【第2回】ナノテクで化粧品業界に殴り込みをかけた、84歳社長の「川下」発想

(株)ファーマフーズ

機械メーカーが化粧品を開発した
 
こんな会社はめったにないという好例が、ホソカワミクロンである。正確に言うと、この会社の出している化粧品に注目が集まっている。同社の化粧品はネットで売られている 隠れたヒット商品なのである。

と言っても全然ぴんと来ない人が多いだろう。社名からして、おおよそ化粧品メーカーの雰囲気はない。本当は同社の子会社であるホソカワミクロン化粧品が製造しているのだが、話を分かりやすくするために、ここではホソカワミクロンで通す。
 
そもそもこの会社はどういう会社なのか。 東証1部上場企業であるホソカワミクロンの子会社である。ホソカワミクロンは、コピ ー機のトナーなどに使われる粉、つまり粉体を作る機械メーカーで、この粉体技術は世界的なものだ。流行の言葉で言えばナノテクメーカーである。
 
それがまたなぜ、化粧品か? 誰だってそう思う。ここに経営者の識見と意地が見えてくるのだ。

 
そもそもこの話は1994年に社長を退いていた、創業者の細川益男が2003年10月に社長に再び就任した時に遡る。当時、ホソカワミクロンは2期連続で赤字を出しており、銀行は借入金の返済を求め、社長の細川に個人担保も求めた。細川は銀行に出向き、抗議したほどだ。
 
と同時に、こんな思いが細川の脳裏を占めていた。
 
粉を作る機械というのは川上の商品である。ところが、この技術が凄ければ凄いほど、その粉自体を商品として売っている企業の価値が上がる。現実に即して言えば、この 機械を購入してトナーを作りそれを販売したキヤノンなどの事務機メーカーが売上げを伸ばした。
 
一方、ホソカワミクロンはというと、一度機械を納入すると、そのメインテナンスが安定的収入をもたらすのだが、バブル崩壊以降、そのビジネスに変化が起きた。機械自体が中国などでコピーされ、安価で売られるようになったのである。酷い時には、その海外製の安い機械が壊れたときに、修理だけ注文される。バブル崩壊までは確実に存在していた、作る側と使う側の倫理観がなくなり、いきおい同社は収益力に乏しくなった。それが赤字の大きな原因でもあった。そこで復帰した細川は考えたのだ。
 
川下の商品を作らなければならない、と。


肌の奥に浸透させるナノテク技術
 
幸いにして同社の技術力は世界的なものだ。これを使って何ができるか。細川はさまざまな着想から製品開発を試み、試行錯誤を繰り返し、そして、化粧品をターゲットにした。 それもただの化粧品ではない、アンチエイジングの化粧品である。
 
これをつけるとシミが消え、しわがなくなり肌が張りを増す。そのような製品がどうして開発できたのか。ヒントは同社自慢の最先端のナノテクノロジー(1ナノメートルは10 億分の1メートル)だった。

 
元来、化粧品は肌に付けた時に、どこまでその成分が浸透するかで効き目が変わってくる。ところが肌に浸透するには難敵がいるのだ。それが角質層。細胞がびっしりと守りを 固め、化粧品の成分を通さない。成分を通すには、細胞の僅かな隙間を通すしかない。その隙間は、通常70ナノメートルと言われている。つまり70ナノメートル以下で成分を作ればその成分は効くことになる。
 
ところが、その大きさで作った成分は、小さすぎて今度は角質層の細胞に食べられてしまうと言うのだ。
 
ナノテクも大変である。 ここで同社の開発陣は考えた。人間は常に活動しているから、細胞の隙間は時に微妙に 広がりを見せるのだ。広がった時は200ナノメートル程度になる。つまり成分が200ナノメ ートル以下程度なら角質層を通り、肌の深い部分に到達する。だから、効く。
 
そして、もう一つのポイントは成分の届かせ方にあった
 
同社では、ナノ粒子の研究から、ナノ粒子同士を結合させることに成功した。あるナノ粒子同士を結合させると、まったく違った物性を持つことが分かった。例えばそれは、非 常に粘着性が高いが、水分に触れると、ある時間をかけて、溶けてしまうといった物性だ。 この結合したナノ粒子の中にビタミンC、E、Aなどを入れてやる。すると、そのナノ粒子は皮膚の角質層を通って、肌の奥深くに到達する。そこには水分があるから、ナノ粒子は溶け始め、徐々に成分が放出されていく。その結果、成分が効いて、シミは消え、肌は張りを増す。顕微鏡写真で見るとその効果ははっきり分かる。


