2011年11月22日

【序説】第1回

・インタビューは面白くなりにくい
・馬鹿馬鹿しい限りの頭取インタビュー
・オーナー経営者の話にはドラマがある

インタビューは面白くなりにくい

おもろい会社というものは世の中にそれほど数多くはない。「だから」というべきか「でも」というべきかは定かではないが、おもろい会社に出会うと、わくわくするような気分になるのである。

この場合何に対してわくわくするかというと社長(ほとんどはオーナー)の話に対してである。社長が起業したきっかけや、経営の危機を迎えた時にどうやって乗り切ったか、はたまた大ヒットはいかにして生まれたかなど、それぞれにドラマがある。そのドラマはそれぞれの社長の個性が出ており、なかなかユニークなものが多い。時々はほろっとさせられるような人情物的な話もある。だからこういう機会があると、私はいつでも飛びつくのである。
「そういうインタビューならやりたい」と。

これは業というより他はない。世の中にはいろいろな素晴らしい経営者がいるが(あるいは人物がいるが)、有名な大企業のトップに話を聞くと概して面白くないものである。もちろんそれにも例外はあるのだが、それはまた後で説明しよう。

私が以前に経済週刊誌の編集長を務めていた時に、編集後記を除く、私の唯一の担当として「編集長インタビュー」というコーナーを持っていた。インタビュイー(インタビューされる人)は主に大企業の社長が中心だった。当初は......。
何故勿体ぶったような書き方をするかというと、ある時を境に方針を変えてしまったからである。

そもそもインタビューというページは話が面白くなりにくい。なぜなら、インタビュイーの話が面白い場合に限って中身が面白くなるからだ。もちろんインタビュアーの力量が問われるのも事実だ。しかし、何を聞いてもぼそぼそっとしか答えないような人がいるのもまた事実である。特に大手企業の場合、経営者である社長が出てきても発言できることが限られており、話が建前に終始することから中身は面白くなくなる。もちろんあの手この手で話を振って真意を聞きだそうとしたり、本音を引き出そうと試みたりもするのだが、なかなか壷にはまらず苦労をするのだ。そんな状態のままインタビューが終了した時は自分自身、身体の疲れが倍加したように感じ、まさにイグゾーストの状態に陥ってしまうのである。
で、なぜある時を境に方針を変えたかというと、これでは埒が明かないと思ったからだ。


馬鹿馬鹿しい限りの頭取インタビュー

こんなインタビューがあった。
1997年頃の話。つまり今から10年前。某大手銀行頭取室。広い部屋だった。優に100平米はあるだろう。私はソファに座り、向かいのソファ(といっても5メートル以上離れているが)にその銀行の頭取が座っていた。間には真四角の大テーブルがあり、それぞれ左横には『週刊ダイヤモンド』の金融担当記者、その隣には先方の広報部長が座っていた。

さてインタビュー開始である。実はこのインタビューには伏線があった。事前に質問内容を求められていたのである。その件を担当記者に言われたので、インタビューというのは当意即妙の面白さがあるのだから、事前に質問内容をいうことはしない、と真っ当なことを言ったつもりでいた。しかし間に入った記者は広報部からせっつかれ自分でこんな質問じゃないかと、質問内容を作成し先方に渡してしまっていた。もちろん事前に私にもその質問内容を見せ、こんな感じで出しておきましたといったものである。私は頷いたが、内心穏やかではなかった。

インタビューがスタートすると、驚いたことに件の頭取は自分の横に置いてある厚さ20センチくらいの書類の束に目をやり、それを見ながら答えるのだった。アンサーペーパーが用意してあったのだ。しかもそのアンサーペーパーを棒読みなのだ。
そりゃあないだろう、である。

私はすぐさま方針を転換し、あらかじめ出してない質問をし始めた。すると、頭取は横の広報部長に目をやる。すると広報部長が「それについてはですね......」と答え出したのだ。私が怒りを通り越して、唖然としたのは言うまでもない。
後で担当記者にこの件について文句を言うと、「あそこはずっと前からそうなんですよ」と言う。前の頭取の時も取材に来た記者に「これで頼むよ」と用意したアンサーペーパーそのものを渡して後は世間話に興じたそうだ。つまるところこの銀行の取材対応は常にこうだったというわけである。

こういう会社があったのだ。

ちなみにこの会社がこのような方法を取っていたことについては理由がある。その理由を説明すると、これまた長々とした話になるので、長年に亘って澱が溜まっていたとだけ記しておこう。


オーナー経営者の話にはドラマがある

もちろんこれは極端な例である。ほとんどの大企業の社長は私の質問に真摯に答えてくれた。しかしこれが前述した通り面白くないのである。
で、ある時ベンチャー企業に注目した。当時は第三次ベンチャーブームなどともてはやされていたが、つまるところオーナー企業なら面白いだろうと単純に思ったのである。
これが大正解だった。どの社長の話も面白いのである。

面白いというのはどういうことか。中身があるということだ。どんな社長でも、会社を立ち上げたきっかけがたいした理由ではなくとも(たいした理由のほうが少ないかもしれない)、会社を成長させたその過程には必ずドラマが存在する。だから面白いというきわめて単純な話なのである。
しかし、だれもが思わず耳を傾けるような話なのである。会社を立ち上げたときにカネがなくどうやってやりくりしたか。これだと思って出した商品が全く売れずに困った時どんなことをしたのか......。

こんな話もあった。

会社が倒産するから従業員に辞めてもらうよう説得したが、従業員は辞めずに残って頑張り、すると思わぬ事業が大ヒットして蘇生したという......。こんな眉に唾をつけたくなるような話さえ、事実として存在したのである。
ただ難点は、こうしたベンチャー企業の経営者の話は、だれもが聞きたいようなテーマだったかということである。

多くのビジネスマンは、やはりトヨタやホンダ、ソニーに松下電器産業といった企業の経営者が出てくることを期待している。そういう人の話を聞いてみたいと思っているのだ。私がインタビューした当時、これら企業経営者の話はもちろん面白かった。トヨタの奥田社長、ソニーの出井社長、ホンダの川本社長、松下電器産業の森下社長(いずれも当時)らは、それぞれに懐が深く、それぞれに深奥な戦略を語った。こういう人がやはりビジネスの本流であり、ベンチャー企業の経営者はそうした流れの中では刺身のつま程度に考えられていた。

もちろんニュービジネス協議会など、ベンチャー企業台頭の必要性を説く企業経営者も散見された。しかし、現実にはまだまだベンチャー企業といってもその地位は低く、傍流、亜流とみなされていたのである。大手企業は、だから自社の分野でベンチャー企業が急成長してくると一気に潰しにかかる。そうして、消えていった企業も数多い。
実際に私がインタビューしたベンチャー企業の経営者の中でもある新興のコンピューターメーカーでは部品の多くを大企業に頼らざるを得ず、急成長したが、部品供給をストップされて、あっという間に業績が急落して消えていった。

