2011年11月21日

【第58話】ネットを知り尽くした元決済代行会社が行き着いた究極の電子書籍販売

株式会社インフォトップ

意外な会社の電子書籍販売参入

今年のブックフェアはさながら、電子書籍フェアの様相を呈した。中でもひときわ異彩を放ったのは、とあるブースだった。このブースは多くの出展者と違い、本の中身や電子化の技術をアピールせず、ひたすらどうやって売るのかをテーマに掲げていた。ある大手出版社の営業部長は、そのブースを見て面白く思い、後日、その担当者と会ってある契約を行なったという。

それは、自社が発行する高額で少部数の雑誌を電子化し、その会社のサイトで売ることにしたのである。

この会社はインフォトップという。

もちろん一般的には全く無名の存在だ。そんな無名の会社がなぜ出版業界に打って出ようとするのか。

まずは、同社がどのような計画を持っているのかを見てみよう。構造は簡単である。各出版社の書籍(あるいは雑誌)を同社の負担で電子化する。そして同社のサイト上で販売する。同社のマージンは15パーセント。残り85パーセントは出版社の取り分である。正確にいえば、インフォトップはその中から決済手数料を負担するから、実質的には12.8パーセントであり、出版社側はこの本をサイト上で売れるように働きかけてくれたアフィリエイターにマージンを25パーセント支払うことになっている。つまり出版社の実質取り分は60パーセントということになる。

それでもこれは出版社にとってはかなりいい商売であり、逆にいえばインフォトップはこれで商売が成り立つのだろうかと、老婆心ながら思ってしまう。
「うちはもともと決済会社からスタートしています。だからすでに低マージンでも利益を上げる仕組みができていますし、すでに本業で実績をあげていますから。他社がこんなマージンの体系で参入しようと思ってもできないでしょう」と、社長の田中は事も無げだ。


宣伝販促部員を20万人も抱える販売会社

ここで同社の本業について触れる前に、出版社が売り上げの25パーセントを支払うアフィリエイターについて説明しておかねばならない。これが同社の本業部分の根幹でもあるからだ。アフィリエイターとは、正確にはアフィリエイト (affiliate)と言い、Webサイトやメールマガジンを運営する人が、その中で企業サイトへリンクを張り、読者(閲覧者)がそのリンクを経由して当該企業のサイトで会員登録したり商品を購入したりするような仕組みを作ること。この成果によって、サイトやメルマガの運営者に報酬が支払われるという仕組みのことだ。主婦や学生、サラリーマンの副業が多く、人によってはこれを本業にし、年間数千万円稼ぐ人もいるといわれている。

実は、インフォトップは、こうして活動するアフィリエイターを20万人抱えているのである。この数が多ければ多いほど、当然商品を宣伝してくれる人も多いわけだから、販売も伸びることになる。ネット上の販売はこのアフィリエイターの数と影響力が決め手なのである。

さて、同社の本業は教材販売である。教材といっても普通の教材とは少し違う。一般の人がワードやパワーポイントで自分の専門分野について書いたことを同社のサイトに掲載し、ダウンロードで販売する、という仕組みである。つまり自費出版のネット版というわけだ。紙での自費出版は大手から中小まで数多く存在し、それなりの費用がかかるが、この場合著者は自分の書いたものをのせるだけだからコストはゼロ。売れた分だけ先ほどの電子出版とほぼ同じ仕組みで収入となる。

ここで力を発揮するのがアフィリエイターである。彼らはこの出版物を宣伝することで、マージンを得ることができる。したがって、本の著者も多く売りたいと思えば、アフィリエイターのマージン率を上げれば、その可能性は高まることになる。要は、自分で商売の組み立てを考えることができるのだ。

電子書籍の裏にあるものを売っていく

インフォトップはこの方式で2006年に創業された。初年度の売上は50億円。以降前期が90億円、今期(7月末)が97~98億円(グループ会社を入れると100億円超)というからその成長力は凄まじい。
「粗利は10パーセント程度。経常利益で今期3億円程度(田中)」と薄利多売のゆえ利益率は低いが、それでも社員数も多くなく十分に会社としては利益も上げているわけだ。

て、同社の新事業・電子出版であるが、現在同社は9月末のオープンを目指している。システムは8月中に開発を終え、その後テストマーケティングを行なう。現在30社弱の出版社と話を進めているというが、ポイントはこれからだ。それは出版社の旧態依然とした体質とプライドの高さを同社が説得できるかにかかっている。

現在多くの出版社が電子化に取り組んでいる。雑誌でも書籍でもとにかく電子化していかなければ大きな波に取り残されるという危機感がそうさせているのだろう。大変なブームと言ってもいい。しかし、現状でいえば電子化に舵を切ることは多くの出版社が現実的でないとも感じている。なぜなら、一方で紙の出版物を大量に発行しており、この流通ルートをどうしていくのか、倉庫はもちろん、市中にも大量に存在する在庫の問題をどうクリアしていくのか、誰も見えていないからだ。そのうえに古い体質とプライドの高さが乗っかってくるから大変なのだ。

しかし、光明がないわけではない。それは同社が単に書籍の販売だけを考えているわけではないからだ。
「仮に坂本竜馬の本があったとしましょう。そこから連想されるものを裏側で販売していくんです。例えば歴史ツアーであるとか、暗殺される前に食べようとした軍鶏鍋のセットであるとか(田中)」

つまりこれから派生するイーコマースを同時に念頭に置いているのである。
「電子書籍販売の次は本格的にECの市場に参入したいし、書籍を売ることでまた関連する教材が売れるかもしれません」と田中はその将来性を語る。

あながち法螺でもない。今までも実績が伴っているのだから。

(2011・7・27)

【第57話】マーケティングのプロが説く「売れない商品」を有名にする方法

前ウブロジャパン社長 高倉 豊氏

無い無い尽くしのなかで1個200万円もする無名の腕時計を大ヒットさせた

昨年末までウブロジャパンの社長だった高倉豊さんにお会いした。高倉さんは化粧品や時計などいわゆるブランド物の日本法人の代表を数多く務めた人だが、日本で無名だったブランドを大変に有名にしたことで名を上げた人である。

例えば、前職のウブロである。

日本では無名だった高級腕時計のブランドだが世界的には有名で、南アフリカで行なわれたサッカーのワールドカップでも、タイム表示のボードには「HUBLOT」の名が出ていた。2010年と2014年のワールドカップの公式タイムキーパーでもある。日本でもこの数年有名になったが、それは高倉さんの功績と言っていいだろう。

当時、ウブロジャパンは日本での低迷に喘いでいた。スイスの本社では日本法人は閉めてどこかと代理店契約を結ぶことを模索していた。要するに撤退である。そこへやってきたのが高倉さんだ。

売れてない商品だから広告やキャンペーンなどの予算はほとんどないに等しい。人員だって限られている。外資系の社長というと格好良さそうだが、売れてなければ悲惨で、今をときめくコンサルタントの神田昌典さんも、昔某アメリカ家電メーカーの日本代表を務めていた頃の悲哀をどこかに書いていたことがある。

何をやろうにも先立つ物がない。いわば無い無い尽くしのなかで、1個200万円もする高級腕時計をヒットさせたのである。
 どうやって成功させたのか。


編集長を口説き落とした殺し文句

高倉さんは数多の出版社を回り、なかでも男性向けファッション誌の編集長を訪ねて回ったのである。そしてこう口説いた。
「この時計は今は売れていない。しかし、毎号2ページこの時計を売り出してほしい。成功したらその時はきっと報いるから」

こんな口説きに乗る編集長も少なかろうと思うのだが、でも存在したのである。ある男性ファッション誌が、快諾したのだという。これが起爆剤になって一躍ウブロは有名になっていった。

すると、その雑誌も「あのウブロを最初に紹介した雑誌」「あそこは無名のブランドを発掘する雑誌」という評判が起こり、「あの雑誌にはきちんと広告を出しておかなければならない」というムーブメントになり。雑誌そのものも大きく成長したのである。「十分に借りは返せたと思う」と高倉さんは語っている。

実はこの話には伏線がある。その前に高倉さんはシスレーという日本では無名のフランス製高級化粧品をヒットさせることに成功していた。この時は同じ手法を女性誌で行なっていたのである。当時その女性誌は有名な化粧品の広告が入らずに苦労をしていた。そこで利害が一致して無名だがフランスでは有名な高級化粧品シスレーを記事でバックアップし、そしてシスレーを日本で有名にしたのである。

その結果、その女性誌にもSK-II などの化粧品広告が入るようになったのである。


口紅のキャップに名前を彫ったのが最初の成功

人と人との関係はギブ・アンド・テイクである。会社同士の関係もそうだ。この関係が成り立つならばお互いに成功するための道は開ける。しかしどちらかが渡すものと得る物の価値が等価値ではないと判断した場合は成り立ちにくい。ウブロやシスレーでは、多くの場合、無名であるがゆえに等価値ではないと見なされた。だが、高倉さんはギブする物の将来価値をプレゼンテーションして成功に導いたのである。

そもそも高倉さんが博報堂を辞め、パルファム・ジバンシィの日本法人の社長に就いた時も同じような状況だったそうだ。

カネもない。人もいない。当時高倉さんが考えたのは、ギフトとして口紅を売るということだったそうだ。当時のギフト市場は2兆円。そこで口紅のキャップに名前を彫ってギフトにすることを思いついたのである。これがホワイトデーのギフトとして爆発的に売れた。

アイディアといえばそれまでだが、何もないところ、条件の悪いところで成功させてこそ、経営者ではないか。


日本の村や街の商品を世界ブランドにしていく

高倉さんはその成功の条件を6か条にまとめている。これがなかなか興味深い。

1. 過去に実行されていないことをやる
2. 競合他社がしていないことをやる
3. お金のかからないことをやる
4. ブランドイメージを損なわない
5. 成果を上げるまでに長い時間がかかることをしない
6. 派手に見えることをする
 

例えば、4.のブランドイメージを損なわない などは気をつけなければいけない点だろう。どんなに面白いアイディアでもブランドを傷つけては元も子もないと高倉さんは言っている。

倉さんは今後どういう活動をしていくのか。
「日本の村や街の商品を世界ブランドにすることが面白いと思っている」と答えた。単に、日本のなかで有名ブランドにするのではない。世界ブランドにするという、そこにこの人の気概と創造性があふれていることがよく分かる。

(2011・7・1)

【番外編・7】こういう状況だからこそ企業は中国市場に目を向けよう

「日本外し」は本当に深刻か

経済誌の特集などを読むと、どの雑誌も共通して扱っているテーマが二つある。一つは東京電力と原発の問題。もう一つは日本外しの問題だ。

確かに、今回の大震災とそれに伴う原発事故のために「日本外し」が起こる(起こっている)ことは想像に難くない。震災による工場や産業施設の崩壊による生産現場の崩壊は確かに深刻であり、復旧する頃には他の新興国の製品、部品に置き換わっている可能性もない訳ではない。

しかし、逆に言えば、日本製品、あるいはもの作りの技術は、それがなければすぐにラインが止まってしまうほど依存率の高い技術でもあるのだ。一時的に「日本外し」が現実のものになったとしても、徐々に回復してくるはずである。

原発事故による汚染懸念での風評被害による「日本外し」はもっと楽観的にみている。実際、原発近くの農産物、海産物は敬遠され、中国からの観光客は来なくなっている。海外の資源を運んでくる船は寄港したがらず、割増料金を要求し、外国人の人材は別にスポーツ選手に限らず、日本から帰ってしまうケースも多々あるようだ。

だが、風評はあくまで風評である。いずれこの騒ぎが治まれば自然に萎んでいくものである。

中国電子商会 曲会長、王常任副会長を囲んで日本代表団との記念撮影


大震災が遺した本当の影響

それよりも問題は、日本の国内市場が縮小する傾向が一段と強まってくることに対する懸念である。まず、震災地において、製造業の一部は海外での生産を強めることになる。被災した企業は原則的には被災地での復興が望ましいが、このグローバルな競争の中ではこれを機に海外へ生産拠点をシフトするという動きは強まるはずだ。東北地方の場合意外に工場が多いのもこうした状況に拍車をかけるし、何より日本中どこでも原発の安全性に対する不安から海外シフトは強まるのではないだろうか。

そして第二は被災地の経済は復興期が一段落した時点で縮小してくる傾向にあるという点だ。例えば阪神淡路大震災の後の神戸の人口はその事実を物語る。150万人と市だった同市は震災で人口が10万人減少し、復活するのに10年近くかかった。日本を代表する都市部でさえそのような状況だから、今回の被災地である東北の市場性や、15年前とは様相を異にする少子高齢化の進展などから勘案してもこの傾向は強まりこそすれ弱まりはしない。現に神戸市の町づくりに震災後携わった方のインタビューを読んだことがあるが、「人口は2割減、経済は6割減」と語っていたのが印象的だった。

濱野皮革工芸と中国ハイタオ社との契約調印式。テレビ通販番組として2011年2、3月に放送された日本企業のプレゼンテーション


魅力たっぷりの中国市場の安全性

そこで、というわけではないが、やはり日本企業は中国市場に顧客を求めていくことが、今後の戦略の一つとして重要になるのではないだろうか、と言いたいのである。

私はこの1年、中国の通販市場に社団法人の一員として関わってきた。実際に中国に足を運び、政府の関係者、業界の関係者ら多くの人たちと会い、議論を重ね、日本企業の商品を売る手伝いをしてきた。その経験から、改めて「中国市場」は魅力ある市場であり、日本の製品が渇望されていることに気づかされたのである。

なんと言っても日本の10倍の市場である。この市場に期待を抱かずして、世界のどの市場に期待を抱くのか、と考えさせられるほど大きな市場である。しかも、通販市場は内需拡大の影響をもろに表している、きわめて急成長な市場なのである。

確かに業界全体を見渡すとまだ未完成の部分もある。しかしそれも近年急速に整備されており、政府の業界に対する通達や声明も効果を発揮してきている。

中国電子商会王常任副会長と日本優良品協会松室代表理事の挨拶日本企業歓迎晩餐会の風景


なぜ中国市場進出が安全なのか

このように書くと「中国はまだ危ない」とか「中国ではこんな失敗をした」といった例を挙げる人がいるかもしれない、

確かに中国進出にまつわるトラブルは多い。しかし、それの多くが中国市場や中国の商慣習、商取引における構造や文化を知らずに起こっていることだ。ある企業では中国で商売をするために中国での商標を取得しようとして400万円を請求された。実際はその10分の1である。間に入るブローカーは多く、日本人と中国人がタッグを組み、手数料をダブルで巻き上げる輩もいる。

私たち日本優良品協会では、そのようなトラブルを根絶するために中国信息(情報)産業部傘下の中国電子商会と基本合意を結び、例えば日本企業が通販市場に進出する場合の商品の調査(認可にかかる時間、商標取得可能性の有無、どの通販会社と組むのが適切か等々)を共同で行ない安価で提供する仕組みを作った。

また、実際に中国電子商会通販工作委員会が主催する年1回のサミットや年次総会での日本企業の商品プレゼンテーションや商談会などを設定してきた。

何より、取引条件を従来の仕組みを変えて前金で中国サイドが支払うような仕組みの構築にも成功した。正に安心で安全な中国進出の仕組みである。

なぜ中国市場進出が安全なのか


<補足として>

私たち日本優良品協会では今年も9月に中国北京で行なわれる日中韓通販サミットに日本企業共々参加します。また、先述した中国通販市場への進出を促進するための「中国通販市場参入キャンペーン」的ないベントも計画しており、多くの政府関係者や業界のトップらを招く予定です。こうしたイベントに先駆けてトップページの写真にもあるような「中国通販業界発展白書」の日本語版の権利を取得し、発刊するに至りました。これを機会に中国の通販市場にスポットを当てていただけると幸いです。

(2011・4・27)

【番外編・6】震災にまつわる情報の話

ネットで大震災情報を得る初めての経験

今度の震災ではいろいろな思いを持ちました。それはだれとて同じです。私は活字情報に携わるものの一人として、今回のように情報が入り乱れるケースは始めての経験です。阪神淡路大震災のときはまだインターネットは普及していませんでした。9.11のときはアメリカの国の話でした。

今回の震災は、情報をどう読むかという点においても初めてわれわれが直面していることです。ゆえに混乱が生じています。インターネットに接続して情報を得ようとしている人たちは、その混乱の渦中にいます。

インターネットだけでも、情報にはさまざまな種類があります。既存のマスコミが発する情報、政府が発表する情報、地方自治体が発する情報、ボランティア団体が発する情報、東京電力が発する情報、学者が発する情報、専門機関が発する情報、そして数多のブログ、2ちゃんねる......。

その他の情報として新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などなど、巷に溢れているわけです。

一言でいえば、どの情報も整理されておらず、どの情報もどこまで信頼でき、どこまで信じられないかが不明です。情報とは本来そういうものかも知れませんが、今まではその整理役を既存のマスコミが担ってきました。

