことをやらない。そうしていると信頼関係は構築できる(大橋)」
 
自ら実践してきた言葉だから重みがある。


中国から広げてアジア戦略を強化する
 
この数年で同社の事業には幅が出てきた。例えば、98年には中国の新華社、広告代理店の旭通ディーケーとの合弁事業として、中国に進出した日本企業向けの現地PR会社を設立した。危機管理事業部では、社長の緊急記者会見特訓コースのメニューまで用意されている。こうした動きは、逆に見れば顧客企業の要望が細分化してきているということだ。
「以前は漠然としたニーズだったものが、最近では『社長をPRしてほしい、この商品をPRしてほしい』というように細分化されてきた。だから、こちらの対応もウェブ担当、TV担当、商品PR担当といった専門店型に変化している(大橋)」そうで、今後はこうしたきめ細かい対応を行ない、中国からさらに拡げてアジア戦略を強化するという。
 
そして「2~3年後に売上100億円を目指す(大橋)」。
ところで、共同PRでは3年前に始めた「広報の学校」という事業がある。だが、こんな名前が付くずっと以前から、メディアの人間を講師として、企業の広報担当者を集めた勉強会をやっているのだ。大橋がいうところの「メディアリレーション」が日常的な活動の上に成り立っているのがよくわかる。
 
ところで、緊急記者会見の練習コースとはどんなことをするのか。そのことを大橋に聞くと、なるほどと思わせる説明が返ってきた。
 
現役の記者を呼ぶ。それも、経済部ではなく社会部の記者。問題が起こった場合の多くは社会部担当だから、経済部記者との会見とはわけが違う。だから、頭の下げ方はこうだ、というところから教えるのだそうだ。リスクマネージメントも大変だ。

(2008・5・28)


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