このような状況ではあったが、それでもベンチャー企業には何よりも話の面白さという魅力があった。そして、このような取材を重ねるうちに、単に面白いだけでなく、こうした企業のパワーが日本の産業に必要な活力だと考えるようになったのである。

(2007・11・26)

【序説】第2回

・ベンチャー勃興を作った大不況とIT化
・コストコンシャスなビジネスが注目された
・キーワードは「構造変化への対応」

ベンチャー勃興を作った大不況とIT化

近年ベンチャー企業が勃興してきたことには時代背景が大きく作用している。

1992年頃からのバブル崩壊で、日本の産業は著しい痛手を受けた。不良債権の拡大に金融機関をはじめとする大企業が喘いだ。政府は規制緩和を軸に内需を盛り上げるのに賢明だったが、規制緩和の恩恵を蒙ったのは、出資規制等で日本国内に拠点を得られなかった外資企業であり、金融の破綻とあいまって、こうした外資が躍進していったのである。

こんな状況下で、意外にもベンチャー企業の勃興は勢いを増した。

それを後押ししたのがITの進展と大手企業のリストラクチャリングである。コストを著しく圧縮する必要に迫られた大企業(そして中堅企業)は、不良資産の処理や、不採算事業からの撤退といった大きな改革に手をつけ、一方で組織のスリム化にも動いた。まず、内省型で行なっていた多くの業務をアウトソーシングする方向で動いた。同時に、当時盛んに言われた組織のフラット化(指示命令系統をピラミッド型から、間に関与する人間を減らすことにより情報流通をよくする動き)を進め、当時まだ部門に数台という形で設置されていたPCを一人一台に変え、いわゆるIT化を進めていった。

ここでいろいろなビジネスが生まれた。

世の中が(企業の力によるところが大きいが)ネット化されていくことで、一気にビジネスチャンスが生まれていったのである。

このネットを利用したビジネスを、ITビジネスと呼んで(本当はITでもなんでもないのだが)持て囃したことで、多くの一攫千金を夢見る人たち、特に若い人たちのネット事業への参入が相次いだ。


コストコンシャスなビジネスが注目された

しかしベンチャービジネスは、実はネット分野だけでなく、もっと大きな広がりを見せることになる。そのキーワードは「コストコンシャス」である。コストコンシャスといっても分かりにくいかもしれないが、要はコストダウンに繋がるサービスを提供するビジネスで、その代表がアウトソーシングである。

これにはさまざまな理由があるが、最大の理由は企業がコストダウンに迫られたことによる。大手企業は不良債権処理を進めるために資産を売却したり、不採算部門を整理したり、またそれに関連して人員の整理を進めた。資材の購入や取引においても見直しを進め、既存の取引先はおろか、系列企業といえど取引を見直されたため、大手企業から始まったコストダウンの波は、中堅企業、中小企業にまで及んだ。

この波に乗るようにして人材のアウトソーシング事業が進み、派遣社員が企業内に増えていったし、部門ごと事業を引き受けるといったビジネスが起こってきた。あるいは、部門ごと外に出して独立させるといった手法も見られた。


キーワードは「構造変化への対応」

こうしてさまざまなベンチャーが勃興してきたのだが、成功したところは数少ない。ネット系だから成功したか? 答えは否。アウトソーシングと言っても失敗した企業は多い。つまり、世の流れに乗ったからといってビジネスは成功するとは限らないのである。まあ、そう言っては身も蓋もないのだが、逆に言えば、成功した企業には一つのキーワードがある。
それは何か。

それは「構造変化」という言葉だ。構造変化を捉え、この構造変化に対応すべくビジネスのスキームや、商品やサービスの中身を考えた企業――。こんな企業が成功した。

そして、こういう会社の中に「おもろい会社」が多いのである。

第三次ベンチャーブームといって数多くのベンチャーが世に出てきたが、本当に成功する企業は当然のことながら数少ない。唯一成功したのは、時代が大きく変わりつつあった当時に、その構造変化に目をつけた企業なのである。

この「構造変化」という言葉は分かったようで分かりにくい。具体的に言うとどういうことなのか。その辺りを次回に取り上げたい。

(2007・12・7)

【序説】第3回

・「構造変化」の中身と正体
・バブルが崩壊せずとも不況になった?
・グローバル化の持つインパクト

「構造変化」の中身と正体

世の中に構造変化が起こっているということは、なかなか実体験として把握しにくい。せいぜいが経済学者やエコノミストから指標を元に説明を受けると、ああそういうものかと理解する程度である。

しかし構造変化は近年確実に起こっており、今なおその変化は連綿と続いているのである。

構造変化のいちばんキーになるファクターは人口動態の変化である。人口動態の変化で社会が変わる。例えば戦後の日本社会は紛れもなく奇跡的な発展を遂げたが、この背景に戦後のベビーブーマーという大市場が存在したことを抜きにしては語れない。
 戦後、復活も危うかった日本が朝鮮戦争の特需でカネヘン(鉄鋼)、イトヘン(繊維)を中心に復活し、農業国の道を歩まず、工業国として再興していくと同時に、この戦後生まれの人たちの世代向けにあらゆる商品が供給され始めた。小学校に入ると勉強道具に参考書、ティーンエイジャーになればファッションが台頭し、若者向けの雑誌が全盛を極める。働き始めるとスーツや車、結婚すれば家財道具に家電製品、子供が出来ればベビー用品、そして家の購入、とまあ、人口の多い世代に向けて物を作れば売れていったよき時代でもあった。これに加えて、家電製品やAV機器などが性能的にも機能的にも進歩し、消費意欲に目覚めさせていったのだ。日本にとって非常に分かりやすく商品を開発しやすい消費のパターンが存在した。そして、この世代は大学進学率も上がり、そのまま知的労働力として日本の産業を支えるに至ったのである。


バブルが崩壊せずとも不況になった?

もちろんこんな単純な議論で日本の戦後の経済成長を語るわけにはいかない。しかし、構造的にベビーブーマーの世代(市場)があったからこそ、日本は生産においても、消費においても活力を発揮できたわけである。

余談だが、日本のバブル経済が崩壊した90年代前半は、ベビーブーマーが40代半ばを越えようとした頃である。行き過ぎたバブルと、急激なショック療法ともいえる総量規制によって、企業が不良資産を抱え、大不況の時代が訪れるわけだが、別の視点で見れば、ちょうどベビーブーマーも子供たちの教育費と家のローンが嵩む時期であり、しかも人口が多くとも管理職の枠は狭められていく、つまり日本の消費の中心に位置付けられていた世代が経済的に苦しくなる(=消費が減退する)時期でもあった。その観点から分析しても、経済の停滞は不可避的であったというのは言い過ぎだろうか。

参考にしてもらいたい図がある。米国と日本の戦後の人口動態の変化をイメージとして表した図である。この、変化を見ると、経済がどのように動いているかがよく分かる。50年代の米国。70年代の日本、そして90年代に復活を遂げた米国、そして2000年代以降期待できる日本と、人口動態の変化からだけでも、いろいろなものが見えてくるから不思議である。