今回際立っているのは、マスコミが発する情報に、情報感度のいい人ほど目を向けていないという事実です。


マスコミを信じられない状況

例えば原発の問題です。

テレビで安全だといえばいうほど信じていない人が増えていくように思います。そりゃそうでしょう。朝のテレビを見ていると、いきなり専門家と称される学者が出てきて、「こんな危険はないか」という問いに、一様にきっぱりと「安全です」という言葉を繰り返しているのですから。よく聞いていると、その説明に「今直ちに心配はない」というような表現があるので、見ている人は、「では、半年後は、1年後はどうなんだ」という思いを抱く構図があるからです。

ちょっと訳知りの人なら、あの人は元原子力委員会の○○とか、あの学者は研究費の補助を○○から受けている人だとか、といった裏を読むでしょう。そんなことを知らない人でも、なんか胡散臭そうと思ってしまう――これは人間の習性です。

また、キャスターの態度を見ていても、話が「プルトニウム」とか、東電批判に近付くと、さらりと話を切り替えます。すると訳知りの人は、「東電から圧力がかかっているな」とか、「そういえばコマーシャルを見飽きたAC(旧公共広告機構)の理事には9電力のうち7つの電力会社の役員が入っているな」と細かなことまで考えてしまうのです。

訳知りの人(その多くに学者や専門的な技術者がいます)のブログを読むと、説得力がそれなりにあるが故に、不安は助長されます。いたずらに政府や東電を批判するものばかりではないのが、説得力を持ちます。


渦巻く陰謀論の真実

不安を助長するようなブログも数多くあります。陰謀論はその代表です。

地震兵器によって人工的に起こされたものだ、というのはその典型かも知れません。

東京湾でこのところ立て続けに起こった地震はどれも経度と緯度が一緒の同一地点で起きているという情報があります。富士山近辺で最近起きた地震は富士山を取り囲むように4つのポイントで起きているという情報もあります。

著名なハリウッドの映画監督の死の前に行なわれたインタビューにはニック・ロックフェラー(彼もまた死にました)が9.11の秘密を自分にこういっていた、と一部のエリートが世界を牛耳るその構造を赤裸々に語っています。こういう映像は迫力があります。新型インフルエンザもまたこうした人たちのなせる技だと何人かのアメリカ人が映像で証言をしています。リビアのカダフィ大佐はそれを国連総会で発言し、一笑に付されました。

こうした、情報が事実であるのかどうかは分かりません。信じるも信じないも、それぞれの判断を待つというわけです。それしか方法はありません。

情報の中にはウソもいっぱいあります。人を貶めるような発言もあります。よくも悪くもわれわれはこうした情報と常に対峙していかなければなりません。そして自分の感性で判断するしかないのです。それを誰かに委ねるのはもちろん一つの方法ですが、このような震災という大きな混乱期に自分自身が生きていくためには危ないことといえるのではないでしょうか。


日本の国が変わる

情報は現実の一部ですが、現実そのものではありません。現実に目を向ける方がよほど健全です。今回のように多くの被災者がいて、復興をしなければならない町や村が数多くある場合はなおさらです。自分が被災していたなら、おそらく生き抜いていくために必死で行動しているでしょう。福島に住む70歳を超えたある知人はこういいました。
「それでも満州から引き上げて来たときよりはましさ。あのときはロシア人が食べ残して地面に落ちていたパンの耳を食べたからなぁ」と。
「人はパンのみにて生くるに非ず」は確かですが、その前にパンを得るために働いているのです。今を必死で生き抜くために「生き甲斐」という言葉は空虚です。

これから新しい日本の枠組みが出来てくるでしょう。原子力発電はもういらないとおそらく多くの人たちが声を上げるでしょう。福島の原発の周囲は人が住める状態には戻らないでしょう。町ごと、村ごと移転するところも出てきます。

今週の『週刊東洋経済』に書かれているように、国債が暴落したとたんに世界が変わります。リミットは2014年。それがこの震災で早まる可能性が大きいというのです。それより何より原発が何らかの形で大量の高濃度の放射線を拡散させたら、東京も住めなくなるかも知れません。

でも、われわれは死ぬわけにはいかないし、活力を持って生きていかなければならないのです。

情報は大切ですが、その情報に惑わされることなく生きぬいていかねばなりません。

(2011・3・30)

【番外編・5】日本の10倍以上の市場で、渇望される日本の商品の「品質」

日本に迫り、すぐに追い抜いていきそうな
中国市場の活力

日本の消費材メーカーにとって、今後数年の売上げアップを期待できるイベントが中国北京で12月16日から開催された。中国通販業界の2010年年次総会がそれだ。

と、これだけでは何のことか分からないだろう。説明しよう。

中国の通販業界は年を追うごとに飛躍的に市場を拡大している。中国政府が目指しているのは内需拡大で、世界の工場として機能してきた中国が、この数年世界最大の消費市場へと変貌していることは誰もが認めるところである。中国の2009年度の通販市場は(種々のデータが存在するので確定はできないが)EC(イーコマース)で約2500億元(3兆7500億円:1元=150円換算)、テレビ通販が約400億元(6000億円)、カタログ通販が約60億元(900億円)といわれている。

日本のECが約6兆7000億円、テレビ通販が約4000億円、カタログ通販が約1兆5000億円であるのと比較すると、すでにテレビは超え、ECは日本に迫る勢いであるのがよくわかる。全体でも日本の8兆6000億円に対して、中国のそれは4兆4400億円と半分強に迫ってきている。

中国の内需拡大政策は例えばテレビ通販の目標数値に表れており、5年間でなんと10倍の4000億元(6兆円)に伸長させる予定である。日本の10倍以上の人口を持つ中国からすれば当然のことかもしれないが、商品を売る側からすれば、そこに市場としての魅力があるのも当然のことだ。

日本に迫り、すぐに追い抜いていきそうな中国市場の活力


タオバオ1社で日本のEC全体に匹敵

毎年、年末に開かれる通販業界の年次総会を主催するのは中国信息(情報)産業部傘下の電子商会である。

電子商会はすべてのエレクトロニクス企業の総元締めであり、しかも14ある工作委員会の一つに通販工作委員会を有している。中国全土のテレビ局通販子会社やEC会社、カタログ通販会社、仕入れ会社、投資会社などを束ねている格好だ。

ゆえに、この年次総会には中国の名だたる通販会社のトップが参集する。もちろん電子商会会長の曲維枝会長(中国国務院参事)、王寧常務副会長以下、国務院の関係各部の幹部らも出席している。このイベントに日本から出席したのは(社)日本優良品協会 (http://www.lpaj.or.jp)と消費材メーカー数社である。

総会は曲会長の挨拶から始まった。続いて関係各部門の挨拶があり、その後中国EC売上高の80%以上を占めるという淘宝社(タオバオ社)路社長のプレゼンテーションが始まった。注目されたのは、2010年度の売上見通しが4000億元(6兆円)に上るという点。09年度の中国EC全体を一社で大幅に上回ることになり、日本のEC市場全体(09年度6.7兆円)と比較しても、1社で日本に迫る売上高ということになり、中国の通販市場を大きく伸長させたことになるのだ。

タオバオ1社で日本のEC全体に匹敵


日本でもやっていないテレビとネットの融合

そうしたなかで特筆されるのは、中国企業が日本よりもいち早くネットとテレビを融合させた新会社を設立させたことではないだろうか。今年の4月、湖南テレビと淘宝(タオバオ)社が合弁で設立した快采淘宝(ハイタオ)社である。同社はテレビ番組の制作と同時にネット配信も手がける企業である。例えば通販でいえば、テレビ番組としてファッション系の番組を作り、そこに登場した商品をネット上で売るという仕組みである。

そもそもタオバオのユーザーは男性が多く、TV通販は女性のユーザーが多い。また、平日はネットでの購買が多く、土日はTV通販で買われることが多い、という購買形態の相違もある。こうした、異質性を融合させることが目的だというのである。つまりネットとさまざまなユーザーを囲い込むために、ネットとTVの融合が必須というのが同社設立の目的で、今後はTVのリモコンで注文できるようにするなど、さまざまな「融合」の手法を駆使していくという。

実際、日本の皇室御用達ブランドである濱野皮革工藝は、このハイタオ社の番組一体型通販を2年の独占契約で行なうことを決め、この総会で調印式を行なった。

日本でもやっていないテレビとネットの融合


たいへん注目された日本企業の商品

こうした活気に溢れるイベントであったが、午後は日本企業の優良品をわれわれ日本優良品協会のスタッフが中国のTV通販、EC企業に対してプレゼンテーションを行なった。こうしたプレゼンは今夏にこのサイトでレポートしたように、7月の中日韓青島通販サミットでも行なった。このときとの最大の違いは、企業による直接的なプレゼンテーションが少なかったことである。

12月という日本企業にとっては師走の忙しい時期であり、なかなか海外に出張するのが難しいこともあって、協会が企業に替わってプレゼンテーションを行なうという手法を採用したのだ。

企業自身によるプレゼンテーションは三菱レーヨンクリンスイとツカモトエイムの2社であり、もちろん直接中国企業へのアピールは十分だった。

特に、三菱レーヨンクリンスイは日本企業としては初めて、今年の中国通販業界の優良品の一つとして表彰された商品であり、注目度は高まった。

一方、協会が行なったプレゼンは、お茶のトップメーカーである伊藤園、ゴマのトップメーカーであるオニザキコーポレーション、それにブラジル産のフルーツを原料にした健康食品「アサイー」、青色光線をカットするため白内障に効果的なサングラスの「アイブレラ」、界面活性剤をほとんど使わずに汚れを驚くほど落とす洗剤の「浄」の5社分で、そのどれもが注目された。

伊藤園とオニザキコーポレーションは業界トップの商品力と品質に対する評価が高く感じられた。また、アサイー、アイブレラ、浄の3商品はそれぞれが日本の通販市場で大のつくヒット商品であるため、それなりの反響をもって迎え入れられたようだ。それぞれのプレゼンテーションに対してアンケートを実施、回収しており、この結果を企業にフィードバックしながら今後の商談につなげていく予定である。

今後も企業の直接的なプレゼンテーションと協会による商品プレゼンとを組み合わせる方法が検討されていくかもしれない。

たいへん注目された日本企業の商品


中国での成功のカギは中国企業の特性を知ること

今回の訪中では、中国の大手通販企業への訪問も行なった。業界第3位の家有購物(ジャイユー)社と第4位の北京優購物(ユーゴー)社への訪問である。両社の売上げ規模はほぼ同じレベルであるが、それぞれが特徴のある戦略を打ち出し、またCRMなどの顧客囲い込み戦略なども駆使していた。

家有購物有限公司は、貴州テレビ局傘下のテレビショッピング専門会社であり、国家ラジオ・テレビ総局に一番早く承認されたテレビショッピング・プラットフォームの一つである。登録資金は1億元。 2008年11 月に北京で設立されており、現在は、本部のある北京の他に、貴州、それに河南に子会社がある。

オフィス用地は3,000平方メートルで、600平方メートルの大型テレビ・スタジオを持っている。先端的な番組制作・放送設備を設け、完全な運営・情報管理ITシステムを導入し、先進的なコール・サービスセンターを作り、全国的に物流・倉庫を設置している。

中国TV通販会社第4位の北京優購物社はテレビ・メディアを主として、インターネット、ダイレクト・メール等のメディアも活用し、全国の家庭消費市場に向けて販売している。 運営本部は北京にあり、現在社員数は2,000人に及ぶ。やはり専門的な大型テレビショッピング・スタジオと国内トップクラスの番組制作・放送設備を持ち、先進的な物流・倉庫を有している。現在、問合せ1万件以上/日で、注文数は7,000件/日とのことである。同社は現在、放送地域を、山西、天津、山東、河南、遼寧、内モンゴル、安徽、江蘇、广西、湖南、江西、河北等の17省に拡げ、計12の省の首府都市、33の地区レベル都市で計4,738万世帯(放送する予定の1,049万世帯を含む)まで視聴範囲を拡大し、同時に北京、南京、南昌、吉林という4つの倉庫基地を持つことで、全国的なチェーン式運営を実現しているとのことである。

日本企業が中国13億人超の市場に「通販」という形で参入する場合は、こうした中国の通販企業の特性をつかんだ上でビジネス展開していかなければならないといえよう。

(2010・12・22)

【第56回】定年後創業した会社を急成長させる社長の根幹は「人本主義」

株式会社高齢社

7年で7倍強の成長を実現

「今面接待ちが100人います」

そうニコニコしながら会長で創業者の上田研二は語り始めた。
「だって登録しておいて仕事がないとすれば、それは人材派遣会社といっても詐欺でしょう」

だからうちは実質主義で仕事分しか登録しないと暗にいっているのだろう。

ユニークな会社というのは世の中に山ほどあるが、時代にあったユニークな会社といえば、ここではないか。それが株式会社高齢社である。名は体を表す。文字通り高齢者の人材派遣をやっている会社で、派遣に登録出来るのは60歳以上、75歳未満の人。それまでに登録しておけば、80歳になっても働ける。社員も全員60歳以上だ。現在400人ほどが登録している。派遣社員は2人1組の交代制になっているので、急な用事や体調の不良などにも対応できるようになっている。これも高齢者専用らしい取り組みだ。

業績はすこぶる付きの好調さで、今年の4~7月の3ヵ月だけをとっても売上高は対前年比で39.5%の伸びを示している。

業は2000年。2002年度の売上げは4382万円だったが、2009年度は3億1900万円。この7年で7倍強の成長を示している。

遣業務の内容は当初は上田の出身元である東京ガスの業務が多く、内容もガスメーターの閉栓業務が多かった。そのため、登録者もOBが60%以上を占めていたが、現在は50種類もの業務に広がり、OBの比率も落ちている。


人の嫌がるときに普通の料金で引き受ける

なぜ、これほどに伸びているのか。一つは休日の対応である。実は派遣業務というのは土日のニーズが高い。これに積極的に応えることによって、業績を伸ばしてきたのだ。

例えば、ガスの閉栓業務やショールームの常駐などは土日が一番必要とされている。社員は土日に出たくないからだ。そこで高齢社では土日の業務を積極的に引き受け、しかも、他の会社では当たり前のように付加する休日割り増し料金を取らないようにしているのだ。人の嫌がるときに普通の料金で引き受けるのだから仕事が来ないわけがない。

こうした対応が気に入られ、今では他の分野にまで業務が広がった。ある大手電機メーカーでは修理マンに同行するのが仕事である。助手席に座り、一緒に現地に行き、修理マンが作業をしている間待っているのだ。また、ハウスメーカー系列の管理会社では賃貸物件の引っ越し後のリフォームを品質チェックして回るという仕事を引き受けている。どれも「なるほど、そんな仕事が合ったのか」と思わせるような仕事だが、ニーズはどこにでもあるものだとつくづく思わせられる。
「情報とは情けある報せと書くでしょ」そういって、にんまりと上田は微笑むのだ。なるほど情報は思わぬところにあるものだ。


子会社や協力会社を次々再建して「再建屋」の異名も

10年ほど前、これからの高齢化社会を見越して高齢者をどう社会のなかで活用していくかということが議論になったことがある。そのとき真っ先にいわれたのが高齢者の転職や人材派遣という業務だった。経験のあるベテランをまだ若い企業に送り込む。それによってノウハウを得ることができるし、当の高齢者も働きがいが出る。一挙両得だから絶対受けると。

しかし、そんなビジネスが現実に立ち上がり成功したという例は残念ながら聞いたことがなかった。いや、実際にはいくつも成功例はあるのかも知れない。しかし、高齢社のような例を目の当たりにしたのは初めてだった。

その違いは何だったのか。

実は、上田はガスターという東京ガスの子会社の専務取締役営業本部長として出向していたことがある。91年、上田が53歳のときの話だ。当時ガスターは経営不振に陥り、18億円もの赤字を計上していた。赤字になると増減資を行なっていた。本社から行った役員など冷ややかな目で見られるのが常である。
「転籍なら行ってもいい」と答えたが、それは適わなかった。そこでコミュニケーションを取って、プロパーの人たちの気持ちをつかもうと努力し、ひたすら拠点を回った。
「当時情報が上に上がってこない状況だったので、私のところにきたら、1週間以内で返事すると約束した(上田)」こともありコミュニケーションは大幅に改善されていった。

結局、赤字は翌92年期には4億6500万円に縮小し、93年には黒字化、94年には累損を一掃し、96年には13億円の利益を計上するまでになった。上田はこれにより「再建屋」の異名を得ることになる。

ところが、その再建屋にまたもそのお鉢が回ってきた。今度はガスターの協力会社である東京器工に、社長で、ガスターの役員兼務のまま行ってくれという話だった。当時、6億円の赤字で12億円の借入金があった。結局兼務は断り、社長として同社に行き、まず「リストラをしない」と宣言して、社員の心をつかんだ。社員一人ひとりとじっくりと話をして、利益の還元を約束し、公平でオープンな人事体制を敷いた。上田ならではの経営でこの会社も黒字に転換した。


