【第1回】世界有数の風力発電事業を持つ、山口の不動産会社の心意気

(株)原弘産

世界3兆円市場で風力発電の受注残150基
 
風力発電といっても日本人にはピンとこないかもしれない。曰く「晴れている日ばかりではないのに安定供給ができるのか」、「発電量が小さすぎてお話にならないのではないか」、「意外に音がうるさい」等々。

確かに日本ではそうかもしれない。しかし今、世界の風力発電市場は3兆円あるというのをご存知だろうか。3兆円の市場のうち日本は僅か300億円で、中国(2500億円)、インド(3000億円)、アメリカ(5000億円)と世界には山ほど売り先があるのだ。こういう国ではあまり音も安定性も関係ない。
そして今、風力発電の世界で非常に注目されている会社が日本にある。それが、(株)原弘産だ。同社は今や世界でも有数の風力発電会社、原弘産ヨーロッパ(本社:オランダ)を有している。また、中国・湘南省に合弁会社を設立し、新工場を稼動させている。昨年の実績は僅か22基だが、1年で受注残が150基もあるのだ。単純計算すると1基3億5000万~4億円として、売上は525億~600億円近くにも上る計算となる。
 
同社の昨期の業績は売上高528億4100万円(うち環境事業31億700万円)であるから、この風力発電事業のインパクトと将来への貢献が如何に強いかが分かる。
社長の原将昭は「中期計画では2010年に(同社の)売上高1500億円を計画しているが、その時は50:50になる」と言う。つまり三年後には風力発電事業単独で750億円の売上高になると言うのだ。
風力発電メーカーとしての原弘産の輝かしい将来像が見えてくる。


営業に素人の男が作った不動産会社
 
そもそも原弘産は不動産会社である。
社長の原将昭は1970年に積水ハウスに入社した。設計部門にいたが、78年、図らずも営業に出ることになった。同社の戦略展開上での異動だった。しかしこの時の営業へ異動が原の運命を決めたのだから、人生は分からない。
営業にはど素人の原が、考えたことは当然他の人間とは変わっていた。
「当時社長は『住宅しか売るな』と言っていたので、『アパートも住宅ではないですか』と言ってアパートを売り始めた(原)」というのだ。
自らのいた下関地区で、このアパートを爆発的に売った。地主を回り、アパートを建てた家の税務申告も手伝い、抜群の信頼を得た。税理士や弁護士の代わりもしてあげたことになる。そして、昇進して本社に帰るときに節目が来た。
転勤の挨拶にいった先で、お客に怒られたのだ。
「積水ハウスに頼んだのじゃないお前に頼んだんだ」と。
「資本金を出すから独立しろ」とも。
 
そこで独立した。36歳だった。今度はそのお客がアパートではなくマンションを作ってくれと言い出した。自らは建築士でもある。その要望にこたえる形でマンションを作った。妻と二人で何でもやった。
ところが、住宅地にマンションを建てると反対にも遭う。近隣への説明にも回った。建てば建ったで、ごみの問題に悩まされた。入居者はごみ当番をしない。ゴミの分別をしない。だから、軽トラックを買ってゴミ捨て場の掃除から、ゴミの仕分けまでして、処分場へ持って行った。これを8年間も続けたのだ。
ここで、環境問題に目覚めた。リサイクルを行なった。各戸にディスポーザーを付け、下水道に直接流さず、浄水器に通してから流すというように工夫した。ゴミを出さないマンションを作ったのだ。そして、マンションの中はオール電化にした。
それでも、電気を使うということは、電力会社から買うということだから、発電に使う石油のことを考えると完全なエコとは言いがたい。
それで、とうとう屋上には太陽光発電をつけた。完全なエコマンションを実現させたのだ。このエコマンションは後に経済産業大臣賞を受賞することになる。


オランダの風力発電メーカーを買収できた理由
 
原の取り組みは休む暇がない。エコを実現したらしたで、太陽光よりもっといい発電はないかと考えて、折から進められていた電力自由化に乗り、風力発電に取り組むことにした。風力発電所を作ったのだ。
「3億6000万円を投資しました。1kw11.5円で卸せたので、東京電力へ話しに行くと5~6円なら買うと言われた。あっちは24円で売っているのにね。それに風力発電機は2億円で出来ると笑われた(原)」
 
そこで当時最先端の風力発電機を作っているオランダのラガウェル社に交渉に行った。しかし日本の代理権は別のところが持っていた。粘りに粘り、新型機種については、別会社を作って原弘産とやってもいいとまで言わせた。
ところがここで問題が起こった。ある日、ラガウェル者の社長から電話が入ったのだ。緊急の用事だという。聞けば、ラガウェル社は倒産寸前だったのだ。その一報が先方の社長から入るほど、二人は既に昵懇の仲になっていた。
「いろいろ買いに来ているがお前のところで買ってくれないか」と言う。
すぐにオランダに飛んだ。
 
現地で通産大臣に面会し、弁護士とも相談した。新会社を作り、技術だけ買う形で、そこに社員を移籍させることで話をまとめた。睡眠もとらず、4日間で決めたことだった。最初にオランダに交渉に行ってから、2年間が経っていた。
「特に技術の優秀さが決め手でした。当時の平均的な発電量は750kwだったが、2000kwに成功してましたからね(原)」
 
こうして、原弘産ヨーロッパが誕生し、同社は風力発電の有力メーカーとなった。


追い詰められた時に、さらに力を発揮する「原パワー」
 
ところで、同社は2001年大阪証券取引所第二部に上場している。不動産会社として、同社のエコマンションが「新エネ大賞」経済産業大臣賞を受賞する前年の話だ。
 
この上場前に落とし穴があった。新興市場など本当の上場じゃないとばかりに大証2部を目指したのはいいが、そのために銀行からカネを借りて開発を進めた。1996年頃の話だ。
下関市から山口県全域に開発を広げたのだ。
「ところが、山口県と言っても東と西では全く商圏が違う。そんなことも気付かずに開発をした結果5戸しか売れてないというマンションが出た(原)」
 
ここからが原の真骨頂だ。社員3人と社長とで、そのマンションの地域で戸別訪問を行なった。1人1日500軒、4人で2000軒を回った。毎日早朝に車で出かけ、朝の新聞配達の後ろにくっついて、チラシを各戸に入れていく。その後各戸を回る。くたびれ果てて帰る、そんな毎日を続け、とうとう完売したのだ。
 
原の真骨頂はここにある。
実は、原の力は、この追い詰められた時により力強く発揮されるのだ。設計者として入社した積水ハウスでも、営業に回されるという、普通の人ならばとんでもないと思うような時に力を出す。他の人間なら会社を辞めてしまいかねないような時に、この力が出るというのが面白い。
独立した時もそうだ。マンションを作り、住民の反対を説得して歩き、しかもマンション住人の責任なさに、淡々とゴミ置き場の掃除やゴミ分別に取り組む。ここには計算が働いているわけではない。仕方がなかったのだろう。
しかし、これを淡々とこなしたからこそエコに目覚め、終には風力発電という大事業にまで取り組むようになるのだから、事業というのは分からないものだ。この粘り強さはどこから来るのか。原はそれには答えず、淡々と語るのみである。
同社は、本業の不動産事業でも近年東京圏にも進出し、実績を出してきている。
「東京のビジネスはいいですね。客並ばせてマンションの合同契約会をやっている」と、ここでも原は苦言を呈す。これが本当のサービスか? と問うているのである。
この分でいくと、不動産と風力発電の原弘産の名はさらにメジャーになるに違いない。

(2007・11・26)


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