バブルが崩壊せずとも不況になった?01
バブルが崩壊せずとも不況になった?02
バブルが崩壊せずとも不況になった?03


グローバル化の持つインパクト

さて、その構造変化である。

人口動態の変化もさることながら、バブル崩壊以降の10年間は、社会の構造が劇的に変わった10年でもあった。

何が変わったのか。

まず、世界の経済体制が変わった。1989年のベルリンの壁が破壊され、東西ドイツが一つとなって以来、共産主義、社会主義の国家体制は次々に崩壊し、これによって世界が市場主義経済へと向かった。中国のように共産主義をイデオロギーとして保持している国家においても、経済は市場経済である。

数年前、中国の北京に行った時、ガイド兼通訳の若い女性が、こう言ったものだ。
「私たちの父の時代はみんな働いても、働かなくても同じように給料をもらえて生活できた。だからやる気のある人もやる気がなくなり、それで中国は駄目になったんです。でも、私たちは違います」

私はその最後の言葉に、中国の活力を感じた。

経済のグローバル化という言葉はこの頃に出来てきた言葉である。世界のどの国も市場主義経済となり、まるで地球が一つの大きなマーケットとして捉えられることになるから、極端に言えば、世界のどこで生産しようと、どこで物を売ろうと関係ない時代に突入したのである。「世界適地生産」、「世界適地販売」が可能となり。日本の大手企業の多くが、世界戦略を練り始めた。あるグローバルに展開している大手企業の社長にインタビューした時に、「本社は日本でなくともよい」と豪語していたのをよく覚えている。

そしてこのグローバル化の動きを促進させたのが、デジタル技術によるさまざまな技術の進展である。PCはその代表で、さらにインターネットが生まれたことで、情報ネットワークの構築が世界中でなされ、アフリカであろうとアメリカであろうと瞬時にコミュニケーションが可能となった。そして情報の流通も瞬時に行なわれ、金融を一とした多くの情報が世界中を飛び交い、まさにネットワーク社会が到来したのである。

(2007・12・14)

【序説】第4回

・塩漬けになっていた不動産が流動化された
・「いいものを安く」しなければ売れない
・そして、おもろい会社は生まれていった

塩漬けになっていた不動産が流動化された

グローバル化とIT化で世界の構造が変化し始めた頃、日本の多くの企業は構造変化のために喘いでいた。世界の劇的な構造変化に対応しなければならない反面、目先の喫緊の課題である、自社の不良債権処理や不採算事業からの撤退を含めた事業の再構築に追われていた。

コストダウンという言葉が、戦時下の標語でもあるかのように叫ばれ、日本の強さとされていた「系列」や「既存取引先」が見直されていき、少しでも安い調達を企業が心がけるようになった。そのため、生産を中国やベトナムなどに移転し、コストを切り下げ、売価を安くすることによる効果が出始めたが、一方そのサイクルがデフレへと日本を導いたのである。

また、規制緩和が進んでいたことから、外資の進出が顕著となり、特に不良債権化していた不動産が、さまざまな金融技術を駆使した手法で流動化されていった。破綻した多くのゴルフ場、リゾートホテル、地方自治体が作ったわけの分からないテーマパーク、地上げし損なった都会の狭い空き地、そして大企業が持つ福利厚生施設や工場跡地、遊休地などが、次々と再生、再利用に向けて動き始めたのである。

付け加えておくと、構造変化を叫びながらいちばん対応が遅れたのは政府そのものである。お為ごかしのような省庁再編、政府系機関の民営化も、もめにもめた。未だにそれが実効性のある方法だったか、疑問の声を差し挟む人は多い。


「いいものを安く」しなければ売れない

世を挙げて構造変化への対応が進展する中、キーワードになっていったのは「いいものを安く」である(「いいものをそれなりの価格で」とも言えるが)。

その筆頭は、有名なユニクロだ。ファーストリテイリング社の戦略はまさに「いいものを安く」を地でいっていた。デザインをニューヨークで行ない、その型紙を中国に持っていき、生地の調達と縫製を行なう。日本での販売では、店舗は飾らず、商品を無造作に陳列し、それがまた新鮮に映った。

その手法は、今までにないものだった。

ファッションだけではない。バブル時に建てられたゴージャスなゴルフ場は主に外資系ファンドにより割安のゴルフ場として再生した。膨大な建築費を払って建てたゴルフ場でも、破綻後であれば安値で買い取り、その安値をベースに収支を考えられるため、割安の料金設定が可能だったのだ。

商品ではないが、派遣サービスの膨張ともいえる伸展は、やはり「いいものを安く」の感覚にマッチしていた。特に大企業において、いわゆる一般職を縮小し、非正規雇用である派遣の人材と置き換えていったことは大きな意味がある。企業は正社員を雇用することによって、給料以外にもさまざまな経費を負担する。そうしたフリンジ・ベネフィットを考えなくともよい派遣社員は「いいものを安く」のコンセプトに合ったサービスだった。

企業間のM&Aの伸展も、「いいものを安く」というコンセプトにぴったりの手法だった。

例えば、ある製造業が、新たな分野に進出するとなると膨大なリスクを負うことになる。そこで、その部門を買収によって立ち上げることを考える。買収した企業は既にその分野の事業を行なっているわけだから、新規事業立ち上げのリスクは少ない。

一方、新規上場したような企業は、規模を拡大していく場合、新たな部門立ち上げでは、そのリスクは非常に高い。従って、買収による新規事業立ち上げが金額の折り合いさせつけば妥当な方法になってくるのである。しかも、特に大手企業はリストラクチャリング(事業の再構築)によって、基幹事業への回帰ともいうべき集中と選択を行なっていたため、売却ニーズと購買ニーズがピッタリと合い、M&Aは促進されていった。


そして、おもろい会社は生まれていった

構造変化が日本の産業社会にもたらした影響は大きい。グローバル化とIT化という外部要因、そして不良債権の処理と構造改革をせねばならないという内部要因、そしてこれらの状況を睨んで行政が行なった、種々の規制緩和――。

大手を中心とした日本企業にとって、これらが乗り越えならなければならない大きな壁であるがゆえに、企業経営に重くのしかかった。既存の企業がいかに変革するか、言い換えればいかにして生き残るか、呻吟する中で、それまでのしがらみを一切持たない新興の勢力であるベンチャー企業が勃興してきたのである。

目端の利く人は、最先端のITの分野で、あるいは金融技術を使った不動産の流動化で、また大手中堅企業のニーズに応えてアウトソーシングの分野で、とさまざまなベンチャー企業が雨後の筍のごとく、興っていった。また、ファンドを組成して、そのファンドにレバレッジを効かせてより大きなカネを集め、見せかけの巨大企業も誕生し、まさに一大ベンチャーブームとなっていった。

こうした中で、おもろい会社もまた生まれ、そして成長するきっかけをつかんでいったのである。

(2007・12・25)