時代に逆行しているようでも先を見て経営

上田の経営の根幹にあるのは、人本主義である。お客がいて株主がいて社員がいて協力企業がいると、社員と協力企業を大切にする。

こんなエピソードがある。

あるクライアントから9:30~5:30で仕事を頼まれた。ところが上田は派遣社員に9:00~5:30といってしまっていたのだ。それが判明したのは半年後。つまり30分よけいに働いてもらったのにクライアントからはその30分ぶんを貰えない。しかし、上田は即断即決、その30分ぶんを上乗せして派遣社員に払った。

とにかく社員を大事にする一つの例だろう。

ところで派遣のニーズが激減したのが08年のリーマンショック以降である。当時は社会問題にすらなった。そのとき同社は影響を受けなかったのか。
「業務が切られていき、毎月売上げが落ちて急激に苦しくなりました。年度の売上げこそ対前年で伸びていましたが、09年の7~9月は前年割れの実績となりました」と上田は当時を振り返るが、そのとき取った一手が面白い。
「営業マンを増やせ」と号令をかけたのだ。結局2人増やし、今年もう一人さらに増やす。なぜ、時代に逆行するようなことを行なったのか。
「競合が増えているし、そもそもまだ伸びる市場なんです。だから、手を打った(上田)」わけだ。そのために自分の給料は減らし、社員には経常利益の30%を渡すべく予算を組んだ。

上田は今年の2月に社長を退き会長になった。しかし相変わらず意気軒昂である。

(2010・11・25)

【第55回・後編】やり方よりも在り方を追求する進学塾の京都的生き方

成基コミュニティグループ

偏差値の低い子どもがキャンプで体験するピンチ

本当の教育とは何か――。佐々木が父親の突然の死によって、それまで務めていた大手情報出版会社を辞め、成基に戻ってきたときに考えたのは、そのことだった。

そこにはさまざまな葛藤があった。親にアンケートをとると、本心は別にあっても子どもを追い込むような言葉を発していたり、子どもはといえば親や先生にいわれるままに偏差値の高い学校を目指していたり、とてもそれがいい道だとは思えなかったのだ。

それは佐々木自身が社会に出て経験し、学んだことでもあった。

本当の教育とは何か。そんな模索のなかから生まれたのが、子どもたちをキャンプに連れて行くということだったわけだ。

最初は職員も親も大反対だったから、第一回目のキャンプは、ほとんど佐々木独りの企画であり、実行だった。

では、子どもたちは何を学んだのか。例えば家にいるときは暗くなれば電気をつける。しかし、そんな当たり前のことが自然のなかではそうではないと分かる。家にいれば何でもあったが、ここには何もない。ないことを知り、あることのありがたさを学ぶというわけだ。

とりわけ偏差値の低い子どもにはそれが顕著に現れる。

なんにもない場所で、子どもたちは今までで一番のピンチを迎える。しかし、何でも自分たちでやっていかなければならないことから、今までで一番といっていいほど人に認められる。親に手紙を書かせ、親からも手紙をもらう。そういう過程で、自分はこんなもんだと思い込んでいたトラウマから徐々に開放させられていく。そして少しずつ自信が芽生えてくる。

その自信が、前回に書いたように、帰ってきたときの親への元気な挨拶となって現れるし、それが結果として「偏差値25~35くらいの子どもの半数以上が関関同立クラスに進学する」という実績にもつながるのである。


脱落した子をどうやって救うのかを考えた末の結論

八九年に始めた個別指導(ゴールフリー)も同じような目的からだ。
「一斉指導の塾で難関校を目指す百人がいたとすると一年で半分以上は脱落します。そうすると、親は『やっぱりお前はダメだ』とか『そんなんだったら、止めなさい』などという。子どもたちの多くも〈自分はチャレンジしたけれど挫折した〉と思い、挫折することで〈自分はこんなもんだ〉と思う。そんな風に子どもがなるのならそれは子どもに申し訳ない」

だから、なんとかしたいという気持ちが、個別指導という新しい指導を生み出したのである。
「個別指導で預かった子のなかには、五段階の一や二の子がいる。そんな子は目的もない。将来の夢を聞くと『別に』と答える。何のために勉強するのか、その達成のためにどうすればいいか、いまとのギャップを埋めるためにこちらも必死で考える」(佐々木)

だから、「個別指導をやり始めて多くの塾が見学に訪れた(佐々木)」という結果になっているのだ。

国家や会社が守ってくれる時代ではなくなった。グローバルスタンダードのなかで生き抜いていくためには、個として自立していないと通用しない時代である。
「昔は指示命令系統がはっきりし、それに従うということがよしとされたが、いまはそうではない」(佐々木)

だからそうではない仕組みを作ったと佐々木はいいたいのだろう。
「それぞれの発達段階に合わせたプログラムを作っています。幼児なら楽しく遊びながら学ぶ(佐々木)」

教育に携わるものなら、だれでもこれくらいのことはいえると思われがちだが、進学塾でそれをきっちり実践しているところはそれほど多くない。その意味で成基の採る教育方針は間違っていないし、それゆえの発展なのだろう。


「在り方」を教えることにある京都的な企業らしさ

あるとき、佐々木はPTAの会長や校長ら500人ほどを相手に講演をしたことがあるそうだ。そのときの逸話がドキッとするほど面白い。

参加者にまず白紙の紙を配り、子どもに対して遺言を書いてくれといった。その後で、もう1枚紙を配り、今度はいつも自分の子どもにいっていることを書いてくれといったという。遺言にはみな一様に「優しい人になってほしい」「家族のために」などという言葉が集まり、もう一つは小言に満ちていたのだそうだ。
「遺言が子どもの追求すべき究極の幸せ(佐々木)」だが、現実にはそうはなっていない。こうした「気付き」を親にも子にも与えることができるのが佐々木の真骨頂なのだろう。やり方だけを学んでいっても幸せになれないという当たり前のことをきちっと教え実践しているからこその成基の成長なのである。

佐々木は、京都的な企業のあり方にも言及している。

そもそも京都で「尊敬される企業」とは何か。
「お茶や、お花、宗教など京都に縁の深いものはみんな在り方の世界。決してやり方の世界ではない」と佐々木は明言する。受験というやり方を教えることで、在り方を知るという自身の塾経営にもそれが表れているし、おそらくそうではない企業は京都では尊敬されないといいたいのだろう。

経営の観点で見ても、父親が創立し、一代で有名な進学塾にしたその成基を、佐々木が独自性の高い教育を付加することによって、より経営の幅を広げたともいえる。何より、前期の売上げが六八億円で経常利益が三億五〇〇〇万円という実績が、経営の成果を物語っている。

(2011・2・16)

【第55回・前編】京都発・超ユニーク学習塾の卒業生は現職大臣

成基コミュニティグループ

偏差値25~30の子どもが急成長

京都に超有名な塾がある。成基学園(成基コミュニティグループ、以下成基)の名で知られるこの塾の卒業生には、今をときめく大臣の名がある。京都2区選出の衆議院議員前原誠司国交相だ。他に京都選挙区選出の松井孝治参議院議員やその他議員の名も。

この成基は2年後の2012年には創立50周年を迎える老舗で、幼児教育から中学、高校、大学受験、親のコーチング教育まで幅広い活動を行なっている。社員数は310人だが、他にメンター290人、コーチ1200人と総計1800人の大所帯である。石川県能登半島には能登島キッズランドという実験や天文などの学習室、農園、広場、球技場まで擁した自然体験学習施設を持つ。総面積4万坪、常時200人が宿泊できる大規模な施設である。それも22年前の1988年から行なっているというから相当に先進的と言えよう。また、その翌年の89年には、当時では珍しかった個別指導を始めてもいる。
 
この塾の先進性を一言で語るのは難しいが、例えばこの能登のキッズランドに偏差値25~30の子どもを連れて行くという。1000人中900番以下の子どもたちだ。出かける際には駅で親に挨拶をするのだが、ほとんどの子が声もでない。ところが、4日後に帰ってきたときにはみんな元気で溌剌として、大きな声で挨拶をするようになって帰ってくるのだという。もちろんその姿を見た親の感激ぶりは大変なものである。何よりその半数以上が関関同立クラスに進学するのだというから大変なことだ。
 
なぜそうなるかは後に譲るとして、いわゆる普通の進学塾とは異なる、塾の概念を超えた塾といっても過言ではないだろう。


父親の塾を継ぎたくなかった息子の思い
 
この大きなグループを率いているのが代表の佐々木喜一である。佐々木は実は2代目だ。2代目というとどこかひ弱なイメージがつきまとうものだが、佐々木にはそのようなイメージなど微塵もないし、そもそもこの「塾の概念を超えた」さまざまな活動は、佐々木が社長に就任してからのことである。
 
成基は1962年、佐々木の父雅一によって創業された(創業当時はあすなろ学園)。その父は瞬く間に同社を有名塾へと押し上げた。そしてその働きぶりは凄まじいものだった。
「5つあった教室から、夜に日報が届くんです。それを毎夜11時から夜中の2時頃まで400冊のノートに赤ペンで指示を出していく。それを見ていると僕は継ぎたくないと思った」と佐々木は回顧する。
 
ひたすら努力して、率先垂範型ですべて自分が指示を出しヒエラルキーを形成する姿は、少年の佐々木には面白くなさそうに映ったのだ。
 
佐々木は大学を出ると大手銀行系のカード会社に就職をした。会社での成績はよかったが明らかに自分とは違う周りのパフォーマンスに飽き足らず、わずか1年半で辞表を出す。そして実家を継ぐことになるのだが、そこで大きな壁にぶち当たった。


初めて人を殴ったときの相手
 
次々と改革案を実行しようとし、父親と衝突することになったのだ。
「当時の社員の平均在職年数は2年で、誰もがイエスマンでした。社員250人中半分が女性、男性の9割は元校長先生で、仕事は『やったふり』でした。僕はアイディアを100個くらい持っていたから。でも父にしてみれば『何じゃこいつ、こんなことをしやがって』だったんでしょうね(佐々木)」
 
このとき初めて人を殴った。その相手は父だった。すぐさま辞表を出し、独り当てもなく生活を始めた。40社以上会社訪問した後、大手情報出版会社に就職し、2年が過ぎたところで父親が急逝した。
 
その時の佐々木の複雑な心境は推し量るべくもない。佐々木は自分のブログに当時のことを<あれほど受け入れられない父だったのに、動かない父を目の前にし、初めて私の中に嘘偽りのない感謝と謝罪の気持ちが込み上げてきた>と書いている。
 
そして佐々木が成基を継ぐ。
「最初にやったことは、まず経営方針と事業計画の策定です。そして子どもを連れてキャンプに行きました(佐々木)」


親が抱いていた感情の真実
 
このキャンプは父母の猛烈な反対にあった。それでも佐々木は実行した。
 
それはなぜか?
「大手銀行系のカード会社には有名大学卒の人間が片道切符で出向していました。地銀を訪問するとそこの支店長が居酒屋に連れて行ってくれ『自分は高卒だが、息子が大学を出るまで働かねば』と聞かされました。大手銀行に入り片道切符を貰うような人間を大量生産しているんじゃないか? という疑問を持ったんですね。受験していい大学に入ればエリートかというと明らかに違うわけです」と佐々木はその動機を語る。
 
当時親たちに交流分析のセミナーを受けさせた。すると、親が子供に言っていることはつきつめると「お前なんか死んでしまえ」というようなことだった。本心でそう思っていなくとも、結果としてそういうことを言っていたのだ。
 
一方子どもたちにアンケートをとると1000人中5人が「勉強が好き」と答えてきた。
「でも、本当に好きなのはそのうちの3人。多くはいい学校に入るのは将来のためと答え、学校の選択は親がいいと言ったとか偏差値が自分に合っているからという答えでした(佐々木)」
 
そこでキャンプを実行したわけで、それが冒頭の偏差値25~35くらいの子どもたちの半数以上が関関同立クラスに進学するという実績につながるのだ。(次回に続く)

(2010・9・1)

【番外編・4】日本商品に中国各テレビ局が群がった青島通販サミットって何だ?

過去2回と様相を異にした通販サミット
 
ほとんどの人の眼に触れなくとも、インパクトのある国際会議はあるものだ。2010年7月8日から10日まで中国の青島で「日中韓通販サミット」はその際たるものだろう。

と書いてもほとんどの人はピンと来ないに違いない。しかし、ひょっとすると10年後にはこのサミットが日本の特に中堅企業にもたらした役割について大きな話題になっているかもしれない。そんな気にさせられるほど内容の濃い3日間だった。
 
それでは通販サミットとは何だったのか? 主催は中国電子商会。中国政府の信息(情報)産業部傘下の非常に影響力を持つ組織で、その下には4000社からの会員企業が存在する。
 
そもそもこのサミットは第6回国際消費電子産業博覧会の期間に行なわれた20数件の国際会議の一つで、このサミットは3回目となっていた。サミット自体は3つの国の通販に関わる団体が集まり、スピーチを行なうもので、日本からは社団法人日本通販協会(JADMA)の専務理事がスピーチを行なった。
 
とまあ、これは表の顔的なもので、実際は中国のテレビ通販会社やEコマース会社がこのサミットには集結しており、参加した企業(日本メーカー)の商品を売り込むためのプレゼンテーションの場であった。ちなみに私の役割は、日本側事務局の事務局長であり、訪中団の団長だった。

過去2回と様相を異にした通販サミット


中国市場はこの5年で10倍の売上を目指す
 
今回のサミットは第3回目と書いたが、過去2回はいわゆるメーカーの参加がなかったという。つまり、日本サイドから売りたい物の提示は一切なかったのだ。
 
日本の通販会社が結集した団体というJADMAの性格上、メーカーを集められないのはもっともなことで、別の機能を持つ団体が必要だったのだが、過去の2回はそういう接点が持てず、叶わなかったということである。だが、さすがに3回目ともなるとそうもいっておれず、電子商会サイドも日本企業(メーカー)の参加を強く望んでいたのである。
 
というのも、現在の中国のテレビ通販の売上はざっと400億元(5132億円)であるのを、15年までには4000億元(5兆1320億円)と10倍に伸長したいという目標があり、その意味からも良質で安全性の高い日本製品は渇望されていたのだ。
 
日本の通販市場はJADMAの発表によると約4兆1400億円で日本の小売業全体(133兆円)のおよそ3%を占める。近年急激に売上を伸ばしてきたEコマース(5兆3000億円)と併せても7%にすぎないのだが、それでも日本が上回る数字であり、中国の購買力から考えると、4000億元でも極めて保守的な数字といえるだろう。
 
とあるきっかけから、この話を受けたわれわれは、早速参加メーカーの選択に当たった。いろいろな議論をしたが、結論からいえば、大手のように既に中国に製造拠点や販路を持ち、実績も上げている企業は除き、優れた技術や品質を持つ製品を作っているがそれほど大々的に展開はしていない企業に的を絞った。打診した企業の多くが前向きで、参加の意向を示してくれた。

中国市場はこの5年で10倍の売上を目指す


抜群の性能を持つ浄水器や除湿器、画期的化粧品などが目白押し
 
結局このサミットに参加した日本のメーカーは7社だった。どのような会社がメンバーだったのか、プレゼンテーションを行なった順でその7社を紹介していこう。
 
まず、三菱レーヨンクリンスイである。三菱レーヨンの子会社で、家庭用浄水器メーカーとしてはトップクラスの売上を誇る有名メーカーである。中国にも拠点を持ち、既に販売実績を持つ参加企業の中では、唯一の大企業的存在だった。
 
次は、ホソカワミクロン化粧品。ホソカワミクロンは世界的なナノテクノロジーを持つ大手粉体機械メーカーだが、同社創業者の故細川益男氏が機械という川上の商品ばかりでなく、ナノテクノロジーを川下の消費者向けに利用していこうとした肝いりの商品がこれで、画期的化粧品と育毛剤(同社は薬事法の関係で育毛剤といっていないが)をプレゼンテーションした。
 
3番目にプレゼンしたのはカンキョーという会社。90年代にその技術力で一世を風靡した会社だが、研究開発投資の重さから経営が悪化した。しかし、現在はよみがえり、除湿器と空気清浄機のプレゼンテーションを行なった。同社の除湿器は抜群の除湿効果を持ち、稼働させているだけで洗ったTシャツが10分で乾くという優れもの。中国の南部は湿度が非常に高く、こうした商品は渇望されているはずだ。空気清浄機を含め、注目される商品に違いない。
 
そして、本サイトでも2回にわたって紹介した山本化学工業。詳しい説明はサイトを見ていただきたいが、画期的な水着と画期的なバイオラバーという健康商品はやはり注目された。なかでも、中国テレビ通販界のドンともいうべき存在の聯采社長は興味を示していた。

