【第17回】勢いで始めた会社を業界大手企業に成長させた「アイディア」と「緻密な戦略」

株式会社 テー・オー・ダブリュー

会社名はトップ・オブ・ザ・ワールド !?
 
大手家電量販店の店頭─。冬だというのに浴衣を着た女の子たちが道行く人に「クイズに参加して」と呼びかけている。この奇抜さに惹かれて通行人は中に入っていく。そこには大手パソコンメーカーの新商品を説明する人間がいる...。

この種のミニイベントは、今では街頭のあちこちで見られる風景だ。勢い、アイディア勝負となる。逆に言えば、請け負う側に立つと、知恵をどれだけ出せるかで仕事を取れるかどうかが決まる。これがイベント業界である。
このイベント業界の草分け的存在が(株)テー・オー・ダブリューである。
 
もちろん同社はミニイベントばかりやっている会社ではない。長野冬季オリンピックや2002FIFAワールドカップなども手掛けた業界大手企業である。2000年にはジャスダック市場に上場を果たした。
 
この会社の成り立ちが面白い。同社の設立の基になったのは1974年。当時慶応大学の学生だった現社長の川村治は「ミス・キャンパスコンテスト」を開催した。当時、公の場で女子大生が水着姿になったということで、社会的な注目を集めたのである。これが大成功した。そして、2年後の1976年、川村らは会社を設立する。それが有限会社テー・オー・ダブリューである。
 
それにしても変な社名だが、これにもいわく因縁がある。イベント会社設立のために喫茶店で準備していたとき、社名をどうするかで悩んだ。その時、背後で流れていた当時のヒット曲、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」にふと耳を留めた川村がこう言った。
「頭文字をとって、TOW(Top of the World)にしよう」
 
しかし、登記しようとすると英文名の登記は認められておらず、仕方なくテー・オー・ダブリューにした。


弁当1食のコストにまで敏感になる
 
さて、素朴な疑問だが、イベント業はそんなに儲かるのか。これについて、川村は「利益は出る。しかもこれから伸びていく業種」と言い切る。
 
どういうことか。例えば、予算1000万円のパーティーがあったとする。その時クライアントはどういう効果が欲しいのか。それによって飲食に800万円、演出に200万円でもできるし、効果さえ出れば、飲食500万円、演出100万円でも可能だ。アイディア勝負の所以である。同社の企画部門は11人で「年間2000本の企画を作っている(川村)」と言う。
 
川村は説明する際によく数字を用いる。だからというわけではないが、同社のコスト意識は半端ではない。また、コストを構成する会場の情報なども大変緻密に考えている。
 
例えば、立食パーティーでも会場の規模と客の人数で出すものが変わる。1000�の会場でお客が1000人なら1人1�。立錐の余地がない政治家のパーティーのようなケースだ。この場合、食事より飲み物が中心となり、手でとる簡単な料理が付く。
ところが実際のパーティーとなると手にとるタイプの軽食はあまりはけない。従って出す量をセーブできる。逆に1人で3~4�スペースがある場合は、食事を出さないとダメ、といった具合だ。
「入社6、7年目の人間ともなれば、東京、大阪の主だったホテルの宴会場についてはスペースから使える電力量までほとんど頭に入っている(川村)」し、それを元に企画を立てる。
2002年ワールドカップの時には、幼稚園児、小学生併せて6000人が参加した。
「その時の弁当は親の数も考慮して12000食。コストが100円違えば、120万円ぶれる(川村)」から、どういう中身にするか、どういう質にするか、十分に吟味した。
 
質を落としてクライアントが期待している効果を落とすのは論外だが、綿密な計算があれば充分に利益を出していけるのだ。


イベント広告に風が向いてきた
 
この業界が伸びている要因として、川村はクライアントの変化をあげた。
「企業が作る商品が、例えばデジタル化の進展によって説明を要するものが多くなってきた。テレビや新聞のイメージに訴えだけの広告ではわかりにくい。そこで情報型の広告やミニ展示会などで、実際に触れ合うことで理解してもらうケースが増えた」と川村は語る。冒頭の「冬に浴衣」はそのいい例だ。
 
その上、効果を追求する傾向が高まり、従来は「総予算10億円」といった総額で予算を提示していたが、今では、広告はA社とB社。プロモーションはC社とD社という具合にあらかじめ発注先を選別して、その分野に強い会社に発注が来るようになってきた。これも得意なアイディア勝負にもちこめる理由だ。年間2000本の企画が生きてくる構図なのだ。
 
そう考えると冒頭のエピソードにも、背景には様々な広告業界の動きがあることがわかる。メーカーは実は当初、TVにスポット広告を出していたが、売れないとなるや今度は店頭でのイベントに切り替えた。つまり店頭でのミニイベントであったというわけだ。企業も四半期ごとに決算を開示するようになり、動きが素早くなってきたことが分かる。


創業時はリヤカーに雑誌を乗せて書店を回った
 
同社は、当初から上記のようにコストに緻密であったり、分析をした上でイベント事業に取り組んでいたわけではない。社名の由来でも書いたように「アルバイトの延長のようにして始めた(川村)」会社である。そんなに簡単に上手くいくわけがない。
 
だから「30歳頃までは転職雑誌を見ながら仕事をしていた」と川村は述懐する。当時、神田のとあるビルの一室で、電気代も払えず苦悶していた彼らは、やはり隣の部屋のベンチャー企業「ぴあ」の矢内社長に「それじゃあ、ぴあを売ってこいよ」と言われ、リアカーに雑誌を乗せ、書店を回ったこともあったという。
 
その彼らから学生気分が抜けたのが20年ほど前。企業として本気になったのが12年前。その時上場を決意した。
「2000年に上場しよう。売上高60億円、経常利益5億円、社員数は70人」と。社員数は売上と利益の規模から逆算して決めた。それまで博報堂と一社取引だったのを、電通など他の代理店にも企画を出し、いろいろな作業をシステム化していった。その結果、予定通り2000年に上場を果たす。売上高59億円、経常利益5億8000万円、社員数もほぼ70人と予定を上回る実績だった。
 
ところで同社は、少し前から中期事業計画の策定をやめた。
「目標数字は大切だが、一方でコストを下げることに注力しすぎると、雑になる(川村)」のを懸念したからだ。IRではアナリストから批判もあるが、実をとっていくのが川村の考え方だ。
 
効果に敏感でもある。こんな事を川村は言った。
「今の時代に、5大紙に同じ全面広告を打つなんてあり得ない。日経と朝日と読売とでは明らかに読者層が違う」。
 
あり得ないことをしている会社が存在している分、同社のチャンスはさらに膨らむことになる。2001年に同社が開講した「イベントプランナーズスクール」も実質的だ。企画マンを養成し、その人を人材として採用していくのだから。
 
その同社が、上場から7年後の現在売上高130億7000万円、経常利益10億5100万円をあげ(19年6月期)、「6年後に300億円」を目指すと言う。随分控えめな目標のような気がする。

(2008・4・1)


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