【おもろい会社とは何か?】第1章

・業績のいい会社がおもろい会社ではない
・社長の顔がはっきり見えるということ

業績のいい会社がおもろい会社ではない

<おもろい会社序説>に書いた通り、この十年来なされてきた産業界の構造転換によって、それを視野に入れて成長戦略を組み立て、実行してきた会社は増えてきた。しかもいわゆる新興企業の台頭が目覚しかった。それはひとえに、それまでの産業界のしがらみ(系列であるとか、業界慣習や常識であるとか、それまでの企業のものの考え方=既成概念とか)に捉われないで、今までにない形でのチャレンジができたからである。
さて、それでは、こうして台頭してきた企業のすべてがおもろい会社かというとそれは違う。では、おもろい会社とは何か。

その本題に入る前に、一つはっきりさせておかなければならないことがある。それはおもろい会社=業績のいい会社ではないということだ。急成長していて、業績もうなぎのぼりで、毎年最高益を更新している会社は存在する。以前『週刊ダイヤモンド』の編集長をしていた時に、「売上、利益(経常利益)が3年連続上昇した会社のランキング」であるとか、資本金は小さいが、同様に急成長している会社を「10年後の大企業」として取り上げたりしたが、こうした会社は数多く存在するのである。

余談だが、「10年後の大企業」という特集で取り上げた会社が、およそ10年後にとんでもないことになった。

2年ほど前だったか、我が家に未公開株の勧誘があり、私は興味津々で、その資料を送ってもらうことにした。何か(の執筆)に使えると思ったのだ。するとどうだろう。送られてきた資料の中になんと、「10年後の大企業を」特集した『週刊ダイヤモンド』の抜き刷りが入っているではないか。裏を見ると<編集人 松室哲生>となっている。思わずその抜き刷りを開くと、くだんの未公開株を売るといっている会社を、10年後の大企業の上位ランクで取り上げていたのである。

この未公開株の勧誘は、もちろん詐欺だと分かっていたが、その会社は他の同封資料によると10年後の時点で、売上1兆円超を計上していると言うのである。未公開株の詐欺はともかく、実際にその会社が売上1兆円超を上げているならまさに大企業の仲間入りをしたことになるのだが、まずこれはでたらめであると考えた。

で、実際はどうだったか。その社長は詐欺容疑の共犯で逮捕されたのである。売上は10数億円だったそうだ。しかし、同社は業界紙・誌や、経営書にも取り上げられており、どうやって粉飾をしていたのか、不明を恥じるのみである。

これは極端な例だが、業績とおもろさは連動しない。いや、長期的に見れば、おもろい会社は成長性があるといえるのだが、その辺りのことはだんだんと紐解いていこう。


社長の顔がはっきり見えるということ

おもろい会社――そこにはいくつかのキーワードが存在する。
例えばこんな言い方ができる。おもろい会社とは社長の顔が見える会社である、と。社長の顔が見える会社とはどんな会社か。それは、外に対しても、内に対しても、社長の存在感がある会社のことである。

では存在感とは何か。それは出たがりということではない。常に、自らの意見をはっきり内外に示している経営者のことである。言葉を変えれば、社長の考え方がはっきりしていて、常にそれを表現している会社である。社長の考え方がしっかりしているというのではない。はっきりしていると言うのである。

こういう社長はすぐに分かる。取材に行くと、自らの言葉で一生懸命に説明するのだ。業績の話。製品開発の話。はたまた業界の話から、社員の教育の話まで。
話のうまい下手は関係ない。とつとつと喋る人もいれば、口角泡を飛ばすように説明する人もいる。極端な話が何を言っているのかよく分からないようなケースすらある。だが、このような場合でも不思議と、言いたいことは伝わってくるのである。

存在感がある経営者を、別の言葉で表現すると、それは、コミュニケーション能力に長けているということだろう。

考えてみれば、会社を経営するということは、日常的に100も200も解決しなければならない問題に直面するということだ。当たり前の話である。何かを立ち上げたり、運営したりするということは、まさに問題(あるいは問題になる要素)を新たに作るということに他ならない。

これは新製品の開発においても、新事業の立ち上げでも、新しい販売ルートを開拓するということでもまったく同じで、だから当然のごとく困難がつきまとう。社内の組織を改変するのでさえ、いろいろな迷いがあったりもする。

これらを解決する唯一の方法は何か。それはコミュニケーションということである。

何か問題が起これば、すぐにその問題を解決するように動くのは経営者として当然だが、人が関わり、多くが人によって起こる問題を解決するには一にも二にもコミュニケーションが必要だ。もちろん、すべてを自分が出て行って解決するというのではない。部下にどれだけやらせるかが重要なポイントになる。しかし、優秀な経営者は部下に任せていても、すべてを把握し、ピンポイントでチェックをすることができる。なぜならば、日常的にコミュニケーションをとっているからである。

間違いやすいのは、マスコミなど、外に出て話をすることを得意としている人である。一見こういう経営者は、存在感がありそうに見える。しかし、実態は違う場合が多い。私の知っている、新興上場企業の経営者で,マスコミをはじめ講演会や業界でのスピーチなどを得意としている人がいる。が、この会社では、この数年で、懐刀だった副社長が去り、幹部が退社し、新たに迎えた社長も結局力を発揮できずに去っていく、といった状況が繰り返されている。何のためのコミュニケーション能力なのだろう、と思う。自己顕示欲が強いのは結構だし、表現力が豊かだから話もうまく、したがってスピーチなどの依頼も来るのだろう。しかし、である。経営者が存在感を示すというのは、決して、外で活躍することではないのである。

本当の存在感を示す経営者――。そういう人には尊敬の念が湧いてくるのだ。

(2008・1・7)

【おもろい会社とは何か?】第2章

・人のやらないこと=ニッチ ...ではない
・初めてのことをやる覚悟とパワー
・儲かりそうな事業に目がいくことの哀れ

人のやらないこと=ニッチ ...ではない

おもろい会社の、次のキーワードは「人のやらないことをやる」ということだ。

事業というのは、そもそも人のやらないことをやるから事業として成立するわけで、これは当たり前の話である。だが、これが意外に難しい。人が起業する時に、多くの人は、人の成功を見て立ち上げることが多い。二番煎じとも言えるし、柳の下にどじょうが二匹、とも言える。これで成功する人もいるにはいる。

また、近年「ニッチ(すき間)」という言葉が定着し、ともすれば「人のやらないこと=ニッチ」と捉えられるような傾向が出てきたようにも思う。

何故こんな屁理屈のようなことを書き並べるかというと、私は、「人のやらないこと」とは、そういうことではないと考えるからである。

人のやらないこととは何だろうか。確かに市場的に見ると、誰もが参入していない分野はそれに該当するし、昨今のようにほとんどが既に埋め尽くされている成熟した市場においては、人のやっていないこと=ニッチ、と言っても差し支えないだろう。