抜群の性能を持つ浄水器や除湿器、画期的化粧品などが目白押し


次回のサミットには100社くらい参加してもらう
 
5番目にプレゼンしたのはアスク。出版社として日本語教材やさまざまなソフトウェアを作っている同社は、中国のニーズに対応できる商品を開発できるメリットを持つ。その意味で画期的な会社である。
 
次に紹介したのはカインドウェア。日本のフォーマルウェアの歴史が会社の歴史そのものという同社は宮内庁御用達で、英国の王室ご用達企業と提携しているフォーマルウェアでは国内最大メーカー。さらに近年は介護事業に積極的に取り組み、折りたたみ式のステッキなど、やはり注目される商品を多く紹介していた。
 
そして最後にプレゼンテーションを行なったのが濱野皮革工藝。これも皇室御用達のバッグとしてつとに有名なメーカーだが、近年はテレビ通販に力を入れており、実績も相当上げている。台湾では既にテレビ通販を展開していることも強みで、すぐに番組を立ち上げたいというようなテレビ局さえ現れた。実際、プレゼンテーションの翌日は賑やかな商談会となり、より具体的な話に進展した企業もみられた。
 
中国市場というと、その大きさに、参入を望む企業は間違いなく多い。しかし他方、どこにどのような話をすればいいのか見当がつかないために放置している企業が大多数でもある。今回のような中国の国家機関が関与するプレゼンや商談が進めば、間違いなく日本の優れた商品が中国人に愛用される日は近づこう。何より今回のサミットが大成功の裡に終わったことがその証左である。
 
次回の通販サミットは100社くらいの参加を望みたい。これが、われわれ事務局サイドの思いで、だから参加したい企業はぜひお知らせいただきたい。

(2010・7・21)

【番外編・3】ビジネスマンは話題のiPadを本当のところどこまで使いこなせるか

見せびらかすには面白い道具か?
 
iPadが人気である。いや、正直にいうと、日本でどこまで人気なのかはよく分かっていない。
「話題先行じゃないのか?」
「そりゃ、大人のおもちゃとしては面白いだろうがね」
「使ってみたいけれど、本当のところどうなんだ」などという人のために、レポートしたいと思い立ったわけだ。

というわけで、今回はちょっと趣向を変え、今話題のiPadがどれほど役に立つのかをレポートしたい。当然この原稿もそのiPadで書いている。パソコンのワープロソフトで書くように滑らかではないが、それでも十分に使える。
 
購入したのは、発売日の翌日だった。機種としては「Wi-Fi+3Gモデル」。つまりどこでも使えるという機種だ。3Gモデルでなくても、「どこでもWi-Fi」のようなサービスを使えば、ほぼどこでも使える。
 
見せびらかすには面白い道具か?私は購入以来、常に持ち歩き、いろいろな局面で表に出しては使っているのだが、まぁ、他人は驚いてみせるものの、心の中では単なる見せびらかしと思っているに違いない(笑)。
 
さて、このiPadを購入するに当たって一緒に購入したのは、iPad専用のゴム製の純正ケースとワイヤレスキーボードである。何らかのケースが必要だったのと、やはり画面で打つよりはキーボードの方が打ちやすいと思ったからだ。結果は、どちらも良好だった。特にこのワイヤレスキーボードは非常に軽く、使いやすいことこの上ない。新幹線のなかでもこれがあるとずいぶん便利である。


新幹線の車内で使うならノートPCよりもストレスなく快適
 
私は決してITオタクではない。ずぶの素人に近い。その私が使った(わずか1ヵ月弱の)経験からいうと、私のようにものを書くことが多い人間にとってはこのiPadはかなり有効である。
 
だから、日常的に書類をまとめることの多い人には向いている。最近では会議に出席してノートPCでメモを取っている人は多いが、ノートPCよりはかなり使いやすいと思う。メモを取る以外に、話題のテーマですぐネット検索できるし、録音も可能である。企画書を書くといった仕事が目の前にある人にもかなり有効だと思う。キーボードがなくても使えるが、キーボードがあれば仕事のスピードは数倍に上がる。
 
この原稿はiPhoneにもついている「メモ」というソフトに書いているのだが、本当はワープロソフトがあれば、なおいいのだろう。このiPadにはアップル社製の「Pages」というソフトが1200円で売っているのだが、評判が悪いので買っていない。
 
それがなくても、この原稿をそのままテキストベースで保存すれば、マイクロソフトのワードソフトにも変換できるし、どのようにも加工できる。
 
実際、このところ出張が多いため、毎週のように新幹線の車内で原稿を書いているが、400字5~6枚から10枚程度の原稿を書くには十分に使いこなせる。10時間程度は電池も保ってくれるので、電池切れを心配しつつ重いノートPCを持ち歩くよりは、ストレスがなく快適である。


iPhoneにはもう戻れない
 
では、他にどんな使い方ができるのか。それよりも、これがどんなことに使えるのかを考えてみたい。
 
その時に考慮すべきはこの大きさである。横15センチ弱 × 縱19センチという画面の大きさは、iPadの最大の利点である。iPhoneに慣れた人なら、まずこの画面の大きさを魅力の第一にあげるだろう。ウェブを見るならこれだし、メールのやりとりもiPadの方が大きい分スムーズだ。
 
毎日無料で配信される産経新聞を読むのに、こんな最適なデバイスはない。ちょっと恥ずかしいが、通勤の電車では産経新聞を読んでいる。ゲームフリークなら、さらに使い勝手の良さを感じるに違いない。実際、一度iPadを使ってみると、もうiPhoneには戻れない、というのが正直な感想だ。
 
そんな中で、唯一意見の分かれるのは電子書籍を読む場合だろう。画面が大きなiPadはもちろん読むのに便利である。しかし、書籍(新聞や雑誌ではなくあくまで書籍)でいえばちょっと違う。活字だけを目で追うという観点にたてば、私は、手のひらで読むことができるiPhone(あるいはiPod touch)が、圧倒的に便利だと思う。
 
実際、中里介山の「大菩薩峠(全41巻)」もヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」もiPod touchで完読したが、すこぶる快適だった。
 
もちろん 、iPadよりもiPhoneのほうが使い勝手がいいという場合は他にもある。例えばマップを利用する場合はその典型だ。知らない場所に住所を頼りに行く場合、マップに住所を打ち込んで近くの駅からそのマップを頼りに向かうことになるわけだから、大きなiPadよりは小さなiPhoneのほうがいいに決まっている。
 
当たり前のことだが、iPadはその特性を生かした使い方をして初めて有効なのである。ではその使い方とは?


『できるビジネスマンなら
間違いなく充実した気分に浸れる
iPadの魅力と実力』


ワールドカップをテレビで見ながら情報収集
 
私が気に入っている使い方は、iPadを横に置いてテレビを見るという方法である。もともとテレビで見るのはスポーツが圧倒的に多い私は、ゲームを見ていて周辺の情報を知りたくなる。
 
例えば、ワールドカップ。このチームの注目選手は? 予選はどう戦い、どんな勝敗だったのか? 今出てきた選手はどこのチームに所属している、どれくらいの選手なのか。あの監督はどういう経歴だったか、などなど。見ながらネットで検索して調べるのだ。本来デジタルテレビでは、dボタンがついていて、それを押すと画面が分割され、その手の情報を提供してくれるはずだが、コストも手間もかかるせいか、NHKも民放もそんな気持ちはさらさらないようで、唯一その手の情報提供がなされているのは、正月の箱根駅伝だけだが、これとて情報的には不満が多い。
 
だから、この方法が生きるのである。こうやってテレビを見ると、楽しさ
は倍増する。この方法ならテレビドラマだって使えるに違いない。
 
例えばNHKの大河ドラマ「龍馬伝」を観ながら、武市半平太はどうなったんだっけ? とか、龍馬が海援隊を作るのはこの何年後だったっけ? など、ふだん、ちょっと疑問に思っても、次から次へと押し寄せてくる映像という名の情報の波に呑まれて行く現実に、一石を投じてくれる役割を、このiPadが担ってくれるというわけだ。


話題の本をあっという間に手に入れる
 
さらにいえば、iPadが便利だと思ったこんな話もある。
 
やはり出張中の新幹線の車内。隣に座った同僚と四方山話をしていた時、その彼がこんなことを言い始めた。
「そういえば最近、金融のことを扱った演劇があったのを知ってますか」
知らないと答えると、
「なんでもイギリスの演劇で08年のリーマンショックを舞台にしたもので、登場人物がアメリカの財務長官や有名な投資家などリアルな人ばかり出てきて、リーマンショックの舞台裏を暴いているようなのです」と、その彼は言ったのだ。
 
その演劇は日本語に翻訳され、日本でも何カ所かで上演されたとか。
 
こんな時こそiPadの出番である。その演劇「The Power of Yes」をネットで検索した。後は誰でもやるようなプロセスを経て情報にたどり着いた。
「The Power of Yes」は、2009年春、イギリスのナショナル・シアターが劇作家デイヴィッド・ヘアーに依頼して書かれたたもので、
「世界金融危機はなぜ起こったか、いま何が起きているのか」がテーマである。ヘアーは、多くの関係者へインタビューを行ない、その証言をまとめてドラマを書き上げた。
「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロス、現代金融工学の始祖的存在でブラック-ショールズモデルでお馴染みのノーベル賞経済学者マイロン・ショールズ、ほかに、バンカーや投資家、金融ジャーナリストなどのリーマンショックを巡る人物たちが登場するドキュメンタリー・ドラマである。
 
日本で上演したのは「燐光群」という劇団で、東京は5月下北沢の「ザ・スズナリ」で上演され、その後、地方でも行なわれた。
 
演劇なら脚本があるだろう、というわけで、今度はアマゾンにアクセスし、Kindle for iPadで読むべくダウンロードした。14ドルの本が11ドルちょっとで買えたし、何より凄いのはすぐにその本を電車の中で読み始めることができたことである。


録音しながらメモをとる
 
さて、本当にビジネスにこれを役立てることはできるのか?
 
正直なところ、その結論は出せないままである。本来仕事に使うものではない、という意見もあるだろう。例えば、アップル社からはiPad用のスプレッドシートソフト(Excelと同じようなソフト) や、 プレゼンテーションソフト(パワーポイントと同じようなもの)が発売されている。これらは価格も1200円とその種のソフトにしては安価である。買って使っている人の評価もそれほど悪くはない。
 
だから買って使ってみようかとも思うが、そのためにはMac用の同じソフトを買って、パソコンに一度落としてからでないと不安であり、そうなると躊躇するのだ。早くマイクロソフトがiPad用のワードやエクセルのソフトを出してくれることを願うばかりだが、それはそれできっと高いんだろうなぁ。
 
さて、それ以外にビジネスに役立つ使い方はあるのか?

会議の議事録を取ったり、人の話を聞いて文章をまとめるなら、「sound paper」というソフトを使うとかなり楽に行なえる。これは録音機能とメモ機能が合体したもので、会議が始まると同時に録音を開始し、メモを取り始める。会議が終わってそのメモをベースに録音を再生しながら、メモを完璧な文章にしていけば良い。手書きでメモを取ることもでき、再生時にはメモと録音が同期しているという優れものだ。


出版社が電子書籍を本格的に出すのはいつか
 
まだある。私はまだiPadでは試してないが、iPhoneでやっていたように、書籍をスキャンしてpdfファイルかtextファイルにして、電子書籍として読むという方法がある。ハードカバーの書籍は重いので、これは(手間さえ厭わなければ)便利である。
 
もっともそれよりは早くそれぞれの版元が電子書籍を出してくれることのほうがいいわけだが、出版社にいた経験からいえば、まだしばらくかかるだろう。
 
実際には電子書籍にする場合の形式(e-pubなど)をどうするか、それに関わる費用の問題など、クリアしなければならない問題が多いのだ。
 
まぁ、電子書籍はさておき、この他にも使えそうなソフトは怒涛のごとく発売されている。吟味して使えば、どれも役立つに違いない。
 
ま、現在のところでは、これくらいのレビューしかできないが、それでもこのツールは私をワクワクさせてくれるツールであることに変わりはない。
もう少し使い込んだら、またレポートしよう。

(2010・7・7)

【第54回・後編】事業仕分けにも使われる会議室運営会社の売りは多様なソフト

株式会社ティーケーピー

決まったスケジュールで1年間を埋めていく
 
幸いにして、ティーケーピー社長の河野が六本木で託されたような、いわゆる訳ありビルは東京のいたるところにあった。訳ありビルだけではない。どれもが普通の相場の半額以下で借りることができた。それを時間貸しの会議室にしていったのだ。

ここまでの話なら普通の話である。比較的誰でもが容易に取り組むことができるだろう。実は河野が違うのはここからであり、それこそが同社が急成長した理由なのである。
 
まず、訳あり以外の建物で無駄なスペースはないかと考えた。例えば結婚式場なら、平日は比較的空いている。つまりおカネを生み出さないスペースになっているのだ。そこで運営受託方式で、そういうスペースも借りていった。無駄なスペースを埋めてあげれば、先方にもおカネが落ちるから喜ばれた。
 
次に考えたのが、顧客の確保である。同社の貸し会議室は都市部に多い。都市部にある一定規模以上の企業なら研修が行なわれている。これに目を付けた。実際、その規模の企業では新卒の研修から始まり、中間管理職の研修、幹部の研修とそのスケジュールは年間の予定になっている。これを片っ端から営業して歩いた。一般の貸し会場よりも安く、年間で押さえられる便利さは、好意を持って迎えられた。続々と年間でスペースが埋まっていき、それだけで損益分岐点を超えたのだ。
 
これでリスクがなくなった。後は、それ以外の空いているスペースを売って(貸して)いくだけ利益が出る仕組みとなる。貸し会議室のサイトを構築し、ネットで売っていけばそれほど販促費をかけずともビジネスになる。こうして売上げはさらに伸長していったのだ。


会議室ビジネスはハード(部屋)ではなくソフトが決め手
 
しかし、同社のビジネスはそれだけにとどまらない。例えば同社の会議室を借りる場合、飲食を持ち込むことはできない。ホテルなどが飲食付きでないと貸してもらえないことから見れば、それだけでも客のメリットは十分にあるのだが、同社は必要に応じてケータリングサービスを入れたり、いろいろな機器をレンタルで供与している。
「お客さんが必要とするものはこちらが用意する。その方がお客さんが後で片づけをしなくてもすむし、それだけ会議に集中できるでしょう。それが付加価値だと思うんです」
と、河野はいう。お客にとって面倒なことを省いてあげ、結果としてそれが利益にも結びつく、そんなビジネスを河野は志向している。
 
その最たるものが、研修のコンサルティングだろう。企業が研修に会議室を使う場合、多くは研修会社を使う。当然、同社は研修の実態を目の当たりにすることになる。そこで河野は気がついた。
「必ずしも研修の目的に対して、人材コンサルティングなどの研修会社がそのニーズを満たしているとは限らない(河野)」ことに。
 
そこで同社は研修会社別に、どのような研修の場合はどこを使うのがいいかといったメニューを用意した。そして、特に研修会社を決めていないような企業の場合にはその選定や、講師の派遣までやるようになったのだ。
 
こうして、貸し会議室のビジネスはソフトという付加価値をたくさんつけたビジネスへと膨らんでいったのである。


リーマンショック後の危機に迅速に対応
 
こうして書くと、同社が創業以来順風満帆に成長してきたように見えるかもしれない。だが、危険が迫っても素早く柔軟な対応を行なっているからこそ、その成長を持続させ得ているのだということを知る人は少ない。
 
例えば、怪しい会社と間違えられないように信用力を強化しようと、大手企業に株主になってくれと口説いて回ったのはその一つ。
 
また、こんな手も打った。
 
創業当初は会議室の仕入れも順調にいっていたが、徐々に不動産市況の上昇もあり2年ほど前には訳ありといっても比較的高値購入を余儀なくされていた。そこを襲ったのが08年9月のリーマンショックである。たちまち不動産市況は下落した。
その時の河野の対応が素早かった。自分たちが抱えている会議室の価格が相対的に高くなったと踏んだ河野は、スクラップ・アンド・ビルドを決断。すぐさま高値で借りているところを返し、新たなスペースを借りていったのだ。
 
不動産は最悪でも6カ月で解約できる。多少損が出ても、高コストのままの構造で放置していたらとんでもないことになるから「こういうときのために常に現金を用意していた(河野)」という周到さだった。この決断が遅かったらどうだったか。割高の物件を持ったまま、現在のような不況に突入していたら、河野が思い描いたような成長が期待できたかどうか。やはり経営者にとっては決断が命である。
現在同社の売上高は27億円、営業利益は2億円である(いずれも08年度実績)。初年度売上高2億円で始まった同社がわずか5年で急成長したことを数字ははっきりと示している。


ソフト分野の充実が新たな成長を生む
最近、河野は頻繁に渡米するという。行く先はニューヨーク。高級ホテルの宴会場を同じような形で使えないか模索しているのである。
「向こうは宴会場の利用料はめちゃくちゃ高い。夜には20代のビジネスマンはせっせと自己投資する。それなら、同じようなビジネスが可能ではないか」と河野はいうのだ。日本ではホテルの宴会場をティーケーピーの会議室に転用しているケースが増えている。前回書いた幕張のアパホテルはそのいい例だが、その輪を全国の主要都市に広げていきたいと考えているそうだ。
「ホテルにはハードとホスピタリティーはあるが、ソフトがない」という河野の言葉がその意欲を示している。
 
確かにソフトまでできるのは同社だけかもしれない。実際、前述した研修のコンサルティングや講師の派遣、機器のレンタル、ケータリングに加えて最近はテレビ会議システムを導入した。
 
さらには会議室スペースを借りているビル全体の管理業務を請け負えるように、保守管理会社を立ち上げたり、不動産の仲介自体にも乗り出している。
「当面の目標は100億円の売上げ」と河野はいうが、もっとずっと先を見ているのは間違いない。

(2010・5・11)

【第54回・前編】貸し会議室で急成長、伊藤忠元社員のベンチャー魂と目のつけどころ

株式会社ティーケーピー

貸し会議室って儲かるの?