人間には運というものがある
 
話は長くなったが、こうして生まれた化粧品から同社は、さらに商品開発を進めたのである。
 
それが、育毛剤。現在発売されているあまたの育毛剤もネックは化粧品と同じ。毛根から毛乳頭にその成分が届くかどうかが、決め手なのだが、実際にはそこが難しいとされている。同社はマウスを使った実験などで、市販の育毛剤とは比べ物にならないほど毛が生えてくる成果を導き出した。もっとも育毛剤は医薬品なので、その認可は取っていない。 だから現在は会員制と言う形で限定的に発売されている。こちらも隠れたヒット商品である。
 
そもそもこれらの技術は、経済産業省の国家助成金事業に認定された「ナノテク薬物搬送システム(DDS)」として開発していた。DDSは、先述したナノ粒子を用い、注射や投薬 なしに薬の成分を肺の粘膜などに吸収させ、体内に長時間とどまらせるという画期的なもの。これが化粧品のアイディアに結びついたわけだ。
 
このナノ技術を、同社ではそんな呼び名すらなかった1984年から開発していた。現在、画期的な燃料電池を始めとするさまざまな分野に広げているが、これには、実は、大きな 転換点があった。

 
2002年10月。細川が社長に再度就任する1年前に、細川はある決断をしたのである。それは研究開発部門を分社化し、ホソカワ粉体技術研究所として独立させ、自ら社長に就任 したことだ。 細川は94年に会長に就任してから、自らの影響力を出すまいと、経営に口を出さなくなった。ただ、研究開発会議には参加した。自らが京大工学部出身のエンジニアだから、当然だったかもしれない。
 
だが細川は、それを「人間には運というものがある」と表現した。
「本社所属の研究所では、自由度がない。そこで人を増やし、テコ入れした。分社してさらに増資をした(細川)」
 
02年(9月決算)といえば、設備投資の冷え込みによる業績不振に加え、米国子会社のトラブルもあり多額の特損を出し、50億円もの連結赤字に陥った年だ。ここで研究開発部 門は攻めに出たことになる。
 
結果として、翌年も業績が戻らず、細川は社長に戻るのだが、研究開発に注入した力を元に復活したそのプロセスを「運」と言っているのだ。


事業のために、自分の愛するものも手放した
 
もう一つ、ホソカワミクロンの転換点となったのは、前述したように、それまで機械を作りユーザーに収めるいわゆる機械屋から、最終商品を含むマテリアルの分野へ大きく足を踏み出したことにある。
 
これについて細川はこんな風に解説した。
「昔は機械を作っていると敬意を表されたんです。しかし"粉を作る機械"を作るメー カーより、その機械を使って"粉を作る"メーカーの方が儲かるようになった」
 
それがはっきりしたのがトナーだったそうだ。しかしトナーの生産には踏み込まなかった。お客に対する倫理観故だ。
「それでも以前は部品の注文などがあったが、最近では中国でうちのものをコピーした機械を作らせる。修理だけうちに頼みに来るようなモラルのない企業すら出てきた(細川)」 ことは先に説明した通り。
「3年前に宣言したのです」と細川は続けた。「粉体技術では世界のNo.1であり続けること。それに加えて粉体技術から生まれるマテリアルを作っていくと」


 
それにしても驚くべきは、細川の柔軟な発想力である。そして攻めの姿勢である。80歳を超えてから、会社の再建に取り組む姿勢。一歩もひるまず、業績の落ち込んでいる時に でも積極的な投資を忘れなかったこと。これは特筆に価する。
 
ところで、細川は競走馬の馬主として実は有名な存在である。1997年秋の菊花賞馬「マチカネフクキタル号」もその一つだが、社長に復帰して、銀行から融資を受けなくなった時、書画、骨董、金などと共に競走馬も売ってしまったそうだ。
 
取材を通じて、銀行への思いは随分聞いた。
 
銀行にはいろいろ詰め寄られたが、それでもプライドを全面に出し、会社復活の思いを 実現するために、自らの大切なものを手放した。それこそが82歳にして、会社を復活させた原動力だったのではないかとすら思える。
 
細川に化粧品の話を聞いたとき、自らそれを付けていることを明かしてくれた。
 
その顔にも手にも張りがあり、シミ一つ見いだせなかった。

(2007・12・7)


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