だが、である。市場は創造していくものである、という観点に立てばどうか。事業とはすべからく人が社会的に必要としていることを軸に生み出されてきた。必要に応じて新たなビジネスが考え出され、そして新たな市場に成長していったのである。別に観念的な話をするつもりはない。要は、事業を始める経営者の覚悟の問題である。

人がやっていないことをやり始めるには、経営者自身のパワーも集中力も並はずれたものを要求される。創造性も必要だ。もちろんこれは単に市場(マーケット)だけの問題ではない。商品やサービスが一般的でも、事業を進める方法にユニークさを見つけて実行する企業だってあるだろう


初めてのことをやる覚悟とパワー

詳しくは項を変えて紹介するが、株式会社喜代村という会社がある。この社名より、築地に24時間年中無休の寿司屋を初めて作った「すしざんまい」といった方が分かりが早いかもしれない。この店が出来たあと、築地やそれ以外の場所にも24時間年中無休の寿司屋が出来たわけだが、最初に作った喜代村の木村清社長のパワーはいかばかりだったか、想像に難くない。この店の出現で、閑古鳥が鳴いていた築地場外がにわかに活気を取り戻し、今では年間400万人がこの場所を訪れるほどである。

面白い話がある。当初、この店の幹部がせめて10分間掃除の時間を作りたいと、木村に進言した。すると木村は即座にこう言ったという。
「もし、10分間でも休みを取るなら、もう店は止めよう」

その勢いに気圧されてか、幹部はそのまま従ったという。木村にしてみれば、その10分間の休みを取れば24時間年中無休の看板は嘘になる。何よりお客のために始めた24時間年中無休営業が、中途半端になり、代えってお客に迷惑をかける、と考えたに違いない。もし、その時休み時間をとっていたなら・・・。おそらく24時間年中無休のすしざんまいの名声はこれほどではなかったろう。

これこそが人のやらないことである。そして、人のやらないことをやるには相当のパワーと覚悟が必要だということが、木村の言葉から窺えるではないか。


もう一つ例を出そう。以前におもろい会社発見伝で紹介したが、テンポスバスターズという会社がある。厨房機器のリサイクルを主事業にする上場企業である。同社創業者の森下篤史社長は、この別段目新しくもないマーケットに参入したが、事業を進める方法が斬新だった。

業務用品のリサイクルは、普通、倒産や廃業した店舗から商品を仕入れるが、その仕入れ価格は例えば50万円のものが1000円だったりする。それを5万円で売却すれば、とんでもない利益が生まれるわけだし、50万円のものが5万円で手に入るなら消費者もメリットが大きい。一見これは、真っ当なビジネススキームであるように思う。

ところが、件の森下社長は違った。5000円のものを5万円で売ることをよしとしなかった。5000円のものには適正な利益(つまり20%とか30%とか)を乗せて売ればいいと考えたのだ。しかも単に売るだけではいけないとも。ピカピカに磨き上げて、新品同様に商品を仕立て直した。これには当然コストがかかる。それも含めて、適正な利益を求めたのである。

この手法は、当たった、多くの顧客がテンポスバスターズの店舗に吸い寄せられるように、押し寄せたのだ。だが、当の森下はこれを「この業界で勝ち抜くための手法」として編み出したわけではない。商売は常に真っ当にしなければいけないと常々考えていただけだ。

人のやっていないことをやるというのはこういうことを言うのである。


儲かりそうな事業に目がいくことの哀れ

社会の、取り分け産業社会の構造変化に伴い、多くの企業が新たに事業を興したと何回か前に書いた。ここでも多くの企業が、人のやっていないことに目を付けた。時代の流れ、産業界の潮流が変わったのだから、当然ビジネスも変化する、と考える人が出てきたわけだ。

その代表的な例が企業のアウトソーシングである。人のやらないことをやるという意味で、この業種は注目された。企業にとっては、自社内で行なっていた、工程を外部の専門家集団に委ねることにより、効率化が期待でき、人件費を抑制することで、コストダウンを計れるわけだから、特にリストラクチャリングの工程においては効果を発揮した。

多くのアウトソーシング企業が、ある部門ごと引き受けるわけだから、人材に絡むビジネスだ。ある工程でのSEを派遣するとか、ある部分の設計を丸ごと引き受けるとか、といったビジネスはこの間に大きく成長した。

またこの頃、成長したビジネスに人材派遣もある。この人材派遣も、専門家を派遣するという意味では同じようなアウトソーシングビジネスであったが、業法の改正等で規制緩和され、今では一般社員的な人材が派遣社員として送り込まれている。その結果、規制緩和を悪用する業者も出てきたりして問題になっているが、これなどまさに経営者の問題である。

この分野が儲かりそうだとなって、新規参入が相次いだ。しかし一方、派遣できる人の数は払底し、いきおい専門的知識のない(今やワードとエクセルを使えただけで専門的なのだそうだが)人を抱えて、何でもかでも送り込むという業者すらあるそうだ。受け入れる企業側にも倫理観はなく、明日からのイベントに100人よこせ的な発注が出される。すると派遣業者は必死になって人を集める。その結果がどうなるかは想像に難くない。所詮昔の周旋屋の世界である。

人のやらないことをやるというよりは、「これが儲かりそうだから」やっただけの話である。もちろん短期的には利益が出るビジネスも多いだろう。しかし、そうしたビジネスはどこかで歪になり、破綻を来たすのだ。
「人のやらないことをやる」経営者の如何に少ないことか。でも、それを実行する経営者は間違いなくおもろい会社を作れる。

(2008・1・15)

【おもろい会社とは何か?】第3章

・儲け過ぎる経営者の間違い
・適正なコストに対する考え方がどれだけ重要か
・コストをかけて信頼を勝ち得る企業がある

儲け過ぎる経営者の間違い

爪が長い――という言い方をご存知だろうか。あの会社(経営者)は爪が長い、と言えば、それは儲けに走りすぎている、欲をかく会社(経営者)であるということだ。

これは実は微妙な表現である。儲けがないと、事業は成り立たない。「儲けて何が悪い」と経営者からお叱りを受けそうな表現である。

だが、儲けて悪くはないが、儲けすぎはよくない。当たり前の話だ。しかし、世の中にはなんと欲をかく経営者の多いことか。儲け話があれば、どんな経営者でも身を乗り出すだろう。しかし、爪の長い経営者はそれを出来るだけ独り占めしようとする。1円でも多く稼ごうとする。挙句の果ては、儲けた金から税金を払わないために粉飾する。こうなっては法を犯しているわけだから、何をかいわんやだが、そんな会社は意外に多いのである。

もちろん反論もあろう。「売り上げが上がらないのに1円でも多く儲けようとするのは悪いことなのか」、「経営者は1円でも多く売り上げを上げることで、経営者足りえるのだ」と。

事業とは本来、社会の役に立つことを行なうことである。社会貢献と言う言葉があるが、事業に儲けたカネで社会貢献をするというのは、おかしい。事業そのものが社会貢献になっているべきなのである。そうでない事業をしているなら、そんな事業はさっさと止めるべきだ。