貸し会議室というビジネスがある。そんなものビジネスになるのか? と思う人は多いだろう。何せ時間貸しだ。いつ埋まるとも分からないスペースを開けておくなら、賃貸で貸した方が効率がいいと思うし、別の使い方もあるのではないか、とも。そもそもそんなニーズは世の中にあるのか?

それがあるのだ。しかも頻繁に。

特に大手企業は人事部があらゆる階層の社員に対して研修プログラムを用意している。研修は社内で行なわれることもあるが、外部で行なわれることも多い。大きな会議室といっても、社内では無数の会議ニーズが存在するのでなかなか調整が難しい。したがってある程度まとまった人数の研修を行なうスペースが定期的に必要になる。その最たるものは新入社員研修だ。以前の大手企業なら、箱根や軽井沢の自社研修施設を使うなどということもあっただろうが、現在はもちろんその手の施設は売却してしまった。
 
ホテルなどの施設はそのニーズを満たすが、残念ながら値段が高い。また、食事をセットにしなければ貸してもらえないという場合も多い。どこかに割安で便利に使える研修施設はないのか? ということになるのである。
 
逆に供給サイドに立ってみると、貸し会議室を十分に用意しておけば、事前営業をきっちりやることで、あらかじめ年間スペースを埋める(売上を確定する)ことができる。
 
このニーズに応えたのが株式会社ティーケーピーである。


ホテルの会議室と比べ断然安い価格設定

ネットで「貸し会議室」を検索するとトップに出てくる同社のホームページを開くと、その会議室の多さにちょっとびっくりさせられる。大手町、日本橋、代々木、新宿、八重洲、丸の内、銀座、原宿、品川、三田と枚挙にいとまがない。東京都内だけではない、横浜も幕張も、大阪、名古屋、福岡と主要都市にはことごとく設置しているのだ。
 
しかも同社の運営する会議室は、ホテルなどの宴会場を借りるよりも相当に安い。例えば、幕張のTKP東京ベイ幕張のカンファレンスルームを30人の研修で利用するという場合、1時間1万5750円×3時間=4万7250円だが、同じ幕張でニューオータニ幕張の「ちょこっと会議プラン(3時間:軽食付き)」を利用すると、1人5000円×30人=15万円もかかる。軽食代を差し引いてもどちらが安いか一目瞭然だ。
 
いや、ホテルの雰囲気の方がいいという人もいるかもしれない。ところが、同社の会議室は元幕張プリンスホテルの宴会場を会議室に転用したもので、設備などはきちっとしているのだ。幕張プリンスをアパホテルが買い取り「アパホテル&リゾート<東京ベイ幕張>」となったのは知られているが、アパホテルでは客室だけで採算性を考えており、宴会場は特にニーズがなかった。そこにTKPが話を聞きつけ、宴会場部分を借り受けて、会議室として利用するようになったのである。
 
同社の価格の秘密は、実はこうしたスキームにあるといっていい。


非効率性が存在する分野にビジネスの旨味がある

ティーケーピー社長の河野貴輝が同社を創業したのは05年の8月。そのきっかけが面白いのだが、それはおいおい話そう。
 
河野はそもそも伊藤忠出身である。96年に入社し、証券部門でバリバリの営業マンとして活躍していた。ところが、世はインターネットが急速に普及を見せ、当時の丹羽社長の号令の下、情報と金融を融合させた新プロジェクトの立ち上げを行なうこと事になった。こうしてできたのがカブ・ドットコム証券である。
 
ここで河野は初めてベンチャーの洗礼を受ける。
「土日も家に帰らないで仕事をやっている人たちの姿を見て、『あぁ、これがベンチャーなんだ』と感慨を覚えました」と当時を河野は振り返る。その強烈な印象が、やがては独立へと河野を導いていく。当時の上司が証券の次は銀行だと、ネットバンクを立ち上げるべく動き、一緒に誘われた河野は、ここで伊藤忠を去り独立する事になる。2000年の事だ。
「この独立はホップ・ステップ・ジャンプのステップのつもりだった」と河野は考えていたが、インターネットビジネスはそれほど甘くなかった。
「インターネットオンリーだとゲームとか音楽しかない。しかし、そっちはいわば専門家の世界で自分には経験がない(河野)」
 
だから、いろいろなこと事を考えた。河野の念頭にあったのは非効率の存在するマーケットで「差(利益)」を取るビジネス。「価格が高く設定されていても実際は安い」とか、「価格が低くても実は価値がある」というような状況では非効率性が存在する。それがビジネスになるという考えで、つまりは証券ビジネスでの経験の延長。ところがどれも河野の考えにぴったりと収まる事業はなかなかなかった。


「会議室貸します」で近隣の客が殺到

こうして模索を続けているときに、ある建設会社から話が舞い込んだ。六本木のミッドタウンの近くでビルを借りてくれないかというものだった。そのビル、訳ありビルだった。そのビルを取り壊したかったのだが、2、3階2、3階は立ち退いてくれたものの、1階は店舗が入り営業していたのだ。そこで2、3階をいくらでもいいから借りてくれといわれたのである。結局2フロアを20万円で借り、3階部分をミッドタウンで工事をしている建設会社に事務所として25万円で貸した。これでとりあえず、利益を確保した。そこで考えたあげく、2階部分を貸し会議室にして近隣の企業に貸すことにしたのだ。とはいえ、チラシを作るほど手間もかけられず、ネット上で募集した。ところがそれに企業が殺到したのだ。
 
ここで、河野の賃料を決めるプロセスが面白い。喫茶店で会議をするとしたらどうなるか、と考えたのである。例えばスターバックスで打ち合わせをするとしたら1人当たり300円程度かかる。しかも、1時間くらいが限度だ。
 
それなら1人1時間100円で貸したら、使ってもらえるんじゃないかと考えた。結果としてこれが決め手となり、1日2?3回転して、月100時間の実績となった。1時間平均で5000円として、月額50万円の収入である。
「訳ありのスペースは都内に多い。これはいけるのではないか」
 
河野は本格的にこのビジネスの将来性を模索し始めたのである。

(この項続く)

(2010・4・28)

【番外編・2】「そんなに儲かるなら投資をする」というほどベンチャーは甘くない

指標は改善を見せても実情はまだまだの景気
 
2月の商業販売統計速報が先頃発表された。前年同月比で4.2%の増加で、2ヵ月連続の増加となっている。「ほぉ、物が売れ始めているのか」と思いたくもなるだろうが、昨年の最悪期よりは幾分ましになった程度で(昨年の2月は前年同月比21.5%の減少だった)相変わらず物が売れていない状況は続いている。

景気の実感とは裏腹に、指標を見ていると状況の改善を示す指標がちょこちょこと目立ってきている。だが、こと投資マインドで考えた場合、実態はまだまだである。
 
例えば、IT投資でいうと、各種シンクタンクの調査では相変わらず企業のIT投資意欲は減衰したままだ。このような状況を打開する一つの突破口は大きなブレークスルーを伴った新技術の開発である。
 
4月3日に発売される米アップル社の「iPad」などはそのいい例だろう。この製品は多くのメディアで既に取りざたされているので今さら書く必要もないが、昨年までブームになっていたネットブックというPCと大きさや機能は似ているようにも見えるが、大きく異なる。この「iPad」はPCの延長線上の技術ではなく、全世界の小型音楽プレーヤーの元になった「iPod」や携帯電話の「iPhone」の延長線上にある技術である。その違いに技術や発想のブレークスルーが見えるのだ。
 
それにしても、こうした状況から「技術大国日本」が大きく取り残されている。ソニーが「Walkman」で一世を風靡したのは1980年代初頭で、それから既に30年が過ぎている。


アメリカでは技術のブレークスルーは大学から生まれる
 
私はその原因の一つとして大学の弱体化があると考える。
「教授が自分の会社を持ってないと肩身が狭い」と言い切ったのは、元松下電器産業(現パナソニック)副社長でスタンフォード大学教授を務めた水野博之氏である。今から14年前の話だ。
いささか旧聞に属するこの話をなぜ引っ張ってきたかといえば、日本の現状はそのときと変わってないばかりか、現在の不況もあってさらに悪くなる恐れがあると思うからだ
私はその責任の一端は大学などの教育機関と産業とがきっちり手を取り合って融合していないところにあるからだと考えている。
14年前当時、アメリカはベンチャーが真っ盛りで、日本にも漸くその波が押し寄せようとしている時期だった。スタンフォード大学はその中心的存在で、まさに多くの人材を輩出していた。
例えば、ヤフー創業者のジェリー・ヤングとデイビッド・ファイロがヤフーを創業したのは工学部電機工学科の博士課程に在籍しているときで、その研究の合間に「Yahoo!」を作り上げてしまったというのは有名な話である。
最近ではグーグル創業者のセルゲイ・プリンとラリー・ペイジの二人がいて、やはり大学院生のときにグーグルを創設した。
面白いことにこれほど有名な大学となった同校だが、1940年代頃までは無名の存在だったらしい。当時は圧倒的に東部のハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)などが強く、厳然たる知の基盤を持っていた。
これに対して大学は何をしたか。産学連携ともいうべきスタンフォード・リサーチ・パークを独自に作り、ここに研究開発型企業を集めたのだ。そこから同校の発展が始まった。


ガレージ起業をやる度量とチャレンジ精神があるか
また60年代には、当時のターマン学長が学生だったビル・ヒューレットとデーブ・パッカードの二人を呼び、事業を起こすことを勧めただけでなく、自らのガレージを仕事場にとあてがったそうだ。
これがヒューレット・パッカードのスタートであり、「ガレージ起業」の言葉の起こりともなっている。
考えてみるとこの10年、似たような動きが日本でもあった。
98年には、大学で生まれた技術が民間に移転されるべく、TLO(技術移転機関:Technology Licensing Organization)法が施行され、東京大学の先端科学技術イノベーションセンターや京都大学など関西の大学で作った関西TLOなど、17件ものTLOが設立された。実際に大学発ベンチャーとして会社がつくられもした。
しかし、それが機能したか。答えはNOである。
では何が違うのだろう、とは考えない方がいいのかもしれない。それ位あまりにすべてが違いすぎているからだ。
恐らくチャレンジ精神というものが日本とかの国では違うのだ。
冒頭で紹介した水野さんも、最近の『週刊東洋経済』でこんな意見を披瀝している。曰く。
「大切なことは既成の概念にチャレンジできるか、そして社会がそれを許容するかどうか」
 
その通りなのだろう。
しかし、それにしてもと思うこんな例もある。
グーグルが上場した際にスタンフォード大学が得た株式売買益は3億3600万ドルにも及んだ。
そんなに儲かるなら、俺だってやる――というわけにもいくまい。

(2010・4・1)

【第53回・後編】一泊109円をもらえる旅行代理店を急成長させた「お試し」のモデル

クーコム株式会社

信用してくれない人に綴った3ページにもわたるメッセージ
 
クーコム株式会社の会員が増え始めたのは、ネットでサービスを開始して1年ほど経ってからである。1泊1200円という信じられないような値段設定で逆に不審がられたものの、やはり価格の魅力の力は大きくそれが支えになっていたのだ。とはいえ会員数はまだ微々たるもの。それでも問題は絶えない。今度はサーバーに問題が起きた。

もともとこのサービスを行なうときに、プロバイダーから商売に使うなといわれていたのを、その会社の社長に説明に行き、社会的意義のあるものだからどんどんやれと励まされてスタートしていたのだが、1年ほど経つと「うちのサーバーから出て行ってくれ」といわれたのだ。
「そのサーバーは何100人で共用していたのですが、実は回線の98%をわれわれで使っていたことが分かったんです」と西村は述懐する。
 
会員数こそまだ増えていなかったが、問い合わせが急増したことでサーバーを独り占めする結果となってしまったのだ。
 
そのとき西村は考えた。見に来てくれる人がこんなにいるのに、なぜ会員数は少ないんだろう。素朴な疑問だった。だから、「信用できない」と文句を付けてきた人がいれば、用紙3ページにびっしりとこのビジネスの意義を書いて戻した。それで「感動した」といって会員になる人もいたほどだ。


詐欺の会社か、凄く強いネットワークを持っている会社
 
転機はやがて訪れた。興味はあるのに今ひとつ信用できないと考える人がいるなら、一度試してもらえばいいんじゃないか、と西村は考えたのだ。
 
このお試し会員制度がこのビジネスを爆発させることになる。
「使ったら一人840円をいただくということにしたんです。すると、それまで100~200人くらいしか会員がいなかったのが、一気に1万人になったのです(西村)」
 
一度お試しで会員になった人はそのとき1回しか使えない。しかし、その格安の体験を味わうと、このサービスを信頼するようになる。そういう人たちが、正会員になっていったというわけだ。
 
こうして事業開始から1年半ほど経つと、そこそこの利益が出始めた。それまでは一人でガムシャラにやっていたビジネスだが、営業のできる先輩や弟などを引き込み4人の体制を作り、自宅を出て事務所も借りた。
 
この頃、まだ自宅でやっているぎりぎりのときに一人の男が訪ねてきた。それが日本ベンチャーキャピタルの社長・奥原主一だった。日本ベンチャーキャピタルの役員構成を見ると、奥原の交友関係の一端が分かろうというものだが、取締役には名だたる財界人が20人近くも名を連ねている。
 
その奥原がこのクーコムに注目したのだ。
「うちの会社のことを、詐欺の会社か、もしくは凄く強いネットワークを持っているやつがやっている会社かそのどちらかだ、という感触を持って来られたようです」と西村は当時を振り返る。結果として西村は認められ、そして「そろそろ予約システムを作らないと回らなくなる」と指摘された。
 
そして増資をした。会員登録の自動化、予約の自動化などが行なわれた。


空いているところに客を送るといっても断る業界慣習
 
さて、会員数は増えていったが、肝心の旅館の方はどうだったか。現在3000軒の旅館やリゾートホテルが同社の会員を受け入れているが、最初はやはり大変だった。
「最初の頃、旅館にはパソコンがない、インターネットもつないでない、という環境でしたからね」と西村はいう。それに加えて、旧態依然とした業界の観衆や雰囲気があった。「空いているところにお客を送ってあげるといっても、『いやいらない』という状況のところが多かった(西村)」から当然プランも同社サイドで作って持っていった。
 
宿から1円も貰わない同社の仕組みにおいても、旅館を説得するのが難しいとしたら、業界はいったい何をやっているのかと思ってしまうが、それがまた現実なのだろう。こういう商慣習のなかで会員数や参加旅館を伸ばしていけたのは、ひとえに西村の思いによるところ大なのだ。
 
それは、会員にとって不透明なところをなくし、会員にも意見をいってもらいながら旅行業を変えていきたいという思いである。
 
前回紹介した同社ホームページに掲載されている社長のメッセージは、そんな熱い思いの集積だし、その良さを広めたいという熱心さの現れである。
 
考えてみると、泊るとただどころか109円貰えるという宿も、仮に同社が25000円で仕入れたとして、それによる集客効果が高いならば宣伝広告費として十分にペイする話である。


インバウンドをやるときはアウトバウンドも一緒にやる
 
旅行業界では、昨2009年がネット旅行事業元年といわれている。最大手のJTBが200店舗を閉鎖し、ネットに展開していくことを発表した。
 
そんななか、同社は旅館だけでなく新たな展開を次々と見せている。
 
その一つがレンタカーだ。あまり知られてないが、同社はレンタカーのアウトレットも行なっている。
 
そのサイトを見てみよう。会員になると各社のレンタカーが最大で50%オフ、54%オフ、最大77%オフなどの魅力的なコピーが並んでいる。面白いのはこれを利用する人の半分くらいがインバウンド(外国からの)客なのだそうだ。
「インバウンドはこれから大きくなる市場です」と西村は指摘するが、まだまだ課題も多いという。現地に根付かないと、向こうからの集客は難しいのだそうだ。それでも西村の目はその将来を見据えているように見える。
「インバウンドをやるときはアウトバウンド(外国への旅行)も一緒にやります」と抱負を語るのだ。
 
