【第16回】紆余曲折を乗り越えたインターネット老舗企業の実力

株式会社インターネットイニシアティブ

インターネットは儲からないと言われ続けた
 
紆余曲折の見本、と同時に大変魅力的な会社であるのが(株)インターネットイニシアティブ(略称:IIJ)だ。2005年12月には東証マザーズに上場し、翌2006年12月には東証1部に上場を果たす。専用回線によるインターネット接続事業を柱にする同社はインターネット業界では老舗として有名な存在。日本での黎明期に会社を立ち上げ、優れたエンジニアを集め、常に業界のリード役を担ってきた。技術の先進性という点では、日本の代表格といえるほど定評がある。その会社がなぜ、紆余曲折を経たか。そこに日本特有のいろいろな課題が見え隠れするようで非常に興味深いのだ。

社長の鈴木幸一は「会社をやってきて、半分以上いい思いはなかった」と、率直すぎるほど率直に語る。
 
会社設立は92年12月。バブル経済が崩壊した直後であり、当時の郵政省(現総務省)はインターネットに、はなはだ懐疑的だった。郵政省に国際特別二種という枠で通信事業者の認可を得ようとしたが、その認可が下りないから事業がスタートできない。しかも、大手企業に行くとインターネットなんて使い物にならないと言われた。
「アメリカではこんなに進んでいるのだから、絶対に日本でも普及すると信じた(鈴木)」が、1年半もその状態が続くと、社員も「もうダメなんじゃないか」と思い始めた。鈴木は「打倒NTT!」と、大きくぶち上げるが、現実はあまりに厳しかった。
 
しかし、何とか食いつないだ。同社主催のセミナーを開催し、「カネが入ると、それをみんなで分配して給料の代わりにした(鈴木)」こともあった。
 
面白いのは、それでも人が辞めていかなかったことだ。なぜ、との問いに鈴木は「うーん、独身者が多かったしね。大体自宅から通勤できるというと採用するとかね」とはぐらかすように答えた。この話は後に譲ろう。


米ナスダック上場から一転、子会社が破綻
 
そんな中、郵政省も条件付で認可する方向に向いた。3年間無収入でも事業が継続できる資本があれば認可すると。鈴木は必死でカネを集めた。94年2月のことだった。
 
売上は徐々に伸びていき、その94年度は10億円、95年度は40億円、翌96年度は80億円とまさに倍々ゲームで成長していった。
 
鈴木は、インターネットがさらに拡大していくためには「NTTが参入すべき」と持論を展開し、業界の顰蹙を買ったが、実際にNTTが96年に参入し、業界はさらに成長の速度を早めた。
 
こうした波に乗り、IIJは、99年に米ナスダック市場に上場を果たした。
「NTTとの競争もあるし、やはりインターネットの本場アメリカに上場したいと考えたんですね」と鈴木は述懐する。当時の売上が130億円くらいで、「欧米から70億~80億円は調達できましたから、それなりに評価されていた」といえる。
 
これで順風満帆のはずだった。ところが、である。ナスダック上場の前年に作った子会社クロスウェイブが今度は足を引っ張った。
 
クロスウェイブとは日本発のデータ通信専用の通信会社だった。インフラ会社などはNTTに任せておけばいいのにと素人は考える。しかし、鈴木の考えは違った。
「自分たちでインフラを作る。しかもNTTより技術の高いところがやらないと競争にならないから(鈴木)」
 
クロスウェイブ設立は自分たちの技術を信じた、その自負から生まれたものだった。トヨタとソニーから出資を仰いで万全の体制のはずだったが、結果は失敗に終わる。
「結果としては早すぎたかもしれないと言われた(鈴木)」が慰めにもならなかった。悪いことは重なるもので、これに、ITバブルの崩壊が重なったのだ。環境は最悪、そしてIIJは赤字に陥った。
 
クロスウェイブは2003年8月に会社更生法を申請し、本社の経営を資金面で圧迫した。やむなくIIJは第三者割当増資を行ない、9月にはNTTグループが筆頭株主となった。クロスウェイブの事業はNTTコミュニケーションズに営業譲渡した。


売上高1000億円が視野に入った
 
しかしこれを契機に同社は体質改善がはかられ、骨太さを増していったのも事実だ。例えば、技術者優先の文化でマーケティングが弱い社風が一変した。
「エンジニアも営業の中で働くようになり、2003年度下期からは黒字に転換した」と鈴木が言うように、その後、現在まで増収増益を続けている。2007年3月期は売上高570億5500万円(前期498億1300万円)、営業利益35億円(同24億1100万円)を挙げた。前期が過去最高益だったので、今期はさらにそれを更新したことになる。
 
では同社の体制に死角はないのか。例えば、この業界は常に価格の下落と対峙している。それだけに利益水準がいずれ落ちることはないのか。あるいはインターネットそのものの普及がかなり浸透しており、市場に成熟感はないのか。
「日本は今でさえ、メインフレームへの投資が50%以上の国です。そもそもインターネットのカルチャーがない国だから、チャンスは大きい」と鈴木は主張する。例えば、同社の柱になってきたシステムインテグレーション事業にしても「インターネットベースのシステムインテグレーションというのは、まだ少ないから(市場は)非常に大きい(鈴木)」
 
こうした鈴木の自信の背景となっているのは、同社の技術力の高さなのだろう。
「うちは売れる商品の開発もやっています。そういう商品が世に出つつある」と鈴木は顔をほころばせる。苦労したものが報われてきたというのだ。
 
同社はこの4~5年の成長率を毎年10~15%と置いている。もし15%でそれを実現するとなると売上でほぼ1000億円の企業になる。
ところで、鈴木はよく「技術」という言葉を口にする。
「日本でインターネットが始まった頃の初期のエンジニアが残っている唯一の会社(鈴木)」だということが同社の誇りであることは間違いない。そして、スペシャリストたちをして「仕事が面白い」という環境を作り続け、そして若い人を教育し鍛えていったのが、文系出身で日本能率協会からこの会社の設立に転じた鈴木の役割だった。会社発足当初の絶望的な時期になぜスペシャリストたちが辞めなかったのも、そういう場を提供した鈴木あってこそだったのだろう。
「しょっちゅう喧嘩をしたし、よく飲んだ(鈴木)」という鈴木の泰然自若とした大らかな性格がこの会社を現在に導いたといったら言い過ぎだろうか。

(2008・3・25)


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