儲けたカネで行なう社会貢献は個人で行なうべき話である。アメリカ人の肩を持つわけではないが、このあたりが徹底しているのは、彼の地の人たちだ。多額の所得を得ている人は毎年必ず多額の寄付を行なう。ボランティアに参加する。それによって初めて、金持ちである事を認められる。日本人の経営者の場合、多くの大金持ちがそういうことをしない。豪華シャワーつきの社長室を作ったり、ハワイに別荘を買ったり、カリフォルニアにワイナリーを所有してもよいが、それ以上に社会貢献を個人として行なうべきである。それがなければ成金のそしりを免れない。


適正なコストに対する考え方がどれだけ重要か

爪が長い経営者についてもう少し述べよう。冒頭に微妙な表現だと書いた。爪が長いかどうかをどこで見分けるのか。「爪が長い」のと「爪が長くない」のとの違いはどこにあるのか。確かに微妙である。

その違いを一言で言うなら「コストに対する考え方」である。どんな経営者もコストについては厳しい。<コスト=費用>は出来うる限り切り詰めたい。しかし、品質のいい商品を作る、品質のいいサービスを行なうためには費用がかかる。このことが頭になくて、ひたすら費用を切り詰めようとすると、問題が起こるのだ。コストをいたずらに落とすために品質を低下させたり、人件費を抑えるために、より安く人を雇おうとしたり、はたまた人員を減らしたり。合理的な妥当性があるコストダウンは大いに歓迎すべきであるが、そうでない企業もまた実に多い。

昨今問題を起こしている企業を見ると、その多くが、きちんとかけるべき費用に対する認識がないまま、利益を追求してきた企業であることがよく分かる。いろいろな偽装の問題、偽の品質表示の問題すべてが爪を長くした結果である。こうしたことはなかなか表立って出てこないから、それをいいことに隠し通せると経営者も思いがちである。しかし、近年は内部告発も頻繁であるし、ネット社会ではこうした噂が広まるのは早い。そううまくは行かないのだ。


コストをかけて信頼を勝ち得る企業がある

逆にきちんとコストをかけている企業とはどんな企業か。当たり前のことを当たり前にやっている企業である。しかし、さらにもう一歩進んで費用をかけている企業も存在する。

例えば、京都に本社を置く学生情報センターという会社がある。この会社の主事業は学生専用マンションの運営管理であるが、年一回全国にある各支社で新しく入居した学生を迎えて「ウェルカムパーティー」という歓迎会を催すのである。どの会場も一流ホテルを使用し、大宴会場には、学生のほかにマンションを所有しているオーナー、大学関係者などを数百人単位で招待する。そしてオーナーと学生との交流を図るのだ。これにはとてつもない費用がかかっているはずだ。

ちょっと考えてみよう。これをやる必要があるのか。コストの観点から言えば、すぐにでも止めておかしくないような行事である。しかし、これをやることにより学生(親)の安心感、大学関係者の信頼、などが増すことは間違いない。同社はもちろんこれを自社のプレゼンテーションの場にも使っている。

同社は業績に関係なくこの行事をやり続けているのである。それも最初は小さな規模だったという。付け加えるならば、同社は学生のナレッジベースの向上などの目的で財団法人を設立している。社会貢献の費用も半端ではないはずだ。

創業者で会長の北澤俊和はこれについて「売り上げや利益を短期的に上げるというなら、すぐにでも出来る。パーティーだって止めればそれだけコストは下がる。しかし、それが本当にいいことなのかどうかを見なければ経営などやってられない」と語ったことがあった。その通りである。

品質とは何か、よいサービスとは何か。この点を追求している企業は決して爪の長い会社ではない。

(2008・1・22)

【おもろい会社とは何か?】第4章

・「会社を続けていく」ことは難しい
・ぶれない姿勢が強い会社を作る
・ビジョナリーカンパニーは「ぶれない」

「会社を続けていく」ことは難しい

例えば経営者に会社とは何か、と問うと、どんな答えが返ってくるだろうか。

もちろんさまざまな答えがあるには違いないが、ここでは、会社というのは継続であると言っておきたい。事業をして利益を出すことは(決して簡単ではないが)ある程度の経営者には出来る。しかし、会社を続けていく(そのためには利益を出し続ける)ことは、大変な困難を伴うことだからだ。ゴーイング・コンサーン(企業を継続していくこと)という言葉があるが、その言葉の裏には会社を続けていくことは社会的責任を伴っているということが隠されているのである。

では会社にとって継続とは何を意味するのだろうか。それは信頼性を得るということである。日本語にはいい言葉があって、継続の一つの表し方として、暖簾と言う言葉を使う。暖簾を英語に訳すとGoodwill(信頼)となる。

長く続いている企業は、それ自体が信頼性の賜物というわけだ。会社を継続すると簡単に書いたが、一つの会社を何十年にも亘って続けていくことは大変なことである。

このあたりのことは次項で書きたいが、今回のテーマは、事業を継続することに関連している。

おもろい会社であることの4番目のキーワードは「ぶれない会社である」ということだ。ぶれないとは何が何に対してぶれないのか。一言で言えば、会社の軸が安定しているということだ。会社の軸とは社長の考え方である。だから簡単に言えば、どんな時でも掲げたこと、発言したことを守り通すことが、即ち「ぶれない」ことになる。

例えば、企業理念を掲げたら、それをどうやって浸透させるのか。社員一人一人に浸透させるのは大変なことだ。しかし、もしその理念が正しいなら、きっちりと社員に理解させなければならない。その理念を社員に実行させなければならない。

単に、壁に掲げたり、朝礼で唱和させるだけでは浸透はしない。社員一人一人に語りかける。あきらめずに面倒がらずに、その意図を社長自ら語りかけていかなければ浸透はしない。だが、それは大変なことだから、多くの経営者がいい加減にお茶を濁してしまう。ところが、事業を続けるというのは企業理念を具現化していることに他ならないから、そういう事業が続いていくわけがない。ぶれないということは、一度掲げたことは守り実行していく姿勢である。


ぶれない姿勢が強い会社を作る

ぶれない会社はどんなことでも決めたことをやり通す力を持っている。そうすると事業には強みが出てくる。

なぜなら、ぶれる経営者は、市場を見てその市場に対応しようとするが、ぶれない経営者は自らの理念を持って市場を作っていこうとするからだ。どんなにマーケティング理論に裏打ちされた商品や販売方法であっても、その商品が売れるかどうかはまた別の話である。おそらく、マーケットを見て対応しようとする経営者は、柔軟な対応を心がける。その結果、当初の方針を覆し、別の戦略を組み立てようとする。もちろんそれを悪いとは言わない。だが、それは失敗する。そういうものだ。