現在、同社の会員数は90万人である。その数の評価を西村に問うと、「まだまだ少ない」と答えた。楽天トラベルの売上は2800億円。せめてあと10倍にしたいというのが本音なのだろう。
 
最後に聞かずもがなのことを聞いた。
「そもそも日本には宿が多すぎるのではないか」と。
 それに対する西村の答えは明確なものだった。
「満足度が低いから客が減っているだけです」

(2010・3・10)

【第53回・前編】一泊すると109円をもらえる!? 特異な旅行代理店のユーザー本位経営

クーコム株式会社 

格安の旅館・ホテルがふんだんに掲載されたサイト
 
急成長している会社に勢いがあるのは当たり前だが、得てしてその勢いのよさが独りよがりだったりするものだ。しかし、本当に真っ当な勢いのある会社は見ていても話を聞いても清々しい。そんな会社の一つにあげてもいいだろう、それがクーコム株式会社である。

その象徴ともいうべきものが同社のホームページ上にある社長のメッセージだ。社長のメッセージに共感を覚えたのは、テンポスバスターズ前社長の森下篤史のメッセージ以来だが、同社社長の西村恵治のメッセージは鮮烈で澱みがない。
 
その前に、同社は何をやっている会社かを説明しておこう。一言でいえば、ネットの旅行代理店である。こう書くと「なぁーんだ」という反応があるかもしれないが、そんじょそこらのネットの旅行代理店とは違う。
 
同社はトクー!トラベルというサイトを運営しているが、キャッチフレーズは「旅館ホテルのアウトレット! 直前予約のトクー!」である。これもよくある話で、そもそも旅館やホテルに安く泊れる料金設定になっているし、その価格は直前になるほど安いというサイトはいっぱいある。でもちょっと違うのはそのサイトの右側を見ると、「マイナストクー!市」というコーナーがあり、一泊すると109円お金をもらえる旅館やホテルの案内が出ていることだ。
「鬼怒川仁王尊プラザ 朝食付き ―109円(つまり109円もらえる)」! そんな馬鹿なと思うが、本当である。ちなみに今週の―109円の旅館・ホテルは20軒掲載してある。どれも25000円クラスの宿が、ただどころか109円もらえる。毎週金曜日の15時に予約開始となっている。早い者勝ちだが、109円をもらえる宿以外にも、109円で泊れるホテルや最大45%オフで2食付き13,000円が7100円から、などがあり魅力は一杯だ。


ホームページ上に掲載された社長メッセージの熱っぽさ
 
さて、同社社長西村のメッセージの話に戻ろう。ホームページ上に400字詰め原稿用紙に換算して15枚にも及ぶ大作のメッセージである。読み進めるとどんどんと話が広がっていくが、その話に通底しているのは旅に対する西村の熱情である。例えば、なぜこのビジネスを始めたかというくだりはこんな風に書かれている。ちょっと引用してみよう。

*********

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私どもの出発点は、「空いている部屋を利用して安価な旅を提供したい」という想いをその名に表した「あき宿倶楽部」にあります。

「どうして一泊二食しかないの?」
「平日はガラガラなのに何故こんなに高い料金設定なの?」
「旅行代理店の手数料が高すぎるのでは?」
「何故パッケージ旅行は安く個人旅行は高いの?」
旅行をするたびに、いつもこのような思いを抱いていました。
ユーザーを無視し、業者間だけですべてを決めてしまうような、古く歪な業界の体質を、何故誰も変えようとしないのだろうか、と。

「サークル的なものでもいいから、自由に自分の好きな旅行を楽しめるサービスをやってみたい」。
まさに一ユーザーの視点でスタートしたのが「あき宿倶楽部」でした。

10万円の資金とパソコン1台に電話1台、自宅マンションの一室からはじめたビジネス とも趣味ともいえないサービスです。旅行業の経験もないままにスタートしたため、宿と何を交渉するべきかわからず、専門用語も全く理解できず、大変苦労したことが思い出されます。

*********

 
誰もが考え、誰もが疑問に思うようなところからのスタートであることがよく分かる文章だ。このような思いが全編にわたって綴られているのである。普通の企業ホームページにおける社長のメッセージなどは、はっきり言っておざなりのものが多い。そのなかで、このメッセージは異彩を放っている。
「本当はもっと長かったんですが、社員に切られてしまった」と西村は述懐する。
 
西村は、ありきたりの字面のいいことを並べても意味がないという。新しい仕組みを作って展開しているので、その思いを伝えなければ駄目だというのだ。理解してもらうためにははっきりものを言うし、言った以上はやらなければならないという信念があるのだ。外に向けてだけではない。メッセージの伝達は社員にも及ぶ。言葉だけでなく、社員の誕生日にはプレゼントをする。家族や子ども、両親にもメッセージカードを送る。


安すぎてまったく信用されなかった
 
西村がこのクーコムを創業したきっかけは、引用したメッセージに書かれているのでここでは触れない。当時大手広告代理店の関連会社にいた西村は、ガラガラの時なら安くても売りたいに違いないし、そういう会員組織があるに違いないと探してみたら、なかったのだ。
 
スタートは97年10月。「こんなのをやります。参加しませんか」と企画書を書いて1000軒以上の旅館に送った。42軒の宿から参加のする旨の同意を得られた。
 
ここで西村は、旅館からコミッションをいっさい取らないと決めた。旅行代理店は高額のコミッションを取る。旅館もお客を運んできてくれるから、そのコミッションを払う。値段は高くし、他方がそれぞれに利するから2食つけて高く設定する。それだけならみんなハッピーのようだが、それで割を食うのは本来一番大切にされなければいけないユーザーだ。だから西村は「泊食分離」を謳った。コミッションを取らない代わりにユーザーから会費を取った。明朗な料金体系が生まれたのである。
 
しかし、それからが大変だった。まず最初は会員を集めることである。「1泊1200円から」と広告すると、問い合わせは多い。ところが、まったく信用されなかった。会員制で、前金で5000円から1万円という年会費を払う人はいなかったのだ。
 
収入はないので友人の会社を手伝いながら生活費を稼ぎ、なんとか生計を立てたがそれでも電気や水道を止められた。
 
会員が増えると、会報を作り、郵送をしたがコストがかかり過ぎ2、3回で止めた。そこでネットに着目した。会員が全国にいてもオーケーだ。しかし、今のようなインターネット網が整備されていたわけではない。料金が安く、ネットもつなぎ放題だった夜の10時から朝6時までを利用した。
「おおよそカネのかからないことは全部やりました(西村)」という言葉がその苦労を物語っている。

(次回に続く)

(2010・3・4)

【番外編】民主党政権は起業にチャンス!

民主党政権が誕生して5ヵ月近くが経過した。100日といわれるハネムーン期間も終了し、通常国会では補正予算が通り、現在本予算の審議中である。それほどテレビには出てこないが。
 
ここのところ、新政権への反応を聞くために経営者に話を聞いている。また、民主党議員にも何人か会って話を聞いた。

まず、経営者の反応からいえば、政権交代についてはほとんどの経営者がよい方に評価している。また、昨年11月に行なわれた事業仕分けなどの例を挙げて、その効果を論じる人は多い。
 
ところがずっと懸念されている点がある。それは経済政策についてである。これについては、少し分けて考えなければならないだろう。一つは短期的な見方。もう一つは中長期的な観点である。
 
まず短期的な懸念でいえば、当面の景気対策ということになる。現政権の政策が現金をばらまく形での支援に偏っているため、支出の増大と歳入とが合わず、大幅な赤字国債を発行する形になっている。
 
先日、経済通で知られる五十嵐文彦衆議院議員に話を聞くと、短期的な景気の見通しについては、下ぶれリスクはあるものの、民主党の政策である子ども手当や高速道路無料化を実行することによって、年後半には景気は緩やかではあるが浮上するという見通しを示した。

 
そのインタビューのなかで私が注目したのは、五十嵐議員が中長期的な意味合いで、特区の問題に焦点を当てて話したことだ。
 
今回で第17次の募集になるこの特区について、補助金が出るわけではないがといいつつ、従来は膨大なアイディアが国民から寄せられたものの、物になった事業は少なかったと分析した。
 
ただし、なぜ物にならなかったかといえば、事業そのものに魅力があっても、むしろ役人の都合や縄張り争いの狭間にあってつぶされてきた感が強い。
 
だからその観点に立って特区事業を見直し、これは物になるという事業については、さまざまな既存の補助制度を使いながらやっていきたい、と語ったのである。その意味で有望な事業については、政権が各省庁に働きかけて、補助事業とのセットでもって、新しい産業が生まれるようにしていきたい、ということなのだ。
 
五十嵐氏は同時に日本のベンチャー企業、特に世界的な技術を持ちながら発展が遮られてしまっているようなベンチャーの技術にも目を向ける考えを示した。こうした中長期的な戦略は、もちろん国家戦略室が描く「成長戦略」にも共通している考えだ。

 
その成長戦略は大きく下記の4つの戦略から成っている。

・ グリーンイノベーションによる環境・エネルギー大国戦略
・ ライフイノベーションによる健康大国戦略
・ アジア経済戦略
・ 観光立国・地域活性化戦略

 
例えば、グリーンイノベーションであれば、エコ住宅、次世代自動車、電池などが具体的テーマとなってくるだろうし、ライフイノベーションであればバリアフリー、新しい医療や介護、元気な高齢者の活用などがあげられるだろう。このように考えていけば、国の戦略に乗った形で事業戦略を構築することができ、しかも従来型の既得権益と一線を画している現政権の下でならば、ベンチャー企業が入り込む余地も十分にあるといえよう。新たな視点でビジネスを起こす機会としてとらえるなら、今がチャンスといえるかもしれない。
五十嵐議員のインタビューを掲載、放映中。詳しくは、http://democrat.jp
まで。

(2010・2・9)

【第52回】医師免許取得社長が始めた「サイトに集客」ビジネス高利益の秘密

株式会社 DYM

実績以上に大きな成長力を秘めた会社
 
面白い会社が出現したものだ。サイトで売上アップを保証してくれるのだという。
「とにかくわれわれに任せてくれれば、絶対に売上を上げる。報酬は成果報酬で構いません」と社長は淡々と語る。成果報酬ということだから、売上が上がらなければ報酬はないに等しいわけだから、これは相当な自信と裏付けがないとできないビジネスだ。
「そんなことができるんですか」と尋ねると
「できます」と単刀直入な答えが返ってくる。

面白いと冒頭に書いたが、凄いと言い直した方がいいかもしれない。
 
その会社はDYMという。創業してまだ3年未満の会社だが、売上10億円、経常利益は2億円を計上している。この数字だけを見ても、成長性のありそうないい会社をイメージできる。しかし、実際はもっと大きな成長力を秘めた会社である。
 
業種は俗にいうSEO(Search Engine Optimization:サーチエンジンを最適化)。つまりウェブサイトでキーワードを検索したときに自社のウェブサイトが検索結果の上位にいくように表示するためのさまざまな手法を総称していう。だれもが自ウェブサイトに人を集めたい。そのためにはSEOを利用するというわけだ。また、風評被害に遭うサイトも多いが、同社のサービスはそうした被害からも守ってくれる。
 
創業者は水谷佑毅。1980年生まれだから今年で30歳になる。まだ大学を出てそれほど経っていないというこの社長の経歴がまたユニークだ。


医師になるついでのバイト感覚で高収入
 
水谷は杏林大学医学部の出身。医師免許も取得しているれっきとした医師である。しかし、水谷は学生時代から副業に精を出していた。
「医学部はカネがかかるし、そこまで親に面倒を見てもらえないから、自分で小遣い稼ぎをやろうと思ったんです(水谷)」という。つまりアルバイト感覚で始めたのが、待ち受け画像のサイト運営だった。同じ小遣い稼ぎをするならラクして儲けたいという動機からだったが、これがヒットした。
 
ちょうど2000年くらいの話である。まだ、世の中はパソコンやインターネットの普及が急速に進展している最中で、東京渋谷に「ビットバレー」なる構想が生まれ、この手の話に盛り上がっていた。これが儲かった。なぜか、誰もやってなかったからだ。これが数年間続いた。その販売が下火になった頃、次に考えたのは無料のホームページ構築サイトだった。これも手がけている企業がなく、大きな利益を生んだ。
 
どちらも、今でいうブルーオーシャン戦略である。競争が激しい故に血で赤く染まったレッドオーシャンではなく、まだ誰もが参入していない青い海を目指していたのだ。
 
他にも掲示板のレンタルサイトや、いろいろな商品やサービスの比較サイトを作っていったが「バイトの感覚の割には収入が多かったから(水谷)」次々に投資にまわしていけたのだという。2003年には有限会社として法人化も果たしている。


普通の企業はマネジメント力はあっても商材が弱い
 
水谷は医学部の5、6年になった時、今度は医者の世界の「遅れ」を目の当たりにすることになる。
「病院というのはIT化が遅れていて、データベースなど完備していなかった。だから患者を2~3時間待たせても平気だし、待ち時間表示などすぐできるのにそれすらしていなかった」と水谷が回想するように、医療業界はITの分野では非常に遅れていた。
 
そこで、水谷は考えた。この業界をなんとかしなければならないし、それが自分にはできると。そこで医者への道を止め、アルバイト感覚で続けていた事業を、2007年4月の卒業と同時に株式会社組織にし、資本金を1000万円に増資した。いわば第二創業期の始まりである。
 
さて、同社がなぜこのように順調に伸びているかといえば、ひとえに水谷自身の商品開発力による。ではその開発力とは何だろう。ブルーオーシャンはどんどんなくなってきている今においても
「普通の企業を見ていると、マネジメント力はあっても商材の開発力が弱い会社が多い」と、水谷はいう。
 
では、いい商材とは何か。水谷によれば「営業マンが売りやすい、どんな会社にも通用する商材」なのだそうだ。SEOだからいろいろな手法を駆使してお客をサイトに呼び込んでくるわけだが、そのメニューが極めて豊富なのが同社の特色なのだという。
 
それを牛丼店に例え、「他は吉野家、うちは松屋。吉野家が牛丼オンリーなのに対し、豚丼やらいろいろある」と解説してくれる。他社がメニュー5種類を用意しているとしたら、同社は70種類くらい用意しているというのである。だから営業マンもいろいろな提案ができるし、顧客もいろいろななかから選べるから、満足度が高いのだ。しかも、成果報酬型だから、顧客にはリスクを気にせずにすむ安心感がある。

SEOの分野でトップになることが当面の目標
 
こうした商材の充実によって、「成功」を導きだすのが同社の強みで、しかも成功報酬型で利益を得るビジネスモデルだとすれば、当然利益率は高くなる。成功報酬型の場合、当然マージンを高く設定できるからだ。同社の利益率は約8割。「成功」が条件という厳しいハードル故の高利益である。
 
冒頭に同社の実績は10億円で利益2億円と書いた。ということはつまり相当の金額を新商材の開発や人材の確保などの投資に使っているということにもなる。しかし、今は利益が2億円でも、売上がさらに伸びていけば利益は今後大幅に拡大するだろう。現在かけている経費は固定的費用であり、売上の伸長によって膨らむタイプの費用ではないからだ。
 
現在快進撃中の同社だが、水谷はどういう構想を持っているのか。
「一言でいえばITと医療の分野で世界のナンバーワン企業になりたい」という。そのためにはまずSEOの分野で1位になること。トップを走っている企業の売上が20億円だから「そんなに難しくはない(水谷)」とも。さらに 新たな商材の開発も進んでいるようだ。
その新商材とは医療の世界に戻っていく第一弾ともいえる「クリニックへの集客」の商材だ。利益が急減し経営が難しくなっている病院は多いから、この分野は有望だ。何よりも社長自身が医者である。


2年後には年商50~60億円、上場も視野に
 
そして、水谷は地方への営業を拡充していきたいともいった。
「地方の商店街の現状は大変です。切実さが違う。でもわれわれの仕組みを使えば2万円の投資でお客を呼ぶ手立てを考えられる」と水谷は淡々と語る。
 
確かに、経済の疲弊は地方都市にこそ及んでいる。そんな地域の企業や商店でも、安い値段でこのサービスを導入できるとしたら、重要なツールになるだろう。
しかし、1件の売上が2万円程度では非効率ではないかと聞くと、水谷からすぐに答えが返ってきた。
「2万円の売上でも1万6000円が利益になります」
 
確かにそれを集積していくことは重要には違いない。 
 
こうして水谷の話を聞いていくと、2年後には売上高50~60億円という目標も問題なくクリアーできそうに思えてくる。上場はどうかと最後に尋ねると、「2年半後には」とこれも淡々と答えてくれた。

