【来た!見た!書いた!】 大阪の百貨店の新装開店に見た日本経済の「光と陰」

6年の歳月をかけた改装に沸く梅田の劇場型百貨店

 新年を迎えた1月2日、阪急百貨店のうめだ本店(大阪市)を訪れた。改装に6年の歳月をかけて2012年11月に全面開業した阪急うめだ本店は、この日が今年の初営業日。地下の食品売り場では、うめだ本店と江崎グリコなどによる共同企画の高級ポッキーブランド「バトンドール」に長い行列ができ、各階の婦人物のブランドショップや9階の特設のセール会場も多くの客でごった返していた。
 新しいうめだ本店が掲げるのは、高級ブランドなどで他店を圧倒する品をそろえ、所得水準の高い消費者を西日本全域から呼び込む戦略だ。この日、関東から大阪への里帰り中に初売りに訪れた40代の主婦は「アウトレットを利用することが多くなったけれど、やはり阪急が一番よいものがそろっていて、サービスも良い。改装が終わり、売り場が広がったのでこれからも利用したい」と話す。
 うめだ本店は地下2階~地上13階の15層で、売り場面積は旧本店より3割多い8万平方メートル。開業初年度の来店客数は約5000万人を見込み、初年度の売上高は阪急メンズ大阪を含めて2130億円を目指している。

 もうひとつの特徴は「劇場型百貨店」。例えば9~12階には4層の吹き抜け空間「祝祭広場」を設けた。新年には、ここにその場で商品券が当たる「1万人の大福引」や人気婦人服ブランドの福袋コーナーを設けるなどして、来店客の滞留時間をできるだけ長くするような工夫を凝らしていた。

新装開店の大賑わいも実態は今ひとつ?

 新聞各紙の報道によると、2日の開店前には前年より1000人多い7000人が並んだという。阪急に限らず、百貨店や家電量販店の初売りは総じて堅調だったようだ。衆院選前から進んだ円高の修正や株価の上昇を背景に、消費には上向きの兆しが見えてきたようだ。   
 ただうめだ本店を歩き回って、少し気になることもあった。改装工事に入る前の2000年代半ばにも新年2日の初売りに訪れたことがあるが、その頃と比べると人の出が今ひとつのように感じられたからだ。
 当時は福袋などを目当てに客が殺到し、入口では入場制限をしていたし、婦人服やアクセサリーの売り場は人が多すぎて身動きがとれないほどだった。
 各ショップの福袋にも、2日午後の段階では売れ残りがあった。 特に高額の福袋ほど売れ残っている印象が強かった。
 うめだ本店は改装前と比べ面積が3割も増えており、混み方だけで消費の動向を決めつけるのは適当ではない。だがそれでも、2000年代半ばと比べると、阪急百貨店の初売りに来る客たちから、殺気だつような購買意欲が薄らいでいるような気がするのだ。

百貨店「オーバーストア」状態の背後にあった家電の元気

 考えられる1つの理由は、大阪の百貨店の供給力が過剰になっている点だ。
大阪駅・梅田駅周辺には阪急のうめだ本店以外に、同じエイチ・ツー・オーリテイリング(H2O)の阪神百貨店の梅田本店、J・フロントリテイリングの大丸梅田店、三越伊勢丹ホールディングスの大阪三越伊勢丹の4つの百貨店がある。
 2011年4月の大丸の改装、同5月の大阪三越伊勢丹の開業、そして阪急の大幅な改装開業で4つの百貨店の売り場面積は計26万平方メートルとなり、同じく百貨店が集中する東京の新宿駅周辺の約21万平方メートルを大きく上回る規模になった。
 範囲を大阪市内に少し広げると、競争はさらに激しい。ミナミでは高島屋大阪店、大丸心斎橋店が改装・増床し、日本一高い「あべのハルカス」に入る近鉄百貨店阿倍野本店は2014年に全面開業する計画。大阪市内の百貨店の売り場面積は2005年と比べると5割以上増え、完全な「オーバーストア」状態になっている。
 一方で百貨店の市場は縮小している。大阪地区全体で、この5年間で百貨店の売上高は2割弱減った。百貨店の売上高が下がる傾向は大阪に限ったことではない。ただ、より気がかりなのは、電機など大阪にある主要企業が勢いを失いつつあることだ。大勢の社員を抱える製造業の衰退は、従業員のリストラや所得減を通じて、地域の消費の力を徐々に衰えさせる。
 大阪の百貨店の増床・新築計画が相次いで発表された2000年代半ば。大阪に本社を置くパナソニックやシャープは「国内でのものづくり」を掲げ、関西周辺に大型投資で工場をつくり、日本の製造業を牽引していた。こうした大阪の元気のよさが、百貨店の強気な計画を導いたともいえる。

デパートの顧客「中産階級」にがたがきている

 だがパナソニックやシャープはテレビやスマートフォンの市場で米韓の企業に遅れ、リーマン・ショック後の円高も重なり、急速に競争力を失っていった。大阪府の調査では、府内で働く人の約43%は非正規労働者で、全国平均の35%を大きく上回る(2011年)。新年の大阪の百貨店にところどころのぞく「元気のなさ」は、こうした関西企業の失速による所得の減少が影響しているのではないか。
 阪急電鉄の創業者、小林一三が大阪の梅田駅に「世界初のターミナルデパート」阪急百貨店を開いたのが1929年のこと。ターミナルデパートを可能にしたのは、阪急電鉄沿線をはじめとした京阪神圏に、デパート=百貨店での買い物を楽しめる「中産階級」の層ができつつあったからだ。
 それから80年あまり。小林が構想したターミナルデパートは日本中に広がり、大阪はターミナルデパートの最も激しい競争地になった。だが百貨店の表面的な興隆とは逆に、その前提となった「中産階級」に、がたがき始めている。
 表面的な華々しさと、それを足下から揺るがす経済構造の変化。大阪の百貨店の姿には、日本が直面する経済成長の限界や所得の減少、企業の競争力衰退の問題が凝縮されているのかも知れない。


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