反対に、ぶれない経営者は、たとえ商品が売れなくても(その商品が世の中にとって必要だという信念があれば)動じない。むしろ、細かく何が原因かを調べる。一つ一つ検証してみる。製造プロセスに問題があるのか。商品の中に何か不具合があるのか、販売方法のどこかに問題があるのか。実際に客に聞く、販売店に聞く。そうすると意外なところにネックがあるのに気付く。それを直すと、商品は売れ始める。

雑誌の世界では、「モデルチェンジは失敗する」という格言がある。なぜか。モデルチェンジを必要とする雑誌は売れていない。売れないからモデルチェンジをするわけだ。ところが、売れていない理由がはっきりしていないのにモデルチェンジだけが先行し、デザインをいじってみたり、連載を変えてみたりする。しかしそれがうまくいくはずはない。したがって、モデルチェンジ後の部数はさらに低迷し、休刊となる。雑誌だって商品である。売れないことの意味を追求せずに、売れるものは作れないのである。

ただでさえ事業を継続していくことは大変なことである。なぜなら、商品にはライフサイクルがあり、山があれば谷があるからだ。寿命すらある。新しい技術が出れば古い技術は淘汰される。その時々で一喜一憂し、柔軟に、市場を見ながら対応するのではなく、ぶれずに経営者としての理念を持って、市場を作り上げていくような気持ちで対応していれば、自ずと道は開けていくものである。


ビジョナリーカンパニーは「ぶれない」

このように「ぶれない」と書くと、精神論と取る人がいるかもしれないが、ぶれないということはむしろ「実行力」である。

例えば「儲けすぎない」ということを以前に書いたが、これも企業としての理念である。ただし理念は実行されてから始めて意味を持つ。儲けすぎないためにというよりはいい品質の商品やサービスを提供するために、適正なコストをかけ、適正な利潤を得る。こうしたアクションが、「ぶれない」ことの本質である。

以前に『ビジョナリーカンパニー』(ジェームズ・C・コリンズとジェリー・I・ポラスの共著:日経BP社刊)と言う本が話題になった。ビジョナリーカンパニーとは何か。簡単に説明すると、基本理念を持って成長する企業のことである。基本理念をただ守るだけでなく、常に先進のアイディアを求めて動く企業。新しいことでもそれが基本理念と合致すると判断したら、果敢に挑戦する企業のことである。ここで重要なポイントは、基本理念に合致するという点だ。基本理念を曲げてまでやることはいけない。ここにもまた「ぶれない」ことの重要性が書かれている。

事業を継続すること、新たな事業を生み出すことは大変なことである。商品にはライフサイクルがあり、山があれば谷がある。寿命すらある。新しい技術が出れば古い技術は淘汰される。しかし、多くの企業は大小を問わず、事業を継続して行なうために、さまざまな努力を払っている。

だが敢えて言うと、事業は単に継続していくだけでは駄目である。そこに理念がない限り、事業が事業として成り立っていかない。

(2008・2・6)

【おもろい会社とは何か?】第5章

・お客に愛される会社になるにはどうすればいいか?
・出来ないと思うようなことをやり遂げるパワーの魅力
・既成概念で凝り固まった人には務まらない

お客に愛される会社になるにはどうすればいいか?

前回の冒頭でゴーイング・コンサーン(企業を継続していくこと)ということを書いた。会社とは継続である、と。会社を継続すると言うことは社会的責任であるとも。
会社は事業を行なって利益を出していかなければならないし、それを続けていかなければ会社は継続しない。だから事業の継続は大切である。

しかし、会社を継続する上でもっと大切なことは、社会の信頼を得るということである。一口に社会の信頼を得ると言っても、よく分からないかもしれない。具体的に言えば、お客に愛されることであり、地域に愛されることであり、従業員にこの会社にいてよかったと思わせることである。

これはなかなか大変なことである。お客に愛されるためには、愛されるような商品を作り、愛されるようなサービスを心がけなければならない。いままでの項で書いたように、人のやっていないことにチャレンジするのは当たり前であり、人のやっていないことを如何に持続させていくかということに腐心し続けなければならない。また、爪の長い会社であってはいけないし、同様にぶれる会社であってはならない。そしてそれらの意識を浸透させるためには、社長自身がしっかりと社の内外でコミュニケーションをとっていかなければならない。

経営者である社長の役割が重要であることはもちろん、社員もそれに対応していかなければならない。社員も大変である。

おもろい会社の経営者はどの人も非常に個性的である。物事を推進していくパワーがある。だから、時には非常にワンマンだ。自分だけが一番という時さえある。当たり前の話だ。自らの考えたことを実行して行くには、パワーが必要である。しかも多くの場合、まだ誰もやったことがないようなことにチャレンジするわけだから、そのパワーは並はずれていなければならない。そうでないと物事は進んでいかないのだ。部下の言うことなどほとんど聞かず、自分の考えたとおりに実行しようとする。

だから時には、不遜にも見え、傍若無人にすら映るときがある。そう見えるのは仕方がない。自分の意志を貫き通すとことが重要なのであり、他人にどう見られようと関係ないのである。自分が考えたとおり物事を推進できたか、このことが一番の関心事なのである。


出来ないと思うようなことをやり遂げるパワーの魅力

こう書くと非常に偏った経営者像が浮かんでくるかもしれない。しかし、多くの場合、こういう経営者は魅力的である。特に外部の人間にとっては魅力的だ。それはそうだ。物事をあいまいにせず、自分の考えをはっきりと述べ、行動でそれを見せる。何より実績でそれを証明する。そういう人物が魅力的でないはずがない。

むしろ大変なのは社員である。おもろい会社の社員は、社長の考えを、(企業理念の基に)実行に移さなければならない。それもあらゆることが想定される。無茶だとか、出来ないと言うことが頻出する。

それは、今日突然に始まり、今日中に仕上げなければならないことかもしれない。1週間で新店をオープンしなければならないことかもしれないし、いきなり社長の椅子を提供されるチャンスを与えられることかもしれない。

後述する、ファイテンの平田好宏社長は、その飛躍のきっかけとなったチタンを水に溶かした技術についてこう言っている。
「自分は、チタンが水に溶けないと言われていることを知らなかった。開発に当たった社員も知らなかった。しかし、私はチタンを水に溶かせと指示をしたし、出来るまでやれと言った」

それでも懸命に社員は研究し、その結果その技術開発に成功し、同社は大飛躍を得るに至った。

同じような話はまだある。京都に日本電産という一部上場企業がある。超小型モーターの世界的なメーカーだが、同社の永守重信社長は以前に、創業間もない頃のこんなエピソードを話してくれた。
--当時の大手メーカーは社内にモーター部門を持っていた。だから営業に行っても仕事が取れない。こちらの価格が低くても、社内で作ることを優先した。その中で、社内では出来ないような難しい仕事ならといって回してくれたメーカーがあった。それが超小型のモーターだったのだ。永守は思わず会社に電話をかけ、仕事を取ったことを伝えると、向こうから技術の責任者が「社長そんなものを作るのは無理です」という答えを返した。それに対して、永守は「それが無理かどうかを決めるのは自分だ」と言い、その仕事をやらせたというのだ。その結果、世界的な超小型モーターが開発され、同社は世界的なメーカーへの階段を上がっていく。