(2010・1・26)

【第51回】愚直さと先見性とで周到なWeb戦略を構築するコンサルティング会社

デジタルワン株式会社 

コンサルした企業は確実に売上げ伸長
 
新聞やテレビ、雑誌など既存広告メディアが急速に力を失いつつあるなかで、勢いを増しているのがインターネットというメディアであることは今や小学生でも知っていることだが、実はその最大の効果は「広告」や「販売」ではなく「販売促進」にあるという現実は、認識されているようで案外無視されていることかもしれない。

「ネット広告」や「ネット通販」という言葉のなかには、実は「ネット販売促進」という要素が含まれていて、サイトというのは「イベントの場」であったり「店頭」であったりするのだ。店頭だったら販売員が声をかけるだろうし、お客の顔色を見る。商品にはPOPをつけて、魅力を柔らかな言葉で説明するだろう。だが、このサイトを紙の延長線にあるもののように考えている人が、まだまだ多いのが現実である。
 
そんななかで、この種の考え方をはっきりと定め、ビジネスとして実行している会社がある。それはデジタルワン(株)という会社だ。
 
デジタルワンはコンサルティング会社である。何をコンサルティングするかといえば、ネットでいかに売上を上げるかについてである。このことにこだわって、そのためにはありとあらゆることを考え実行し、そして成果を上げる。同社ではこれを「e販」と呼んでいる。
「ウチは単にサイトを作るということはやりません。Web戦略を立て、事業計画や予算の設計を行ない、その後Webの企画設計を行ない、その上で制作します。重要なのは新しく構築したサイトをリリースした後のフォローです」と語るのは同社の創業社長、中谷泰志である。リリースした後のフォローとは、つまるところ最初に立てた事業計画が予定通りにいっているかのチェックであり、うまくいっていなければ改善していくというもの。多くの同業者が作りっぱなしであることを考えれば、これは希有な例といっていいだろう。なにせ、収益に責任を持つということなのだから。
 
これが同社のいうコンサルティングなのである。


ユーザーに同行してまで行動調査を行なう
 
同社のコンサルティング成功例はさまざまだが、特に大手K書店の例はなかなか興味深いので紹介しよう。
 
K書店のウェブサイトによる販売事業は96年にスタートした。ところが2000年にアマゾンジャパンが設立され、後じんを拝するようになった。売上げは数億円しかない現状から、何とか売上げを上げるサイトのリニューアルを求めていたのである。
 
結論からいえば、このリニューアルによって売上げを従来の140%にまで伸長させた。
 
では、何を行なったのか。そこに同社の秘密がある。秘密といっても愚直なまでの理詰めの方法である。
 
まず同社が行なったのは、既存サイトの分析だった。売上げ規模、ユーザーのアクセス状況、ユーザーの層や質......。こうした分析から、ユーザーをヘビーから休眠まで分類し、男女比、平均年齢なども把握した。もちろん購買理由や休眠ユーザーがなぜ購入しなくなったのかといった理由も俎上に載せた。
 
面白いのは、こうして分析した結論から、ユーザー像を導きだしたところにある。例えば、平均年齢43歳。男子で既婚、子供2人といった具合だ。ここで重要な点は、これがアンケートなどによる平均値から導きだされたユーザー像ではないという点だ。あくまで、実在する一人の人物からユーザー像をあぶり出したのである。
 
そして今度は、そのユーザーの行動を徹底的に洗い出す。例えば、ヘビーユーザーが実際のお店ではどんな選び方や買い方をするのか、同行して徹底的に調査した。その客の生の声はもちろん、1日の生活パターンまで徹底して調べた。
 
また同時に書店の店員にもインタビューし、自店の強み、商品の訴求方法などを細かく聞き出した。もちろん同業の他店にも足を伸ばし、何が違うのかも調べた。こうすることで、自ずと他社との差別化のポイントも浮かび上がってきたというわけだ。
 
そして、最終的にWeb戦略を立案したのである。
 
面白いのは、例えばK書店では、店内での特徴の一つに、注目書籍には軒並み手書きのPOPを立てているということがあった。一方、ユーザーの同行調査からもこのPOPを見て買う頻度が高いことを知った。そこで、その機能を工夫してWeb上に展開したことである。


日本のECはまだまだ伸びる
 
同社は前述したようなユーザー像や自店の特徴などを徹底して調べ、把握することを「ジツザイ化」と呼んでいる。この作業は書いてしまうと、簡単な作業のようにしか見えないが、実際には手間と根気を要するのだ。
 
これと似た作業は、例えば新雑誌の創刊などでも行なわれる。読者像を前述したように「平均年齢43歳。男子で既婚、子供2人」と決めたら、その人の特徴を徹底して洗い出し、趣味や持ち物から1日の生活パターンまで把握した上で、雑誌の企画内容を導きだしていくのである。
 
もしそれが曖昧だと、決していい雑誌は生まれない。逆にいえば、この作業を徹底して行なうほど、ユーザー像が「ジツザイ化」してくるのである。
 
同社はこうした説得力のある実例を紹介するセミナーを定期的に行なっている。もちろん入場無料。集まった人たちの90%以上が納得し、顧客予備軍として帰っていく。
 
考えてみれば、エレクトリック・コマース(EC)が本格化してまだ10年足らずである。多くの企業がホームページや通販サイトを作っても、それが本当に機能しているのはごくわずか。成熟化していくのはむしろこれからである。
「日本のECは対前年比で 21.7%伸びて 5.3兆円になりましたが、日本の小売り全体では135兆円です。だから、まだまだ伸びる余地がある(中谷)」のだ。


コンサルから一歩進んでパッケージ販売
 
しかし、考えてみれば、ここまでWeb戦略を知りつくし、調べ尽している同社がコンサルティングだけを行なっているのはもったいないという気にもなる。なぜなら、これらのノウハウを使えば、自社でビジネスができる素地が十分にあるからだ。
 
このことを中谷に問うと、あくまで事業計画からフォローまでというオールインワンのコンサルティングに拘る姿勢は示しながらも、新たな展開を模索している点も披瀝してくれた。その一つが業界別のパッケージ化。
 
例えば歯科医向けには、あらかじめ調べたノウハウに基づいて『だれでも!歯科サイト制作』というパッケージを作り、2009年3月から販売をしているのだ。
 
なぜ歯科医かといえば、「全国に約6万8000軒の歯科医が存在し、HPの普及率が30%と低い業種だから(中谷)」だそうだ。あくまで周到な戦略に基づいて行なっているのだ。
 
同社の設立は2004年12月。社長の中谷は富士ゼロックスでトップ営業マンであり、同社の第一選抜で進んできた男である。しかし2001年に、後に日本最大の壁紙サイトとなる壁紙ドットコム(株)を設立し、その後東証一部のグローバルメディアオンライン(株)の営業担当取締役として活躍してきた。ネットビジネスを裏も表も知りつくした男といっていいだろう。だからこその同社の戦略なのである。
 
ネットビジネスが普及し、この分野でもSEOなどで顧客の注目度を高める戦略はずいぶん構築されてきた。しかし、今後ネット戦略がますます重要なファクターになるに連れて、同社のようなきめ細かく、しかも地に足の着いた戦略の構築が求められてくるに違いない。
 
そういう意味で、同社は間違いなく時代の先頭を走っている会社である。

(2010・1・13)

【第50回】常識を超えた水と油の融合技術で青森ひばを世界に広げる

株式会社ひば倶楽部 

スプレーしておけばゴキブリも蚊もやってこない
 
青森ひばという木をご存知だろうか。といっても多くの方はピンと来ないだろう。それでは質問を変えて、ヒノキチオールという言葉を聞いたことはあるだろうか? われわれの健康志向が進むなかで、ヒノキチオールは抗菌性に優れ、防カビ、防虫効果もあり、しかも匂いが清々しいということで注目されている。

このヒノキチオールを最も含むのが青森産の青森ひばである。青森ひばが製材された後のおが粉などの廃材を蒸留してできるのが「青森ひば油」である。この油は100キログラムのひば材から僅か1キログラムしか得られない貴重なもので、このひば油に約2%のヒノキチオールが含有されている。
 
余談だが、実はヒノキにはこのヒノキチオールがほとんど含まれていない。1936年に台湾帝国大学(現台湾大学)の野副鉄男教授が台湾ヒノキから発見したことにより命名されたので、ヒノキチオールという名前がついたというのが真相だ。
 
さて本題はこれからで、この青森ひばを活用して新しいビジネスを起こしているのが(株)ひば倶楽部の代表取締役沼田大策である。
 
同社の商品のなかで最も注目すべきは「ひば健香水」という商品だ。ひばの成分(ヒノキチオール)が入ったひば油を水に溶かした商品で、スプレータイプになっており、除菌、消臭、防虫、そして精神安定に効果を発揮する。いつでもスプレーで吹きかけることができ、肌にもべとつかない。もちろん副作用もないので大変便利な代物だ。香りがいいのはいうに及ばず、カビを防げるし、ゴキブリや蚊もスプレーしておくだけで寄せ付けない。しかも、同社では一切謳っていないが、ブログなどを見るとアトピーに効くといった報告もあり、その可能性は大いに広がる。


専門家が否定したことを実現した画期的技術
 
この商品について「ひば油を水に溶かした」と書いた。さも簡単そうであるが実は違う。その前にまず、知っておかなければならないのは社長の沼田はいわゆる学者ではなく、ひばの使い方を熱心に研究してはきたが、市井の研究者であるという点だ。
 
そして、もう一つ知っておかねばならないのは、そもそも専門家の間では、ひば油は水には溶けないといわれていたことである。
 
だから通常はアルコールで希釈するか、乳化剤を用いなければならなかったのだが、アルコールを使うとコスト面からも安全性からも問題があるため、乳化剤を使って水に希釈するのがいいのではないかといわれていた。たとえこの方法をとったとしても、ひば油を水で希釈することができるなら、用途は間違いなく広がるといわれていた。
 
ところが同社は、というより沼田は、そんなまどろこしいことをせず、つまり乳化剤を使わずに水と油を融合させたのだ。ちなみにこの技術は特許申請済みである。
 
水と油の融合ムム。それができればベストの選択ではあるのだが、しかし専門家にできないという技術をなぜ沼田は可能にしたのか。
 
なぜそんなことができたのか。それには沼田がこのビジネスに取り組んできた歴史を紐解かなくてはならない。
 
沼田は勤務先の会社が倒産後、建設会社にアルバイトのような形で勤務していた。その建設会社が家の土台や幅木、窓の桟などに使用していたのが青森ひばだった。その社長がひば好きだったのだ。ひばの廃材が山積みされていた。しかもビニールに包んで香りを保管していた。それを見て、沼田は「何かできるんじゃないか」と考えた。まず、乾燥した木の破片に湿気を与えると香りが甦ってきた。今度は木に穴をあけそこに水を垂らした。それも一つの穴は木を貫通させ、もう一つの穴は貫通させずに水がたまるようにした。そうすると香りが甦り、長持ちすることが分かった。
 
くるんでいたビニールの上からもひばは匂いを発散させることに気がついたのもその頃だった。ビニールは空気や水は通さないが香りは通過させる。空気を通さないということは酸化しにくい。そこでひばのおがくずをビニールに入れ、ひば油を含浸させた。それだけだとビニールがひば油を通すので、べとついてくる。そこで、不織布をビニールの上からかぶせた。


世界規模に広がる可能性を見せるひばの力
 
こうした試行錯誤を繰り返し、でき上がったのが「香り袋」である。当然アルバイト先は辞めたが、ひばを使った商品の研究開発にはのめり込んでいった。そして次に試みたのがひば油を水で希釈することだった。
「ひば油は分子が細かい。水に希釈するためには油が多いと駄目で、しかし、油が少ないと薄くなり、それだけ効果が低くなる。できる限り濃くしたいので、水と油の割合をぎりぎりのところでやっている」と沼田は説明するが、それ以上の細かい説明は聞けなかった。特許を(申請済みだが)公開していないという状況ではやむを得ないのかもしれない。
 
香り袋や健香水以外にも沼田の挑戦は続いている。
 
その代表格が「アロマテラピーの家」だろう。これは夢の話ではない。
「技術的にはそんなに難しい話ではありません。天井裏と床にこのひばの香袋(商品名は『ひば材』)を配置し、パイプを通して空気を回すのです。それによってひばの香り(と効用)が家全体に回るようになります(沼田)」。これにより、防菌、防カビ、防虫効果があり、しかも清々しい気分にさせてくれる、まさにアロマテラピーの家ができるというわけだ。
「最近、200年住宅ということがよくいわれていますが、この200年住宅というのは、すぐ修理ができるよう部分的にいろいろな箇所が取り外せるようになっているのです。ということは、そういう箇所に香り袋を置いておくこともできる(沼田)」らしい。現在参加工務店を募集中である。
 
また、もっと広がりのある話も俎上に上っている。それはインドネシアの話だ。
 
インドネシアではデング熱がまだ多く、その媒介をする蚊に悩まされている。インドネシアにいる日本人の「ひば健香水」愛用者が、蚊の予防にこれが効くのではないかと試しているのだという。しかも現地は高温で湿度が高く、カメラやビデオなどを1週間も放置しておくとレンズにカビが生えてしまうので、これも実験を始めたそうで、こうした情報が沼田のところには日々伝えられているのである。
 
現地で実用化されるかどうかはこれからの話だが、ポイントはこうした商品がいとも簡単にネットを通じて広がっていくということだ。同社の規模は決して大きくない。むしろ零細企業といっても差し支えないだろう。しかし、ネット社会における可能性という意味で考えると、この広がりはとてつもなく大きく見えてくる。

(2009・12・22)

【第49回】専門老舗出版社が見せる、機動力ある超堅実経営の実像

有限会社モデルアート 

映画上映前から即日完売の出版物
 
まだ映画が上映前だというのに、その映画に関連した1冊の本がベストセラーの兆しを見せている。1800円という比較的高い値段が付けられているにもかかわらず、セブン&アイ傘下のコンビニなどでは即日完売。早くも増刷の注文が舞い込んできている。

その本のタイトルは『宇宙戦艦と宇宙空母』。B4判の大きなサイズ、フルカラーで、表紙にはタイトル通り宇宙戦艦ヤマトと思える戦艦の精密で大胆なイラストレーションが配されている。よく見ると、その下には宇宙戦艦ヤマト復活篇制作委員会の文字が見える。
 
この本の出版元はモデルアート社という老舗の模型・プラモデル専門出版社である。
 
冒頭の映画とは12月12日に公開される「宇宙戦艦ヤマト復活篇」。主題歌をジ・アルフィーが歌い、テレビでは公開記念番組が組まれる。またイオングループやサークルKサンクスなどの小売店もこれを機にイベントなどを組むようだ。
 
映画の公開前でこれだけの反響だから、映画が公開されたらさらに売上げに勢いがつくのではないかと思うのが人情で、さぞや同社も沸き立っていると思いきや、同社を訪れると、実に普段と変わりなく淡々と仕事をしているのだ。
「こういうヒットはおまけ」と同社社長の井田彰郎が語るように、実は同社のこういう反応こそが、専門出版社の「らしさ」なのであり、真骨頂ともいえるのだ。


数週間で本にしてしまう機動力が強み
 
同社は1966年の創業。同社の主力雑誌である『モデルアート』誌は、日本で最初のプラモデル専門誌であり、創刊43年に及ぶ。発行部数5万部だが堅実に発行を続けている。プラモデルが日本で生まれてちょうど50年ということだから、同社の歴史はプラモデルの歴史とほぼ軌を一にしている。
 
そもそも同社の成り立ちが面白いのだが、その話はあとに譲ろう。同社ではこの『モデルアート』以外に、数多くの別冊を出している。
 
例えば、取材時に見せてもらった船のシリーズ『氷川丸』はA4判32ページの本で、定価は1470円。これを1000部から2000部作る。こうした書籍はそれぞれの編集者がこだわったアイテムを厳選して数週間で編集し、直販ならびに全国のそうしたこだわりを共有する模型店や興味を示してくれる書店にだけ卸している。もちろん売り切ったところで利益はすぐに計上されるので無駄がなく、資金回収も早い。その上、この本の巻末には同社自らが販売する「完成品模型の限定販売広告」を掲載しているのだ。それも1点2万~3万円の価格である。これもまた売り上げにつながる。
「専門誌はこういう別冊を機動的に出していけるところが強み(井田)」という通り、この種の本を次々に出版することにより、売り上げ自体は少額でも利益がしっかりと確実に積み重なっていくビジネスモデルとなっているのだ。
 
また、「キングタイガー」という戦車の別冊は英文和文併記である。本をめくってみると次々と戦車の部分の写真が並べられている。素人にはわからないが、マニアにとって、今まで見たこともない「部分」が載っているだけで、垂涎の的。しかもこの種の興味は万国共通だから、和英併記で海外にも売れることになるのだという。
 