こういう話には枚挙のいとまがないほどだが、つまるところ、こういう社長のパワーがなければ新しいこと、人のやってないことへのチャレンジなど出来ないのである。


既成概念で凝り固まった人には務まらない

おもろい会社で大変なのは社員である。

いや正確に言おう。おもろい会社で大変なのは、「一般的な会社」という既成概念にとらわれて会社員生活を送りたいと考えている人である。

例えば、大企業に慣れ親しんだ人がこの種の会社に入ったとする。その人のキャリアや年齢にもよるが、それまでとはまったく違う経験をすることになる。そんな時、これはやり方が違うとか、普通はこういうやり方をするというように考える人はおもろい会社には向いてはいない。そうではなく、なるほどこういうやり方もあるのか、考え方もあるのかと思うような人の方がおもろい会社には適合しやすい。1日の労働時間は8時間という人には向いていない。自分の時間が出来るだけ欲しいという人には向いていない。向いているのは仕事が面白くて、その仕事にのめり込むような人である。だから大変なのだ。

しかし、ちょっと考えれば分かることだが、それがどんな仕事であっても、頭角を現すような人は、自分の属している場所が大手企業であれ、中堅企業であれ、その仕事への対応は同じである。もちろん大手企業の方が会社が成熟している分、資金力やブランド力がある分仕事はやりやすい面があるかもしれない。しかし大きな組織だと組織の複雑さや、意志決定の階層が何段階にもなっているために、物事がなかなか決まらず、いたずらに時間がかかることがあるのはよく知られたことである。仕事をする上での障害はどこにいても同じである。

結論から言うと、おもろい会社で社員がつとまるかどうかは、ひとえに仕事に対する姿勢で決まる。社長が1週間で店を出すと言った時に、どうすれば対応できるかを考えられる人。理屈では出来ないような商品の開発を石にかじり付いても遂行しようとする人。こんな人が集まっておもろい会社は成長を遂げていく。

(2008・2・12)

【新・おもろい会社論】前編

・想像力を発揮することを拒むリーダーの存在は罪悪である

深く長いリセッションの要因

いつもの企業紹介と趣を変えて、書いてみたい。それは、今の時代についてだ。こう書くとなにやら大袈裟だが、今がどういう時代であるかをはっきりと認識せずに、日々のビジネスに追われていると、いずれ足元をすくわれることになると考えるからだ。

昨年9月にリーマンショックが起こり、金融市場が崩壊の危機にさらされた。あれから1年余。株価は多少上向き、対中国市場が経済対策のおかげで多少復活した。失業率は相変わらず高いままだが、小康状態を保っているよう見えなくもない。もちろん経済紙誌では2番底懸念を予測するし、アメリカのドル安がここに来て顕著なことも心配な点だ。

昨年末には金融危機を契機とした世界同時不況に対するさまざまな論調が繰り広げられていたが、例えばハーバード大学教授フランケル・ハーパー(日本経済新聞08年12月2日)は「深い長いリセッションになる」と発言していた。

これはアメリカ経済が07年12月から景気後退に入ったと宣言したときの一部だ。おそらくこのときは、まあ、仕方がないというのがみんなの正直な気持ちだっただろう。

だが、我われにとって重要なのは、なぜ深くて長いのかということを理解することであることに違いはない。07年のサブプライム問題、08年のリーマンショックによる金融破綻はあくまできっかけだった。デカップリングなどと糊塗してみても、結局実体経済は大きな損害をこうむった。


芥川龍之介不況の意味

このハーパーの言葉で思い出すのは、92年当時、ちょうど日本のバブルが崩壊した直後の竹内宏氏の話である。

当時の日本のマスコミの論調は「この株価はいつ回復するか」、「地価はいつ反転するか」などという類のものだった。結論からいえば、地価も、株価も10年くらい反転しなかった。だれも、構造的な展望を持って見ていなかったからだが、ちょうどそのバブル崩壊の直後、当事長銀総研の理事長だった竹内宏さんに話を聞いたことがあるのだ。
この不況を命名するとしたら、なんと名づけますかという私の問いに、

竹内さんはすぐさま答えたものだ。
「芥川龍之介不況ですかねぇ」
「それはどういう意味ですか」
「ぼんやりとした不安がずっと続く、ということです」

それは、もちろん芥川が自殺するにあたって書いた遺書の中の一節、「ぼんやりとした不安」に拠るものだった。芥川が晩年鬱で悩んでいたように、ぼんやりとした不安がこの後ずっと続く。当時の不況はすぐにどうにかなるというような話ではないということを喝破していたのである。竹内さんはバブル崩壊もさることながら、その時に問題視していたのは少子高齢化という構造的な問題だった。
「六本木に人がいなくなりますよ」という竹内さんの言葉が今でも印象に残っているが、時代はその通りになってきた。まだ六本木に人はたくさんいるが、いずれ後20年もすれば人はまばらになるだろう。それは日本の宿命的な構造だからである。高齢化に関する行政の施策は追いつかないどころか、もうとっくに破綻している年金に今なお改善で何とかしようとしているさまは滑稽というほかない。社保庁問題以前の問題だ。
「失われた10年」といったのは堺屋太一氏だが、失われた10年を経ても、戦後最長といわれた好況を経験しても、われわれの頭の中にこびりついていたのは「ぼんやりとした不安」だった。


総論賛成、各論反対
構造的な問題を改革していくために必要なのはリーダーのパワーである。幸い政権交代によって日本にも新しい兆しが出てきたが、改革を実現するには困難が伴う。それは官僚の抵抗でもなんでもない。それは国民全体が、反対する可能性があるからだ。
総論賛成、各論反対とはよくいったもので、例えば、オバマ大統領が国民皆保険の話を持ち出すと、明らかに米国民は背を向き始めたのがそのいい例だ。

社会の仕組みを構造的に変えるというのは本当に大変なことである。我われ国民も「改革」という言葉には弱いが、それはあくまで自分に損害が及ばない範囲での「改革」という意味であり、自分に何か損害が及ぶようなことがあれば、血相を変えて反対をする。そういうものである。だからリーダーは大変なのだ。

改革という言葉に酔っているときには、実はそれほど頭が働いていない。ただ麻薬のような心地よい響きに埋没しているのみである。本当はそういう言葉が出た時にこそ想像力を働かせねばならない。その改革でどうなるのか。何ができて何ができないのか。自分の(あるいは会社の)どこに影響が及ぶのか。単に今出ている政策に反対や賛成を述べるのでなく、この政権がそのような大きな動きをしていくのかを予測する。それが想像力であり、その想像力を働かせるのがリーダーの努めである。会社でも同じことだ。経営者にどれくらい想像力があるかで、企業の帰趨は決まってくる。

(2009・11・14)