実際「海外でもそうとう売れた(井田)」そうだ。
 
こうした本の作り方も専門出版社ならばこその取り組み方だ。この種の写真が現存するのは海外。だから、海外から調達する。
「例えばメッサーシュミットでいえば、ドイツミュージアムには山ほどそのような写真がある。それをドイツに依頼してひたすらピックアップして日本に送ってもらう。それをまとめる(井田)」のだという。聞いていると簡単そうだが、しかし長年培った関係者やマニアのネットワークがあってこそ可能な機動力ある出版といえるだろう。


89歳から有名人まで幅広い読者層
 
また、プラモデルや模型といったジャンルは年齢層が幅広いことでも知られている。
「最年長の読者が89歳。70代の読者もかなりいる(井田)」そうで、有名なのは俳優の石坂浩二さん。石坂さんは年配のモデラーの集まり「ろうがんず」を立ち上げ、普及活動を行なっている。2007年の団塊の世代の定年退職を機に、こうした年配モデラーたちがこの市場に帰ってき始めているがゆえに、石坂さんのような行動は市場を活性化するのに役立っているのだろう。

写真のメッサーシュミットは石坂浩二さん作

 
現在のプラモデルはどんどん専門的な分野に細分化されていっている。例えば日本を代表する戦闘機といえば零戦だが、マニアでもない限りそれが15種類もあったことなど知りはしない。プラモデルのメーカーはこの種類全部を発売しており、マニアは多少価格が高くても買っていく。
 
そこでまた同社の出番がくるのだそうだ。
「例えばプラモデルの世界は単に作り方だけで、本ができているわけではありません。例えば塗装の仕方だけでも本になる。ゲームの世界でいう一種の攻略本と同じです」と井田は説明してくれた。なるほど仮に15種類の零戦があるとしたら15種類の作り方があり、塗装の仕方があり、いろいろな装飾の仕方がありと、情報も無限に広がっていく。裾野の広いビジネスだということがよくわかる。


いくらガンダムが流行っても流されない
 
そもそも同社の歴史とはどういうものなのか。同社は井田の父親である井田博が戦後北九州市で模型店を営み始めたのが出発点である。その父が1966年単身上京し、雑誌の発行を手がけ始める。最初は少部数の発行で、書店ルートと模型店と売っていたが、赤字続きだった。しかし、内容を吟味し、今人気のあるプラモデルはどのようなものなのかを調べ、人気の商品の分野を雑誌に反映していき、少しずつ部数は上昇した。そのあたりのくだりは『日本プラモデル興亡史』(井田博著 文春文庫)に詳しいが、当時から、プラモデルに的を絞った出版を維持しているのだ。
 
模型・プラモデル専門誌はもちろん他にもある。以前は専門出版社のみだったが、近年は大手出版社も参入している。それでも同社が強みを発揮できているのは、他の雑誌が、ガンダムやフィギュアといった流行を追いかけて内容を大きく変更させていったのに対して、頑にその内容を守っているからだ。
 
現在、同社の雑誌は日本のみならず19ヵ国で販売されている。フランスやドイツに強く、最近では東欧、ロシア、中国などでも盛んになってきている。
 
こうして話を聞くと、こうした専門分野の出版ビジネスというのは、インターネットを利用するビジネスに向いていることが分かる。こうしたネットの利用を促進することで、さらに裾野は広がっていくのだろう。

(2009・12・8)

【第48回・後編】素人発想で奇跡的な製品開発をした老舗企業の未来

山本化学工業株式会社

【前号のあらすじ】
 
北京オリンピックの高速水着問題で、国内メーカーに高速水着の素材を提供するとした山本化学工業の申し出は結果として実らなかった。しかし2009年ローマで開かれた世界水泳選手権では、同社製素材の水着が80%も使われ、史上最高の43の世界新記録を生み出す原動力となった。その開発の背景には、江戸時代から続く同社のもの作りの開発精神がみなぎっていることが分かった。ところが、同社の成功に水をさす問題が勃発したのだ。

国際水連がラバーを禁止しても、もっと上をいく
 
2009年7月、ローマでの世界水泳選手権と並行して開かれた国際水連の理事会では、ある重要な決議が採択された。その決定とは、競泳選手の着用する水着は水を通す織物製のものに限るとし、2010年以降、ラバー製の水着を全面的に禁止したのである。これではせっかく開発した山本化学工業製の素材は使えなくなってしまう。

「実は、国際水連の決定の10数日後の8月10日に新しい水着を発表しました。これは織物製で、引っ張って広げると向こうが透けて見えます」
 
山本はそういって私にそのサンプルを見せてくれた。確かに繊維でできていて、向こう側が透けて見える。水は片方からは通るが反対側からは通らない。したがって水の抵抗を受けにくく、現在の水着と性能はほとんど変わらないそうだ。
「昨年の11月にはこの水着の開発を始めていました。国際水連の動きを考えるといずれラバー製は禁止の方向に行くだろうと考えてました(山本)」というのである。同社はこのサンプルを世界中のメーカーに発送したそうだ。
 
さらに競泳選手は水の抵抗をなくすためにキャップをかぶるが、これについてはラバー製の素材は禁止されていない。したがって、これらを組み合わせると、従来と同じような効果が期待できる素材をサポートすることは可能なのである。
 
こうした同社の製品はほかの面でも大変注目されつつあるが、それは後述しよう。


水着の秘密は「バイオラバー」という独自の技術にあり
 
そもそも同社のラバーとは何だろうか。ラバー=ゴムにもいろいろある。ゴムの木から採れる天然ゴム、石油を原料とする合成ゴムなどさまざまだが、同社の製品はそれらと異なった成分を持つ製品である。これは、新潟県黒姫山で産出される石灰石から採り出した極めて純度の高い(99.7%)炭酸カルシウムを主原料として、金、プラチナなどの鉱物や炭素を配合した合成ゴムで、商品名を「バイオラバー」という。このゴムを使用し、用途に応じていろいろな開発をしてきている。
 
例えば、水着の発端となったのは、海女さん用のラバー製のウェットスーツと前号で書いた。このときは体をできるだけ冷やさないためにチタン合金で熱反射させて温かくするという工夫を施している。また水着では、ラバーの表面に特殊な加工を施すことにより、表面抵抗値を著しく低くすることを可能にした。これが選手の記録につながったのだ。北京オリンピックで注目された英スピード社製の水着の摩擦抵抗係数が1.35に対し、「バイオラバー」のそれは0.021という。また競泳用の水着以上に、トライアスロンの分野では90%以上の競技者が同社製の素材を着用しているようだ。


いい電磁波のみを身体に放射する蜂の巣構造
 
さて、同社はスポーツ用の素材ばかりを提供しているのではない。これらの分野よりもさらに注目されているのが健康用途の製品である。それには、もう一つの秘密を解き明かさなければならない。
「バイオラバー」は特殊な合成ゴムと前述したが、実はもう一つ大きな特徴がある。それがハニカム構造と呼ばれるその構造だ。ハニカム構造とは分かりやすくいうと蜂の巣の構造のこと。蜂の巣は6角形の部屋が寄せ集められた構造になっているが、これが応用されているのだ。つまり「バイオラバー」はミクロン単位の細かな6角形の気泡(1ミリに約23個)が集まった構造になっている。これを作るのは並大抵ではない。それを可能にしたのが、技術はもちろんだが、高純度の炭酸カルシウムを含む石灰石なのである。
 
ではこのハニカム構造のよさはどこにあるのか、簡単に説明しよう。
 
人間は常に電磁波を放出している。また、人間は外部から多くの電磁波を受けている。電磁波にはいろいろな波長のものがあり、目に見える電磁波を可視光線という。虹はそのいい例だ。目に見えない電磁波のうち長いものを赤外線、短いものを紫外線という。紫外線のさらに短いものにX線やγ線などがある。大雑把にいって、短い電磁波の紫外線は身体に悪く、逆に赤外線は身体にいい効果を与える。
「バイオラバー」に電磁波があたると、このハニカム構造の細かな気泡にぶつかって乱反射と集約を繰り返し、その結果、身体にいい電磁波のみを放射することになるというのである。


腰痛がどこかに消えてしまった
 
こうしたことを書くと、どこか眉唾ものという印象を持たれると思うのでこれ以上詳しく書くのはよそう。社長の山本によると、このバイオラバーを開発した当初から、いろいろな患者が使い始め、その効能が口コミで広がったのだそうだ。そのうち、患者の効果を見て、これを医療で使いたいという人が出てきたのである。いろいろな学者がこの効果を研究しており、2007年にはアメリカ臨床腫瘍学会が主催するシンポジウムで、日本の学者によって、前立腺がんの抑制効果が発表された。これらが医学的に確固とした証明を受け、法律的に医療効果があると認可されたなら素晴らしいことだが、それはまだ途上である。効能を謳って販売することはできないが、それでもユーザーは増えているのだろう。
 
私は同社の販売を促進するために書いているのではない。しかし、こういうことを敢えて書くのは、
自分が使ってみた結果がよかったからだ。
 
取材に行ったとき、社長の山本から1辺が10センチ程度の小さな三角形のバイオラバーを手渡された。使用法に従って腰に装着したのはその夜のことだ。以来、風呂に入るとき以外、このバイオラバーを外したことがない。
 
文章を書くことが多い私にとって、座りっぱなしは腰痛につながる。実際、腰から背中にかけての筋肉は非常に凝っている。そもそも小さいときから腰痛持ちだった自分にとって、最近、書く作業が大変つらく、すぐに集中力が途切れてしまうのだが、これを装着してからは1度たりとも痛みを感じたことがないのである。
 
それは感覚だけの問題かとも疑い、スポーツマッサージの治療室に2週間半ぶりに行ってみた。普通、1週間に1度いかなければどうしようもないほど腰痛がひどい私にとって、痛みを感じなかったからとはいえ、2週間以上もマッサージ治療を空けるのは大変なことだった。ところが施術師の反応は私の想像通りのものだった。
「松室さん、十分な休暇を取られたようですね。腰の状態が今までにないほどいいですよ」
私は、その彼にことのいきさつを説明した。

同社は海外からも注目されている。アメリカのハーバード・ビジネス・スクールは、授業のケーススタディとして取り上げるために同社を訪れているほどだ。もちろん山本は、この技術をさらに広げていくために研究を重ねている。動きも既に出ているようだ。
「アイフルホームとはバイオラバーの部屋を開発して、来年1月から販売予定です(山本)」
 現在の同社売上は約78億円、営業利益は13億円(共に前年度)。
将来、どんな企業に発展していくか、楽しみは広がっている。

(2009・11・17)

【第48回・前編】素人発想で奇跡的な製品開発をした老舗企業の未来

山本化学工業株式会社

ウチの素材ならレーザーレーサーに負けない
 
2008年の北京オリンピックの前、ちょうど各種目で代表選手が決まっていた頃、水泳選手の間では水着問題が持ち上がっていたのを覚えている人は多いだろう。俗にいう「レーザーレーサー」問題である。英スピード社のレーザーレーサーという水着を着て泳いだ選手が、軒並み世界新記録を出し、世間を賑わしたことに端を発した問題だ。ところが日本選手は当時日本水連がスピード社とオフィシャルサプライヤー契約を結んでいず、契約を結ぶ国内メーカーにレーザーレーサーと同等以上の水着の開発を求めた。結論からいうと国内メーカーは開発を行なったが、結局水連はレーザーレーサーの着用を認め、多くの選手はそれを着て泳いだ。

この騒動のなかで、大阪にある山本化学工業という会社が自社の開発した素材なら絶対にレーザーレーサーに負けない結果が得られると主張し、国内メーカーに無料で提供するといって話題となった。これも多くの人の記憶に残っているところだろう。今回取り上げるのはその山本化学工業である。
 
まず結論からいっておこう。結局同社製の水着素材は北京五輪では国内メーカーには採用されなかった。その詳しい話は後に譲るが、実は今年になって様相ががらりと変わっていたのである。


江戸時代から続く老舗企業の大転進
 
今年ローマで行なわれた世界水泳2009では、山本化学工業社製の素材を使った水着を着用した競泳選手が、全体の80%近くにもおよんだのである。その結果かどうかはもちろん断言できないが、北京五輪で出た世界新記録の数が23であるのに対して、今年のローマでは通算43もの世界新記録が生まれ、その半数以上が同社製素材の水着を着ていた。ちなみにレーザーレーサーの着用はごく僅かだった。
 
ではなぜ多くの選手が同社製素材の水着を着用するに至ったのか。
「世界の多くのメーカーが、選手にレーザーレーサーとウチの素材のどちらがいいか着用して泳いでもらいました。その結果ウチの方がいいとなった」と同社社長の山本富造は語る。
 
ではそもそも、なぜ同社はこのような画期的な製品を開発できたのか。それを知るには同社の歴史を紐解かなくてはならない。
 同社の創業は1964年となっているが、その歴史はさらに古く、遠く江戸時代までさかのぼる。石川県小松出身の山本家は、当時北前船屋を生業としていた。北前船屋とは北陸の日本海沿岸から北海道に遡り、太平洋岸を南下し、各地に寄港しながら大阪を終着とした航路を運行した回船問屋である。
 
しかし、明治維新以降近代化が進み、北陸では商売が難しくなった山本家は大阪に出てくる。当時石川県人が多く集っていた東成村(現在の大阪市東成区)に拠点を構えた。海運業は第一次大戦の後の企業統合で飯野海運の傘下に入ることになったが、本家はその傘下入りを拒んで家業を続け、大正時代に山本の三代前(曾祖父)の社長が画期的な製品を開発した。
 
それは脱脂粉乳から作った合成ボタンだった。まだプラスチックがなかった時代である。当時の洋服はボタンが高く、鳩目ホックで留めるのが主流の時代。
「飛ぶように売れ、一世を風靡した(山本)」という。


海女さん用のウェットスーツが始まり
 
同社の歴史は新しい発明の歴史である。1948年には先々代(祖父)の時代には消しゴム付き鉛筆で特許を取り、これもまた世界中で売れた。こうして、ゴムの技術を高めていった同社は、現社長の父山本敬一の時代に水を吸わないゴムの技術を確立した。
 
昭和30年代半ばには、防衛庁から自衛隊員用のウェットスールを作るよう要請があり、これが現在のビジネスの契機となった。
 
ところが官庁の発注は3月と9月に決まっており、これだけでは商売が安定しないため、海女さん用のウェットスーツを開発した。
 
さて、現社長の山本が社長に就任したのは25歳のときだ。父である先代が60歳になっていきなり、定年なので社長を辞めると言い出し、息子である富造にお鉢が回ってきたのである。1984年のことで、当時山本は25歳だった。
 
当時は1ドル=240円の時代。日本企業の米国への輸出には、特に風当たりが強くなっていた。社長交代して2ヵ月後に、同社もアンチダンピング訴訟で米商務省から追訴された。本来の税にさらに3.09%上乗せされて決着したが、この課税は2000年の9月まで続くことになる。
 
さらに翌年9月には、プラザ合意が先進主要5ヵ国の間で開かれ、円ドルレートはいきなり1ドル120円となる。輸出比率が95%だった同社はいきなり屋台骨を揺るがされるような事態となる。しかし父親は、社長を譲ったのだからと何もアドバイスをしない。
「内部留保を食いつぶすような形で何とかしのぎましたが、この自転車操業的なやりくりは90年まで続きました」と山本は回顧する。
 
しかし、若くして社長になった強みか、あるいは開き直りか、自分の好きにさせてもらうと逆に宣言し、以後、高機能の製品作りに励むようになる。


素人発想ならではのユーザーに優しい開発
「父と違い文系だったのでユーザーサイドに立って考え、高機能のものに変えようとしました(山本)」
 
薄くて暖かいもの、軽くて柔らかいものと理想を求めて社内で開発した。ゴムにチタン合金を張って熱反射させ暖かくした。しかし、いい物を作っても中国などの製品に価格で負ける。それならと、ゴムの両面に張っている繊維が日本のは高いことに目をつけ、片面だけで済ますことはできないかと工夫した。さらにはゴム自体のすべりがよければ繊維を張る必要はないと、今度はすべるゴムを考えた。この開発は難しかったが何とかやり遂げた。ウェットスーツは、濡れたものをもう一度着ると気持ちが悪い。ところがすべるゴムなら何度着てもそれがない。
 
このウェットスーツが2000年ころから売れ始めた。そこで同社はトライアスロン用のスーツに目をつけた。トライアスロンはスピードを競う競技なので早く泳ぐ必要がある。すべるゴムを外側にもってくると早くなるのではないかと考え、試してみるとこれがうまくいった。そこから、さらに水の抵抗を少なくする技術を開発していったのだ。これが同社をして、スピード水着の開発に至らせた経緯である。
 
だが、水着の話はこれだけでは終わらない。

(2009・11・11)